大伴武日、大伴氏

天忍日
天村雲命

父:天香語山 母:穂屋姫
妃:日向阿俾良依姫 子供:天忍人、天忍男
丹波伊加里姫 子供:倭宿禰(椎根津彦、天御蔭命:海部氏系図)
子供:葛木出石姫(母:伊加里姫?)忍日女(母不明)

天忍人命

父:天村雲 母:阿俾良依姫
妃:葛木出石姫 子供:天戸目
結果的に尾張氏本流となる。
豊玉姫の弟「振魂命」の子供「天前玉命」と同一神とも

天忍男命(?−?)
父:天村雲 母:阿俾良依姫
妃:葛木劔根娘「賀奈良知姫」子供:瀛津世襲(葛木彦)世襲足姫(日置姫)建額赤

瀛津世襲
父:天忍男 母:賀奈良知姫
孝昭天皇の后に妹「世襲足姫」がなり6孝安天皇の外戚的存在となり、孝昭天皇朝大連との記録もある。尾張氏として初めて記紀記述ある。別名「葛木彦」尾張氏祖とされている

世襲足姫(?−?)
父:天忍男 母:賀奈良知姫
夫:5孝昭天皇 子供:天足彦国押人(和邇氏祖)6孝安天皇
尾張氏として初めて天皇妃となった。(記紀)

垂仁天皇朝~景行天皇朝。
「連」姓。
「建日」とも記される。父は大伴豊日。
子に大伴武以がいる。

垂仁天皇25(紀元前5)年に、
武渟川別(阿倍氏祖)、彦国葺(和珥氏祖)、
大鹿島(中臣氏祖)、物部十千根(十市根、物部氏祖)らと共に、大伴武日は、垂仁天皇から祭祀に関する詔を下される。

景行天皇40(110)年、日本武尊の遠征に、吉備武彦と共に従軍。
甲斐国酒折宮で、日本武尊から靫部を下賜される。

さらに、戦役後には、讃岐国を下賜された、と伝えられる。

古代讃岐石神祀

仲多度郡北村 村社皇美屋社は『『神櫛王』』に随従してきた『大伴武日』を祀ると伝えている。

 三代実録に貞観三年十一月十一日に大伴武日の子孫の『倭故連』は、第十九代允恭天皇(412~453)の時、国造に任ぜられたとある。その後裔の佐伯氏から弘法大師が出ている。大伴氏が讃岐に来たのは、日本武尊が東夷を征伐した時の捕虜を讃岐に置き、その長官として三豊郡五郷村海老済に住み、その子孫は、西讃に繁栄した。

吉備武彦もまた『神櫛王』の悪魚征討に従属の将と云い、仲多度郡高篠村 村社富隈神社に祀られている。 -縣神社史より

垂仁紀25年2月紀には、「武日」は大伴連の遠祖とあります。
景行40年7月紀では、大伴武日連をヤマトタケルの東征に随行させます。
同10月紀では、靫部(ゆけいのとものお)を大伴の遠祖である武日に賜った、とあります。

大伴の 遠つ神祖の その名をば
 大久米主(おおくめぬし)と 負ひ持ちて
 仕へし官 海行かば
 水漬く屍 山行かば
 草生す屍 大君の 辺にこそ死なめ

「古語拾遺」(斎部広成いんべのひろなり、大同2(807)年)

 天地が分かれ、初めに生まれた神は天之御中主神である。
子に三男があり、長男は高皇産霊神、次男は津連産霊つのむらじむすひ神、三男は神産霊神である。
神産霊神は紀直の祖。津連産霊神は天児屋命・中臣朝臣の祖。
高皇産霊神の生んだ女が栲幡千千姫たくはたちちひめ命で天祖天津彦尊の祖神である。
その子に二男があり、一神が天忍日あめのおしひ命、一神が天太玉あめのふとだま命である。
天忍日命は大伴宿禰の祖、天太玉命は斎部宿禰の祖。
 天太玉命は天日鷲あめのひわし命、手置帆負たおきほおい命、彦狭知ひこさち命、櫛明玉くしあかるたま命、天目一箇あめのまひとつ命をひきいた。
天日鷲命は阿波国忌部等の祖。手置帆負命は讃岐国忌部の祖。
彦狭知命は紀伊国忌部の祖。
櫛明玉命は出雲国玉作の祖。
天目一箇命は筑紫・伊勢両国忌部の祖。

「伊勢国風土記、逸文」度会郡、爰に、大国玉の神、弥豆佐々良姫命を資し参来て、土橋の郷の岡本の邑に迎え相ひき。天日別命、観地に出でて参り会ひて曰ひしく、「刀自に渡り会ひつ」といひき。因りて名となす。

「日本書記、神武即位前紀」菟狭国造の祖の勅をもって菟狭津媛を以て侍臣の天種子命に賜り妻とさせる。天種子命は是、中臣氏の遠祖なり。

兄多毛比命とは大伴の武日のことか?
同世代ですね。
「兄多毛比」の児とされる4人が、胸刺(武蔵)、波伯(鳥取西部)、大嶋(周防大島)、菊麻(上総市原菊間)の国造に任じられています。

氷川神社とヤマトタケル
 氷川神社の創建は社伝によると孝昭天皇3年4月となっている。孝昭天皇3年が西暦何年かは不明で、社伝では景行天皇の御代、日本武尊は東夷鎮圧の祈願をし、成務天皇の御代、出雲族(兄多毛比命)が当地に入植し、素戔嗚尊を祀ったという。聖武天皇の御代、武蔵一宮になったという。
 これらの内容から推察すると、氷川神社の創建は景行天皇の倭国統一と密接に関係があり、天皇にとっては東夷鎮圧のため、服従者にとっては大和帰属のために建てたものではないか。

本来の社家(丈部氏)が200年間くらいで追放された?

一般的に祭祀を司る氏族はその氏族の先祖を祀るのが常道で、氷川神社の場合その氏族は丈部氏だったと思う。丈部氏が兄多毛比命の子孫で出雲族として素戔嗚尊を祀ったというのならそれはそれで理由があるが、兄多毛比命は天穂日命の子孫で素戔嗚尊とは直接関係ないか?

 似たような経歴を持つ神社として、
 1.出雲伊波比神社(埼玉県入間郡毛呂山町)があり、景行天皇の御代、日本武尊が東征の帰途この地に立ち寄り、出雲の大己貴命を祀ったという。また、成務天皇の御代、武蔵国造兄多毛比命が天穂日命を祀ったという。ちなみに、神社の造営者は大伴氏の祖武日命という。

出雲族(兄多毛比命)を入植させたみたいですね。
先代旧事本紀に
「天忍日命 大伴連等祖 亦云 神狭日命」
とあるではありませんか。(巻1・神代本紀)「天忍日命」が大伴連等の祖ということは古事記にも日本書紀(第4の一書)にも天孫降臨の段に出ていることで、先代旧事本紀がその異名をも伝えていたわけです。神狭日となっているので、神狭命=エタモヒとは違うのでしょうか?

阿波国造
13成務 千葉県安房
安房 天穂日命の八世孫彌都侶岐命の孫
大伴直大瀧 大伴直大瀧
安房の膳大伴部の管理者

13 成務天皇 131 神狭日命 阿波の国造を命じられる

神傍神社
足羽郡に十三社あった式社の一つ
神傍と書いて「かみそひ」と呼ぶようです。ここの祀られている神様は「神狭日命」という神様です

武日命(?-?)
①父:豊日 母:不明
②道臣の7世孫。
③記紀記事:11垂仁朝に阿倍臣遠祖「武渟川別」和邇臣遠祖「彦国葺」中臣連遠祖「大鹿嶋」物部連遠祖「十千根」と共に、厚く神祇を祭祀せよとの詔を賜る。
景行朝に、日本武尊の東征に吉備武彦と共に従い、その功により、靫負部を賜る。
 
・大伴連武持(?-?)
①父:武日 母:不明
②子供:室屋、諸説ある。室屋までに佐彦、山前などが入っている系図もある。
③14仲哀朝の四大夫。伴氏系図では「初賜大伴宿禰姓」とある。
「大連」となったとの記事もある。
 
2-1)大伴連室屋(???-???5世紀)
①父;大伴武持 母;不明
②新撰姓氏録では、天忍日の11世孫、道臣の7世孫。となっている。子供:談、御物(異説あり)
③19允恭大王時、衣通郎姫のため藤原部を定める。大伴氏の実在がはっきり信じられる のは、室屋以降である。
④21雄略大王即位に伴い、物部連目と共に”大連”となる。
⑤21雄略崩御後、「東漢直掬」に命じ兵を起こし、「星川皇子の乱」を鎮圧。
⑥22清寧大王時 、子供のいない22清寧の名を遺すため、諸国に白髪部舎人、膳夫(かしわで)等を置く。
25武烈大王まで5代にわたり、大連として政権を掌握した。   
一説に、大伴氏の本来の職掌は、「部」の設置にあったという(直木孝次郎氏)
 
 
2-2)大伴連談(カタリ)(???-雄略9年)
①父;大伴室屋 母;不明
②子供;「金村」 「歌」(佐伯氏祖ーーー9代後 僧「空海」***)
③21雄略9年 紀小弓、蘇我韓子らと共に新羅討伐を命じられ遠征。
現地で戦死。

天忍日命

別名
神狭日命:かむさひのみこと
天押日命:あめのおしひのみこと
……
邇邇芸命の天孫降臨において、天津久米命と共に天之石靫を取り負い、頭椎の太刀を取り佩き、天のはじ弓を取り持ち、 天の真鹿児矢を手挟んで先導した神。
大伴連の祖。

『古語拾遺』では、高皇産霊神の娘・栲幡千千姫の子で、大伴宿禰の祖。
また、太玉命、瓊瓊杵尊と同母兄弟とある。

天忍日命 を祀る神社

大伴神社 長野県佐久市望月字御桐谷227
住吉大伴神社 京都府京都市右京区龍安寺住吉町1
日置神社 富山県中新川郡立山町日中65
宇都可神社 三重県伊賀市内保
越知神社 福井県福井市河水14-22
爾佐神社 島根県松江市美保関町千酌1061
安房神社 下の宮 千葉県館山市大神宮589
下立松原神社 千葉県南房総市白浜町滝口1728
日前國懸神宮 境内 國懸宮末社 和歌山県和歌山市秋月365

天忍日命を祭神とする神社は少なく、降幡神社(大阪府南河内郡河南町)、油日神社(滋賀県甲賀市)、矢保佐神社(長崎県壱岐市)などに祀られている。三重県伊勢市の上社では、天忍漁人命(あめのおしあまのみこと)として天忍日命を祀る

伴林氏神社
伴林氏神社(ともはやしのうじじんじゃ)は、大阪府藤井寺市林(かつての河内国志紀郡拝志郷)に鎮座する神社である。 祭神. 高皇産霊神を主祭神とし、大伴氏の祖神である道臣命(みちのおみのみこと)・天押日命(あめのおしひのみこと)を配祀する。

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