「天使と悪魔」を見て:映画の基礎知識 ガリレオの謎

トム・ハンクス主演の『天使と悪魔』が公開されたので見てきました。
『天使と悪魔』(ANGELS & DEMONS)はダン・ブラウンのサスペンス小説ですが、日本では2003年、角川書店から上下巻で発売され、現在角川文庫からも上中下巻で発売されています。
同著者の『ダ・ヴィンチ・コード』が映画で放映されたので、これについても感想文を書いてあります。–>ダビンチコードの謎と見どころ
映画鑑賞・お楽しみの邪魔をしてはいけませんので、ここでは基礎知識とガリレオの謎について書きましょう。
基礎知識1:反物質
スイスのセルンが、反物質粒子の生成に先ごろ初めて成功したところから、映画は始まる。
CERN研究所が反物質の生成に成功し、新型の反陽子減速器の開発に着手したこと、反物質1グラムが有するエネルギーはヒロシマに投下された核爆弾に相当するとのことである。
1996年の”Physics Letters”誌に、CERNで実験していた研究チームが Production of Antihydrogen(反水素の生成)という論文を発表した事実を踏まえて書かれているようです。
紋章学者のダン・ブラウンが反物質という用語を使う場合、多くの場合は反水素原子を指すものと考えられます。質量mの物質が持っていたエネルギーmc2と、質量mの反物質が持っていたエネルギーmc2の和、つまり2mc2がガンマ線などのエネルギーとなって放出されるそうです。
大量の反物質の生成はいまだにできていないので空想の話です。陽電子や反陽子の発見などでノーベル賞が複数の研究に授与されています。
基礎知識2.イルミナティ
イルミナティ(Illuminati)は、現実の歴史でも存在した秘密結社の名称です。単にイルミナティと言った場合、バイエルン王国で1776年に、アダム・ヴァイスハウプトが主宰した啓蒙主義的なPerfektibilismusを指す場合が多い。のちに、イルミナティと改名している。その後に復興運動があったとは言えその本体の活動期間は実質8年間であったそうです。
最盛期には各国に支部が置かれ、会員はインテリ、著名人、政治家、貴族等、2000人に及んだとWikipediaにあります。1777年、ヴァイスハウプト自身もフリーメイソンになっており、並行してフリーメイソンだった者も多かったそうです。1897年になってレオポルト・エンゲルによってドレスデンで独自の形で再興され、オカルト色が強く、悪魔主義になったそうです。
シンボルはピラミッドに目です。エジプトに由来し、「ホルスの目」と呼ばれる。権力構造のヒエラルキーとすべてを監視する支配者を表しているとされるが、1ドル紙幣にもこのシンボルがある。イルミナティという意味は、「光を与える、光から来たもの」ということ。
フリーメーソンは、ルシファーを「神」として崇め、ルシファーとは聖書におけるサタン、それも悪魔の王として描かれており、旧約聖書によればかつて光の天使として絶大な力を持っていたが、その力を過信して自らが神になろうとして地獄に落とされた「堕天使(サタン)」とも言われています。—>イルミナティ:悪魔崇拝
基礎知識3.ガリレオの天文対話(ディアロゴ)
映画の最初に、教会からの圧力で天動説で出版しなきゃならなくなったとのエピソードが紹介されています。そして、『天使と悪魔』では、ガリレオが著したとされる謎の書『真実の図表(ディアグラッマ・デッラ・ヴェリタ)』に書かれた暗号に基づいて、枢機卿が一人ずつ殺されるという設定になっています。殺害場所のローマ市内の4つの教会が見ものです。ガリレオ・ガリレイの残した暗号を、前作に続いてトム・ハンクスが演じるラングドン教授が解き明かしていく。
ラングドンは
「…16世紀、ローマのある団体が教会に反旗をひるがえしたことがありましてね。物理学者、数学者、天文学者などの、イタリアで最も知性ある人々の一部がひそかに集まって、教会の誤った教理についての懸念を話し合うようになりました。教会による“真理”の独占が世界全体の啓蒙を阻害するのではないかという不安を抱いたのです。そこで彼らは世界で最も古い科学のシンクタンクを創設し、みずから“啓示を受けた者たち”と称しました」
この団体が、イルミナティであり、当時のイルミナティの暴力的な方向性を批判したのが、ガリレオ・ガリレイだったとしています。
しかし、奇妙ですね。ドイツのバイエルンのイルミナティの始まりは、フランス革命の13年前1776年ですが、このころには、ガリレオはもう亡くなっています。ガリレオ・ガリレイ(1564~1642)は、ミケランジェロが死んだ年に生まれ、ニュートンが生まれる前年に死んだ物理学者です。
映画では
「ガリレオはイルミナティの会員でした。そして、敬虔なカトリック教徒でもありました。ガリレオは、科学は神の存在を脅かすものでなく、むしろそれに説得力を与えるものだと訴えて、科学に対する教会の立場を軟化させようと試みたのです。」
としているが・・・・。
17世紀天文学者のガリレオ・ガリレイが所属していたイルミナティはあるはずもなく、間違いでしょう。
ガリレオの業績と宗教裁判
ガリレオはイタリアのパドヴァ大学教授。その業績から天文学の父と称されている。
主な業績は
1,1586年にアルキメデスの著作に基づいて天秤を改良し最初の科学論文『小天秤』を発表
2.1597年 ケプラー宛の手紙で、地動説を信じていると記す。
3.1608年 望遠鏡の発明と特許紛争。
4.1610年 木星の衛星を発見。この頃から、地動説へ言及する。
5.1616年 第1回異端審問所審査。以後、地動説を唱えないよう、注意を受ける。 コペルニクスの『天体の回転について』、ローマ教皇庁より閲覧一時停止となる
6.1632年 『天文対話』をフィレンツェで刊行
7.1633年 第2回異端審問所審査で、ローマ教皇庁検邪聖省から有罪の判決
望遠鏡を発明し、金星の観測では、金星が満ち欠けする上に、大きさを変えることも発見している。また、晩年に振り子時計を発明している。
「振り子の等時性」の発見
一般的にこの発見は「ピサ大学の学生時代の1583年頃、ピサの大聖堂のランプの揺れをみた時」とされていますが、それはあくまで着想のヒントの範囲にとどまり、実際にガリレオが法則化したのは、最近の研究では1602年頃という説が有力です。
物理学者ガリレオ・ガリレイは「重いものが軽いものより速く地上へ落下する」というアリストテレスの主張を実験によりくつがえしたことで、重力の発見者として有名である。
万有引力を発見したのはガリレオであるが、それ以前にケプラーやコペルニクスが天動説を言っている。ケプラーの楕円運動に対して、ガリレオは死ぬまで円運動を信じていたようです。
天体運動の法則については、ケプラーがより優れていたようです。
地球の軌道離心率が0.0167であり、太陽に最も接近したとき(近日点通過)と太陽から最も遠ざかったとき(遠日点通過)で、太陽約3個分距離が違う。光量に直すと約7%の変動である。公転半径は 1兆4959億7870 kmです。
赤道面は、公転面に対して23度26分傾いている。この傾きは自転軸の傾きでもある。季節変化の主な要因として軌道離心率と自転軸の傾きが考えられるが、地球の場合、自転軸の傾きの影響が大きい。
クイズみたいですが、意外と知られていないのが、太陽に最も近いのが冬で、太陽から遠くなるのが夏ということです。太陽に最も接近するのは1月2日前後、最も離れるのは7月2日前後とのこと。
ガリレオに対する当時の判決
「汝は、大地が動き世界の中心にない、という誤った聖書に反する説を抱き信じた。したがって刑罰を受けることを宣告する。ただし、汚れない信仰をもっての教義に反する考えを放棄し呪い嫌うことを条件に刑を減ずる」
アントニオ・ファバーロ編「イタリア国定版ガリレオ全集19巻所収 ガリレオへの判決」より
ガリレイは、1980年代になって、ローマ教皇が宗教裁判の見直しを命じ、教皇自ら裁判の誤りを認めました。正式に名誉回復が宣言されたのは1992年のことです。死後450年経ってようやく彼は教会に認められた。
参考:ガリレオの地動説

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