事代主、多氏

『書記』事代主神、八尋鰐になって三嶋溝樴姫、或いは云わく、玉櫛姫のもとに通い給う。そして姫蹈鞴五十鈴姫命を生み給う。
『旧事』事代主神は八尋のワニとなって、三嶋溝杭(みしまのみぞくい) の娘・活玉依姫(いくたまよりひめ) のもとへ通い、一男一女を生む

事代主命の后・阿波津媛命 伊豆の三嶋大社では阿波神。
『阿波々神社』では、阿波比賣命(天津羽羽神) 天石戸別命の御子で八重事代主命の后神。

八重事代主 ーーーー
妃、阿波津媛

安寧天皇の伯父にあたる多臣の子孫が出雲族を率いて阿波の伊月に土着

『玉藻集』(1677) や『讃州府志』(1745) には、「この山の鎮座すでに三千年に向づく」とある。 
祭神・大物主神が象頭山に行宮をおき、中国・四国・九州経営を行った。その行宮跡に大神を奉斎した。 
象頭山全体が神体山として信仰されており「御山」と呼ばれる。「御山」とは貴人の墓の事。
当初はコトヒラ(琴平)神社と称す。金毘羅様は元々ワニの神 とされ、船の守り神。

『金刀比羅宮御由緒略』
大物主大神は天照皇大神の御弟建速盞鳴命の御子に坐して、御母は刺国若姫命と申されます。大神は父命の御意志を承けて、夙に大八州の国土経営に御心をそそがれました。
『古事記』刺国大神の娘。天之冬衣神(フキネ) の妻で、大国主 (大穴牟遅神) を生む。別名は天之葺根命:あめのふきねのみこと
『古事記』によると、大国主神の父神。
須佐之男の五世の孫。父は淤美豆奴神。母は布怒豆怒神の娘・布帝耳神。
刺国大神の娘・刺国若比売を娶って、大国主神を生む。
葺根命は、のち須佐之男命の命により高天原にいたり、天叢雲剣を天照大御神に奉った。
日御碕神社で毎年冬に神職が天一山に登って行う神剣奉天の行事はこの古儀にもとづくもので、同神社小野氏はその後裔という。
■コトヒラはコトシロが訛ったもの?
■大物主神の和霊はここに祭られているが、荒霊は狭井神社に祭られている。

刺国大神、刺国

 「風土記稿」によると、日本武尊の東征後、武蔵国では知々夫のほかに无邪志(むさし)と胸刺(むねさし)の二つの国が設置されたとあります。そして、兄多毛比命が无邪志の国造に、兄多毛比命の子の伊狭知直が胸刺の国造に任命されたとあります。この出典も「旧事本紀」です。

建布都神社。  
徳島県阿波郡市場町香美字郷社本。 
祭神:建布都神、事代主神。
阿波で最も古くから知られる社。

式内社 事代主神社 阿波國阿波郡
御祭神 事代主命 合祀 大國主命
徳島県阿波市(旧市場町)にある。
吉野川の北岸。旧吉野町との境に近い場所。創祀年代は不詳。

一説に、安寧天皇の伯父にあたる多臣の子孫が出雲族を率いて阿波の伊月に土着し、祖神である事代主命と、祖母五十鈴依媛命を奉斎したという。
鎮座地の「伊月」は、「斎(いつき)」の意味で、祭神・事代主命を斎き祀る場所であるという。
また、吉野川の対岸(南岸)には、粟島という地があり、忌部氏が開拓して、粟を作った場所で、阿波の地名の起こりであり、事代主命の后・阿波津媛命を祀った八條神社が鎮座していたらしい。
その八條神社は、吉野川改修工事のため、現在は八幡の八幡神社境内に遷座している。

神社
奈良県御所市、鴨都波 (カモツワ) 神社。 
徳島県阿波郡市場町香美字郷社本、建布都 (タケフツ) 神社。
徳島県阿波市宮の本、事代主 (コトシロヌシ) 神社。 
香川県仲多度郡琴平町、金刀比羅宮 (コトヒラグウ) 事知神社。
大阪府高槻市三島江、三島鴨 (ミシマカモ) 神社。
静岡県三島市大宮町、三嶋 (ミシマ) 大社。
  

『書記』事代主神、八尋鰐になって三嶋溝樴姫、或いは云わく、玉櫛姫のもとに通い給う。そして姫蹈鞴五十鈴姫命を生み給う。
『旧事』事代主神は八尋のワニとなって、三嶋溝杭(みしまのみぞくい) の娘・活玉依姫(いくたまよりひめ) のもとへ通い、一男一女を生まれました。

秀真伝

積羽 (八重事代主神)。 
コモリの次男。 三島大明神。 
ニニキネのオオモノヌシ・コモリのコトシロヌシとなる。
ホオテミの時、弟のタケフツと共にイフキの宮にて四国24県を治める。
その後、筑紫に行ったカンタチ (アスカ君のモノヌシ) のコトシロとして、アスカの宮にも侍る。
その後は 阿波 → ハラ → ミシマ → ハラ → ミシマ → 阿波 と通い勤め、ミシマミゾクイの娘のタマクシ姫との間に、クシミカタマ・クシナシ・タタライソスズ姫を儲ける。 

建布都。タケフツ
ホオテミの時、ツミハと共にイフキの宮にて四国24県を治める

櫛玉火明命。 テルヒコ
オシホミミとタクハタチチ姫の長男。ニニキネの兄。 斎名:テルヒコ。
初めイカルガ宮、ついでアスカ宮に座す。フトタマとカグヤマツミが左右の臣を務める。
スガタ姫 (スガタ娘) → ハツセ姫 (トヨマド娘) → アメミチ姫 (カグヤマツミ娘) と后を迎えるも実子はできなかった。
アメミチ姫の兄・タクリ (カゴヤマ) の子のタクラマロを養子とするが、ハツセ姫に憎まれて追放される。 
シラニハ村に陵墓が在るという。
  

愛知県一宮市真清田町、眞墨田 (マスミタ) 神社
京都府宮津市字大垣、籠 (コノ) 神社
京都府城陽市水主宮馬場、水主 (ミズシ) 神社
京都府京都市山科区大宅中小路町、岩屋 (イワヤ) 神社
  
イフキヌシの妻のタナコ姫は、ここでイヨツヒコ・トサツヒコ・ウサツヒコを生む。 
ホホデミの時代、ツミハとタケフツがイフキの宮で二十四県を治める。
場所的には「事代が館=阿波宮」と同じである可能性が高い。
香川県仲多度郡琴平町、金刀比羅宮 (コトヒラグウ)。

菟狹津彦。宇佐都彦命。 
イフキヌシとタナコの第3子。イフキト宮に生まれ後にタケヒトの御供に筑紫の宇佐に住む。 
ウサの県主でウサコ姫の父。 
神武東征の時は宇佐のヒトアガリ屋で歓迎の御饗をする。 
神武東征が完了すると橿原に上り、タタライスズ姫を后に推薦する。

櫛甕玉。櫛御方命。天日方奇日方命(アメノヒカタクシヒカタノミコト)。 
ツミハ(八重事代主)とタマクシ姫の子。クシナシ・タタラヰソスズ姫の兄。 斎名:ワニヒコ。
ツミハ夫妻が阿波へ帰るワニ船の船内で生れる。
叔父オオタの娘のミラ姫を娶り、アタツクシネを生む。

以上 秀真伝

宣化天皇と橘仲皇女との間の皇子が十市王。

十市とは 『新撰姓氏録』は、十市県主と同族の中原系図において、十市県主は、磯城県主から分れた旨を記載する。 中原系図によれば磯城津彦の後を十市県主とする。中原が祖とする磯城津彦はスサノオー大物主(大国主)―事代主の子―鴨王の子―大日諸命は磯城でもある。

さらに 52嵯峨天皇后にたつ 多治比高子がいる。母は六人部美留女
六人部氏は京都向日町の神社の祠官を古代から勤めてきた家で、その遠祖は天照国照彦天火明櫛玉鐃速日尊であり、元伊勢の丹後籠神社では この人を事代主としている。古代において天照国照彦天火明櫛玉鐃速日尊の神裔が代々皇后にたってきた。 

さらに 中原は 多氏でもあり、古事記の太安万侶を輩出する。
古事記は太安万侶(中原)
日本書紀は舎人親王(中原)
①日本書紀舎人親王(中原)
  天武の末。弘宗王 姓を 中原真人と賜う。
  左京の人 中原真人 正基に 姓を 清原真人と賜う。その先は 「舎人  親王の末」

葛城高岡(丘・岳)宮(神渟名川天皇・綏靖天皇)のとき神八井耳命は 当時 春日郡におり、鴨王命の子・県主遠祖大日諸命を 祝となし奉仕させた。・・・
※ 大日諸命=(春日県主・武研貴彦友背命)              安寧天皇(磯城津彦玉手看尊・師木津日子玉手見命(『古事記』)の皇后は事代主神の孫にして鴨王の子たる「淳名底仲媛(淳名襲媛)」
 
豊前宇都宮流佐田氏が中原を名乗っていたことは知られている。     

事代主命 (大国主の子)→鴨王命 → 大日諸命(春日県主・武研貴彦友背命)→ 大間宿禰(春日県主)→ 春日日子(春日県主)→ 豊秋狭太彦 → 五十坂彦(十市県主)考昭時春日改称十市→大目彦(十市彦)→ 倭・彦(十市県主)中原連祖

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