文は糟粕(カス) 、文は瓦礫(ガレキ)

理趣は正しい方法でしかわからない。

最澄に説諭する空海の言葉

「もしまことに凡にして求めば、仏教に随ふべし。もし仏教に随はば、必ず三昧耶を慎むべし。三昧耶を越えれば伝者も受者も倶に益なか るべし。それ秘蔵の興廃は唯汝と我なり。汝、もし非法にして受け、我もし非法にして伝えば、将来求法の人、何によってか求道の意を知ることを得む。非法の 伝授せる、これを盗法と名づく。即ちこれを仏を欺くなり。また秘蔵の奥旨は文の得ることを貴しとせず。唯心を以て心に伝ふるに在り。文はこれ糟粕(カス) なり、文はこれ瓦礫(ガレキ)なり。糟粕瓦礫を愛すれば純粋至実を失ふ。真を棄てて偽を拾ふ、愚人の法なり。愚人の法には汝随したがふべからず。また古人、道のために道を求む。今の人は名利のために求む。名のために求むるは求道の志とせず、求道の志は己を忘るる道法なり」

と。

罵ったように、軽く見たように思う人は間違いであろう。

「それ秘蔵の興廃は唯汝と我なり」
と言ってます。

六大法界体性所成の身は、無障無礙にして互相に渉入相応し、常住不変にして同じく実際に住せり。六大無礙にして常に瑜伽なり。無礙とは渉入自在の義なり。常とは不動、不壊等の義なり。瑜伽とは翻じて相応という。相応渉入はすなわちこれ即の義なり

念仏するひと、修験するひと、書を学ぶひと、どれも危うい

室戸岬の先端
御厨人窟から見える風景

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御厨人窟は青年であった弘法大師がこの洞窟に居住したと伝えられている。この洞窟から見える風景は空と海のみで、ここから「空海」の法名を得たとされる。

また、神明窟で難行を積んだと伝えられる。難行の最中に明星が口に飛び込み、この時に悟りが開けたと伝えられている。

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