北史 倭国伝
倭國在百濟、新羅東南、水陸三千里、於大海中依山島而居。魏時、譯通中國三十餘國、皆稱子
任那
任那は崇神天皇の時代に来倭した大加羅国王子の都怒我阿羅斯等、別名蘇那曷叱知が帰国した
倭国・俀国
蓋国は鉅燕の南、倭の北にあり、倭は燕に属す。 「山海経」 成王の時、越常雉を献じ、倭
好太王・広開土王 碑文
廣開土王、(好太王)は高句麗の王。374年生~412年没。391年即位。 廣開土境平安好太王と、
魏志倭人伝
魏志倭人伝 倭人は帯方の東南大海の中にあり、山島に依りて國邑をなす。旧百余國。漢の時
遠の朝廷と万葉集
万葉集に8例が認められる。 「遠の朝廷」とは、大伴家持が「越」を詠んだ二首を除けば、す
周と燕の時代の倭人
倭人について、 「周時天下太平 倭人來獻鬯草」(異虚篇第一八) 周の時、天下太平にして
倭国と日本国
「倭国」から「日本」へ 『隋書』卷八十一 列傳第四十六 東夷 俀國で記述される607年に俀國