日本人の祖先は、約7万年前(±1.3万年)にヨーロッパ人と分岐して発生したことは、DNA人類進化学(宝来ら)の研究成果であった。
では、いつ頃、いかなるルートで日本列島に到来したのであろうか?。
この辺りになると、
1.人骨の発見
2.気候変動
3.石器・遺跡の発掘
など総合的に類推するほかに方法がないようで、諸説もろもろのようだ。
勝手ながら、事実と推測を分離しながら以下に書いてみる。
1.動物考古学によれば、日本最古の犬は、神奈川県夏島貝塚でみつかった紀元前7000年〜紀元前6700年頃の骨。
2.日本の北海道犬の遺伝子は、本州在来犬とも韓国・樺太の犬とも異なるが、沖縄の琉球犬に近い。
3.過去の気温変化
10万年程度の周期があるミランコビッチ・サイクルといわれる10万年、4万年、2万年のサイクルがある。(現在は間氷期で上昇している期にあたる)
最終間氷期:14万年前から温度が急上昇し13万年まえに最高になり、8万年まえまで高温期があった
最終氷期:1万年前から8万年前までは気温が数度低い氷期があった。4から5万年前にはスンダランドがあった。
1.8万年前が最終氷期の最寒気であった。このころは黄海も陸上にあり東シナ海の多くも陸地であった。
その後、温暖化が進み、紀元前6000年頃が縄文海進のピークであり、縄文遺跡は、海抜4から5m以上(当時の海辺)のあった。
4.稲のルーツ
遺伝子研究により、ジャポニカ米の起源地は揚子江の中・下流である。インディカ米とは、起源が異なる。
熱帯ジャポニカの遺伝子をもつものが、昔日本に広く分布していた。これが淘汰されて、平安以降になくなっていったらしい。
3000年前の稲とヒエが三内丸山の東の風張遺跡から見つかっており、これも熱帯ジャポニカの可能性があるとのこと。岡山では、約6000年前の縄文遺跡に土器の胎土中にジャポニカ米が発見されている。栽培が行われていたか??
日本はヒエと米の文化圏があったのかもしれない。
9000年前からヒエが北日本の遺跡にあり、5000年ぐらい前から栽培ヒエの種類が卓越してくる。縄文海進の後、6000年前からヒエが栽培され始めた可能性がある。粟やキビは4000年前あたりに日本に到来した可能性がある。
中国には、黄河の粟文明と揚子江の米文明があったのかもしれない。温暖な長江の米文明は、春秋戦国時代(紀元前770から221年)の混乱を経て北の文明に支配されてしまう。
5.土器のルーツ
中国の南で土器が出現するのが12000年前。日本では、九州の上野原遺跡のように9000年前。
石器の方は、2万年前にシベリヤ系の石器文化が入っている。
6.沖縄の港川人
約18000年前の人骨と言われている。
要すれば、
現在より100m以上海水面が低い氷河期にシベリヤ系の石器を使う人類が日本に到来している。これは、前の記事のインディアンのベーリング海を渡る話からも、シベリヤ経由で日本人の祖先がやってきたのであろう。
気温が急上昇した1万年前以降に一挙に縄文時代にいって、人口が増加し、土器も使われたようだ。
縄文時代に揚子江付近から米が渡来しており、弥生人の一部は、朝鮮半島経由か沖縄経由のいずれかのルートで日本に来たようだ。
北方系の石器人(アイヌや蝦夷の祖先)と南方系栽培縄文人(琉球、熊襲の祖先)が混血し、その後、渡来系弥生人がやってきて、古墳時代にも混血が続いたようだ。氷河期にシベリヤ経由と南方スンダランド経由の先住民がまず渡来し混血し、その後半島など経由して弥生時代の混血があったのではなかろうか。
日本の言語は混合言語らしい。現在、主流の見解は、南島語を基層とし、アルタイ系言語が上層として重なって日本語が形成されたとするものだが、言語学者の川本崇雄は、逆にアルタイ系言語が基層で南島語が上層言語であったと主張する(1990)。 最もラディカルな日本語アルタイ単独起源説を主張する、ロシアの言語学者、S. スタロスティン(2002)ですら、南島語の基礎語彙への浸透を認めていることから分かるように、古代日本語の形成に南島語が重要な役割を演じたことについては、多くの論者が同意している。