石人石馬と岩戸山古墳

日本で古墳の外表に飾り立てた石造彫刻の総称。人物および馬形のほかに,甲冑,盾,靫(ゆき),大刀,壺,蓋(きぬがさ)などの器物および鶏をかたどったものがある。もっぱら阿蘇溶結凝灰岩を材料として作り,赤・青・白などの簡単な彩色をのこすものがある。分布は九州北半に集中し,福岡県に岩戸山古墳など3ヵ所,熊本県にチブサン古墳など9ヵ所,大分県に臼塚古墳など2ヵ所がある。ほかに鳥取県石馬ヶ谷(いしうまがたに)古墳にある石馬(角セン安山岩製)を,特例としてこのうちにふくめる。

石人石馬が出土した古墳

石馬谷古墳(鳥取県米子市) – 石馬(国の重要文化財)
岩戸山古墳(福岡県八女市) – 石人・石馬・石鶏・石猪・石盾・石壺・石刀・石靫・石蓋(国の重要文化財)
乗場古墳(福岡県八女市) – 石人
鶴見山古墳(福岡県八女市) – 石人(国の重要文化財)
石人山古墳(福岡県八女郡広川町) – 石人(国の重要文化財)
石神山古墳(福岡県みやま市) – 石人(国の重要文化財)
臼塚古墳(大分県臼杵市) – 石甲(国の重要文化財)
下山古墳(大分県臼杵市) – 石甲
チブサン古墳(熊本県山鹿市) – 石人
三の宮古墳(熊本県荒尾市) – 石人
江田船山古墳(熊本県玉名郡和水町) – 石人

主として阿蘇溶結凝灰岩が使われるが、鳥取県石馬谷古墳のものは角閃石安山岩が使われていた。

石人石馬が種類・数ともに最も多いのは八女古墳群の岩戸山古墳で、人・動物・器財あわせて100点以上が掘り出されている

筑紫君磐井は527(継体21年)に継体天皇が近江臣毛野が6万の軍勢を率いて、朝鮮半島の任那へ援軍を向かう際に、これを阻止せんと北九州一帯の軍勢を率いて交戦。翌年、物部麁鹿火(もののべのあらかい)と戦い敗北して戦死、もしくは「筑後国風土記」逸文によると、豊前の上膳県へ逃亡したといわれています。

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