1.県が近畿天皇家下の行政制度であったとしたら、なぜ畿内が「県の最多密集地」でないのか (古田武彦氏)
2. 九州と畿内に多いのに、なぜ、中四国 (南海道、山陽道)に少ないのか。
3. 出雲や四国になぜ無いのか?吉備には多いのに、播磨、阿波、讃岐、伊予に無いのか?
讃岐では、記紀には見当たりません。
但し、三木郡(現在の三木町)に小屋県主の存在が確認できること(『日本霊異記』)、また多度郡と那珂郡に因支首(いなぎのおびと、善通寺市稲木町)が居住していたことから、この地域に県稲置の存在が推測される程度です。
畿 内
倭 菟田(又菟田下 神武紀)
葛※城(推古紀)
春日(綏靖紀)
磯城(綏靖記・同紀・安寧紀・懿徳紀、孝昭紀・孝安紀・孝元紀)
高市(神武紀・天武紀)
猛田(神武紀)層富(神武紀)
十市(孝安紀)山辺(延喜式祝詞)
山代
栗隈(仁徳紀)鴨(姓氏録天平元年貢進解)
河内
河内(安閑紀)茅淳(崇神紀・雄略紀)三野(清寧紀・延喜式神名帳)志貴(安康紀・延喜式神名帳)三島(安閑紀)猪名(仁徳紀)紺口(姓氏録)東海道
伊勢 度逢(神功紀)佐那(神代記・開化記・儀式帳)川俣(儀式帳・続日本後紀)安濃(儀式帳)壱志(儀式帳)飯高(儀式帳)
尾張 年魚市(万葉集)
東山道
近淡海
犬上(姓氏録)
牟義郡 鴨(延喜式神名帳、大宝二年戸籍)
山陰道 (不明) 丹※波(開化記)
北陸道 三国 坂井(釈日本紀述義九上宮記)
山陽道 吉備 上道(応神紀)三野(応神紀)織部(応神紀)磐梨(姓氏録)川嶋(応神紀)苑(応神紀)波区芸(応神紀)仲※県(三代実録)
周防 沙麼*(神功紀)
南海道
讃岐 小屋(日本霊異記)
西海道
筑紫
儺(仲哀紀)伊覩(仲哀記・神功紀)崗(仲哀紀)水沼(景行紀)山門(神功紀)八女(景行紀)上妻(公望私所引筑後国風土記)松浦(景行紀・神功紀)嶺(雄略紀)
豊
長狭(景行紀)直入(景行紀)上膳(公望私所引筑後国風土記)
火
高来(景行紀)八代(景行紀)熊(景行紀)佐嘉(肥前風土記)
日向
諸(景行紀)子湯(景行紀)
(不明)対馬(又は上・下に分つ 神代紀・顕宗紀)壱岐(顕宗紀)加士伎(正倉院文書)曾(正倉院文書)
娑麼*(さば)の麼*は、麼(ば)の別字。「県の分布表」
井上光貞「国造制の成立」史学雑誌 第60編第11号、昭26・11月
県・県主名を記すもの
畿 内 倭 =菟田(神武紀)春日(綏靖紀)猛田(神武紀)層富(神武記・正税帳・続日本紀・三代実録)山辺(続日本紀・神名帳・三代実録)十市(孝霊記・同紀・正税帳・神名帳・三代実録)高市(神代記・天武紀・神名帳・式祝詞・三代実録)磯城(綏靖記・懿徳紀・神武紀・綏靖紀・安寧紀・懿徳紀・孝昭紀・孝安紀・孝元記・天武紀・正税帳・三代実録)葛城(推古紀・神明ママ帳・式祝詞・三代実録)
山代=鴨(続日本紀・貢進解・姓氏録)栗隈(仁徳紀)
河内=茅淳(崇神紀・雄略記・続日本紀・霊異記・三代実録)河内(安閑紀・姓氏録)三野(清寧紀・神名帳)志貴(雄略紀・神名帳・姓氏録・三代実録)猪名(仁徳紀)紺口(姓氏録)
摂津=三島(安閑紀・続日本紀・正税帳)東海道 伊勢=川俣(儀式帳・続日本後紀)安濃(同上)壱志(同上、続日本紀)飯高(儀式帳・続日本記ママ)雲逢(神切ママ紀)佐那(神代記・開化記、儀式帳)
尾張=年魚市(万葉集)丹羽(続日本後紀・神名帳)
東山道 近江=犬上(姓氏録)
美濃=鴨(大宝戸籍・神名帳)
山陰道 ー 丹波=丹波(開化記)
北陸道 ー 三国=坂井(釈日本紀述義・上宮記)
山陽道 ー 吉備=川嶋(応神紀)上道(同上)織部(同上)三野(同上)織部(同上)苑(同上)波区芸(同上)仲(三代実録)磐梨(姓氏録)
周防=沙麼*(神功紀)
南海道 ー 讃岐=小屋(霊異記)
西海道 ー 筑紫=儺(仲哀紀)伊覩(仲哀紀・神功紀・筑前国風土記・筑紫国風土記)崗(仲哀紀・筑前国風土記)八女(景行紀)山門(神功紀)水沼(景行紀)上妻(筑後国風土記)嶺(雄略紀)松浦(景行紀・神功紀・万葉集)
火 =高来(景行記)八代(同上)熊(同上)佐嘉(肥前国風土記)閼宗(筑紫国風土記)
豊 =直入(景行紀)長峡(同上)上膳(筑後国風土記)
日向=諸(景行紀)子湯(同上)
薩摩=曾(正税帳)加土伎(同上)
対馬=対馬(神代記・顕宗紀)
壱岐=壱岐(顕宗紀)
その他 ー 常陸 =茨蕀(常陸国風土記)新治(同上) = (但し郡と混用のもの)上田正昭「国県制の実態とその本質」歴史学研究No.230 一九五九・六