履中天皇、鯽魚磯別王、讃岐の鷲住王

讃岐国造(讃岐)

讃岐国造
国造本紀によると応神天皇(15代)の時代、景行天皇(12代)の皇子・神櫛皇子(かんぐしのみこ)の3世孫で針間国造と道祖の稲背入彦命の兄である須賣保禮命(すめほれのみこと、須売保礼命)を国造に定めたことに始まるとされる。国造氏族は讃岐氏で、敏達天皇の時代には凡直(おおしのあたい)姓を賜姓され、直流は讃岐公、讃岐朝臣に改賜姓し、嫡流は京都に移り和気朝臣に改賜姓したという。
また神櫛皇子は新撰姓氏録では五十香彦命の別名・神櫛別命とされ、日本書紀では讃岐国造の始祖、古事記では神櫛王と書かれ、木国(紀国)酒部の阿比古と宇陀の酒部の祖とされている。

景行天皇─ー神櫛別命(神櫛王)──千摩大別礼命─〔讃岐国造〕須売保礼命─ー鮒魚磯別王──鷲住王──田虫別乃君──吉美別乃君──油良主乃乃君

景行天皇と五十河媛の間の子、神櫛皇子が讃岐國造の始祖なり(書紀巻7)三世、須売保礼命の子が鯽魚磯別王とされる。

鷲住王は、讃岐と阿波の海部の祖であり、相撲の神ともいわれる力持ちの自由人であった。
鯽魚礒別王(フナシワケ)の子供と言われ、妹の二人「太姫朗姫(フトヒメノイラツメ)」と「高鶴(タカツル)朗姫」は履中天皇の妻となっている。鷲住王が「恆に住吉邑に居り」とあるが、履中天皇は鷲住王を召したが行方が分からず、召すのを諦めたとある。行動的で、讃岐、阿波、土佐方面の海部の村々で活躍している。

履仲紀に「六年二月癸丑朔、喚鮒魚磯列王之女、太姫郎姫、高鶴郎姫、納於后宮、並為嬪、於是二嬪恒欺之曰、悲哉吾兄王何處去耶、天皇聞其欺而問之曰、汝何欺息也、對曰、妾兄鷲住王、為人強力軽捷、由是獨馳越八尋屋、而遊行既経多日不得面言、故欺耳、天皇悦其強力、以喚之不参来、亦重使而召猶不参来、恒居住吉邑、自是以後廃不求、是讃岐国造、阿波国脚咋別、凡二族之始祖也」

冨隈神社
(丸亀市 綾歌町 富熊)
祭神 國之狭槌尊
由緒
第十七代履中天皇在位中 景行天皇 皇子 鯽魚磯別王の子 鷲住王 富熊に在住し その子孫高木某 初代の祖先である。文明十二年(1480年)高木隼人、祖先をまつる廟を再建し、祭祀が続いていたが、戦火にあい衰退していった。天正年間(十六世紀)近江國山本与惣左衛門義篤(足利氏の臣従五位下対馬守)の子 山本与惣左衛門義重、讃岐國富熊に居住を定め、故郷近江より、八王子大明神を迎えて、合祀社殿を再建文禄二年(1593年)産土の神とした。安永八年(1779年)山本与惣兵衛正義は、内海氏と改め八王子大明神を崇拝しつつ、その傍らに祖先を奉る廟を建て、以後その子孫は、裔々祭祀を行っている。以来八王子大明神と称されてきたが、明治初年(1868年)神仏分離により、富隈神社と改め、村社の社格をもち、現在郷土の氏神として崇拝されている。

櫛梨神社 
神櫛王命を祀る。
社伝によれば、「景行天皇の命を受けた神櫛皇子が、大魚(海賊の比喩か)を討つために土佐から、舟に乗って当地へ来た時、雲が厚く、雨が降り、何も見えない状態になった。そこで、皇子は小山に登り、天に乞うたところ、天から火が降りて来たという。皇子はそこに舟をとどめ、祓戸神(磐船大明神)を祀った。また、当地の神を祀るため、翁に、この地の神についてたずね、大麻神・大歳神、更に、山下明神・諏訪明神を祀った。さらに、船装束する時に、経津主神・武甕槌神(赤坂大明神)を祀った。その後無事に、大魚を討ち取って当地に城山を築き、国造となった。仲哀天皇8年(199)9月15日。120歳で亡くなった皇子を櫛梨山に葬り廟を建てて祀ったのが当社の起源。国人、その遺命を奉じ、櫛梨山に葬り、廟を建てて奉斎し、皇宮大明神という」とある。

ホツマツタエ
によると、櫛梨は櫛御方命(クシミカタマ、天日方奇日方命とも)の弟です

ツミハとタマクシ姫の第2子。 
斎名:ナカヒコ。クシミカタマの弟。

積羽八重事代主と玉櫛姫命(三島溝咋の娘)が生んだのが櫛梨です。

『遂に因みて ミゾクイの タマクシ姫も 孕む故 ワニ 乗り 阿波へ 帰る内 生む子の斎名 ワニヒコは クシミカタマぞ 次の子は 斎名 ナカヒコ クシナシぞ 青垣殿に 住ましむる』27文
『後にクシナシ 神となる 母に請われて ヲシカ 棄つ  故にツクシの 御幸 請ふ』27文

大神神社。 
奈良県桜井市三輪。 
祭神:大物主大神。 配 大己貴神、少彦名神。

★琴平町には上櫛梨・下櫛梨と言う地名まで残っています。更に、こんぴら参りの歌に「讃州那珂の郡」とあるように江戸時代までは金刀比羅宮は那珂郡に位置しており、これも「ナカヒコ」と言う名に関係していると思います。また徳島県の島津彦神社を祀る「長氏」がツミハヤヱ事代主の子孫と言われているのも同じくナカヒコと深く関係していると思われます。

若建王が、飯野の真黒比売と結婚して 生まれたのが、須売伊呂大中つ日子王で、

この王が 近江の柴野入杵の娘の柴野比売と結婚して 生まれたのが、
迦具濾比売命(かぐろひめのみこと)です。

大帯日子の天皇が この迦具濾比売命と結婚して 生まれたのが、大江王です。

この王が 庶妹銀王と結婚して 生まれたのが、大名方王と大中比売です。

そして、この大中比売命は、香坂の王・忍熊王の母になります。