吉野の国神、吉野首、井光

古事記より

 その八咫烏の後より幸行(い)でませば、吉野河の河尻に到りましき。時に筌(うへ)を作りて魚(な)を取る人あり。ここに天つ神の御子、「汝(いまし)は誰(たれ)ぞ」と問ひ給へば、「僕(あ)は国つ神、名は贄持之子(にへもつのこ)といふ」と答へ申しき。 これは阿陀の鵜飼の祖(おや)。 そこより幸行でませば、尾ある人井戸より出で来たりき。その井に光あり。ここに「汝は誰ぞ」と問ひ給へば、「僕は国つ神、名は井氷鹿(いひか)といふ」と答へ申しき。 これは吉野首(よしのおびと)らの祖なり。すなはちその山に入り給へば、また尾ある人に遇ひ給ひき。この人巖(いは)を押し分けて出でき。ここに「汝は誰ぞ」と問ひ給へば、「僕は国つ神、名は石押分之子(いはおしわくのこ)といふ。天つ神の御子幸行でますと聞きしゆゑ参向(まゐむか)へつるにこそ」と答へ申しき。これは吉野の国栖の祖。 その地より踏み穿ち越へて、宇陀に幸行でましき。

贄持之子   (阿陀の鵜飼の祖)      ①苞苴担之子(にえもつのこ)
井氷鹿    (吉野首の祖、生尾)      ②井光(ゐひか)
石押分之子(吉野の国栖の祖、生尾)   ③磐排別之子(いはおしわくのこ)

上段は古事記、下段は書紀

金峰山寺や桜本坊に伝わる『日雄寺継統記』、旧家に伝わる「吉野本族起立系譜」によれば、「敏達朝ノ頃、百済ノ王子落来テ部民首ニ頂ク」という記事があるという。

『新撰姓氏録』
吉野連の項には、
「加弥比加尼(かみひかね)の裔(すえ)で神武天皇が吉野で召して問い給うた白雲別神(しらくもわけのかみ)の女(むすめ)である。名は豊御富(とよみほ)と申していたが天皇は水光姫(みひかひめ)と名付けられた。今の吉野連が祭る水光神(みひかのかみ)これである」

吉野眞人の項には、
「大原眞人同祖」とあり、この大原眞人の項には「出自謚敏達孫百濟王也(おくりなはびたつのひこくだらのみこよりいづ)。續日本紀合(しょくにほんぎにあへり)。」とあり、「吉野本族起立系譜」の記事との関連が窺える。

吉野連
『続日本紀』によると、吉野連氏の一族には吉野連久治良、『続日本後紀』では、吉野連豊益、吉野連直雄がいたことがわかる。
豊益は外従五位下の官位で吉野郡大領の地位にあったことも知れる。

『新撰姓氏録』吉野連の記事
「加弥比加尼之後也。謚神武天皇行幸吉野。到神瀬。遣人汲水。使者還曰。有光井女。天皇召問之。汝誰人。答曰。妾是自天降来白雲別神之女也。名曰豊御富。天皇即名水光姫。今吉野連所祭水光神是也。」

『書紀』には、天武十二年冬十月五日に、「吉野首など十四氏に姓を賜って連といった」という意味の記事がある。

『日本書紀』天武十二年の記事
「冬十月乙卯朔己未。三宅吉士。草壁吉士。伯耆造。船史。壹伎史。娑羅羅馬飼造。菟野馬飼造。吉野首。紀酒人直。釆女造。阿直史。高市縣主。磯城縣主。鏡作造。并十四氏。賜姓曰連。」

 三世孫倭宿禰命について『勘注系図』は次のように記す。
『またの名御蔭命(みかげのみこと)、またの名天御蔭志楽別命(あめのみかげしらくわけのみこと)、母伊加里姫命(いかりひめのみこと)なり。神日本磐余彦(かむやまといわれひこ)天皇【神武】御宇參赴(まいりおもむき)、しこうして祖神より傳へ来る天津瑞神寶(あまつみずかんだから)(息津鏡・邊津鏡是也)を献じ、もって仕え奉る。彌加宜社(みかげしゃ)、祭神天御蔭命、丹波道主王之祭給所也
この命、大和國に遷坐(うつりいます)の時、白雲別(しらくもわけ)神の女、豐水富命(とよみずほのみこと)を娶り、笠水彦命を生、笠水訓宇介美都(かさみずよむうけみず)』

次は丹後風土記残欠の一部である。
『笠水訓字宇介美都 (笠水をウケミズと読む)一名、真名井、白雲山の北郊にあり(中略)傍に、祠が二つある。東は、伊加里姫命、或いは豊水富神と 称す。西は、笠水神即ち、笠水彦命笠水姫命、の二神。これは、即ち 海部直たちの斎きまつる祖神である』

『勘注系図』が、倭宿禰の妻を、白雲別神の娘、豊水富(とよみずほ)命とする
豊水富を白雲別の娘という伝承は『新撰姓氏録』にもある。
『神武天皇、吉野に行幸(い)でまして、神瀬(かみのせ)に到りて、人を遣して、水を汲ましめたまひしに、使者還りていはく、「井に光る女あり」といふ。 天皇、召して問ひたまはく、「汝は誰人ぞ」とのたまふ。答へてもうさく、「妾(わらわ)はこれ天より降り来つる白雲別神(しらくもわけのかみ)の女(むす め)なり。名を豊御富(とよみほ)といふ」とまうす。天皇、即ち水光姫(みひかひめ)と名づけたまひき。今の吉野連が祭れる水光神これなり。』

 海部氏の倭宿禰は、神武が大和王権を樹立した時、大和に赴き神宝を献じて神武に仕えたとする。その大和に居たとき娶ったのが、白雲別の娘、豊水富(とよ みずほ)または豊御富(とよみほ)である。そして『勘注系図』の注記は、豊水富の亦の名を井比鹿(いひか)とする。これは『日本書紀』神武記で、神武が吉野で名を問 うた時答えた「井光(いひか)」と同じである。

またこの白雲別と水光姫命を祭る神社が葛木にある。長尾神社である。(住所:奈良県北葛城郡当麻町長尾)