『先代旧事本紀』
「神代本紀」 天金山の銅を鋳造して日矛を造ったがこの鏡は少々不出来だったので紀伊国に坐す日前神とした。別に鏡を造り伊勢の神とした。
「国造本紀」 神武朝に神皇産霊命の五世孫の天道根命に、木ノ国造を賜う。
『先代旧事本紀』天神本紀によれば高天原から葦原中国へ降臨する事となった饒速日尊の護衛として付き従った32神の1柱で、同書国造本紀や紀伊国造家が伝える『国造次第』によれば神武天皇によって初代の紀伊国造に任じられた
『紀伊国造系図』によれば、天道根命は天照大神の天岩戸隠れに際して石凝姥命によって鋳造された日像鏡と日矛の2種の神宝を高天原の神々から託され、高天原においてこれを天照大神の「前霊(さきのみたま)」として奉斎していたが、天孫降臨に際して天照大神から三種の神器とともにこの2種の神宝を聖なる鏡、聖なる矛として授かった天津彦彦火瓊瓊杵尊に随従して同尊とともに日向に降臨、降臨後も引き続いてこれらを奉斎していたが、後に神武天皇の東征に際して天皇からそれらを鎮座させるべき地を探すよう改めて託せられ、東征軍とは別に諸国の浦々を遍歴して遂に紀伊国賀太浦に到着、そこより木本郷(現和歌山市木ノ本)へ移って暫時滞在し、その後更に毛見郷舟着浦に移って同地の海中に聳える奇岩上に行宮を建てて奉斎するとともに神武天皇の武運と寿命長久を祈念することとなったといい、次いで神武天皇が東征の途次に竃山(現和歌山市和田)に来着すると神宝の鎮座地の実地検分を求め、現地へ赴いた天皇から選定地の妥当なることを誉められて引き続き天下平定を祈念するよう命じられ、その後天皇が大和国橿原の地で即位すると祈念の功を賞されて紀伊国を授かり、子々孫々に亘って国造職を継承するよう命ぜられたため再度紀伊国へ下向、現地の神の女である地道女命を娶って比古麻命を儲け、以来その子孫が国造として日前・国懸両神宮を奉斎するよう受け継いだといい、最後に「神皇産霊尊の時より神武天皇の御宇に至る」まで在世した「長寿の神」であったと結ばれている
『古語拾遺』に日前宮の祭神は天岩戸隠れに際して三重県伊勢市の皇大神宮の祭神たる日像鏡(所謂八咫鏡)に先んじて鋳られた日像鏡で、鋳造神(石凝姥命)の意に適わなかったという所伝もあり、それを併せて考えると、天道根命が意に沿わない日像鏡を奉じて饒速日尊に随従した事になり、そこには神武天皇以前に饒速日尊による東征が行われた事、神武天皇側からはそれが不本意なものであったと意識された事が暗示されている
また『紀伊続風土記』は、天孫降臨での供奉や神武天皇の東征、日前宮との関係等は全て誤伝であると斥け、『先代旧事本紀』地祇本紀に紀伊国造は五十猛命、大屋姫命、抓津姫命の所謂伊太祁曽三神を祀ると伝わるので、天道根命自体は紀伊において2種の神宝ではなくこの3神を祀っていたものであろうと説いている。
『筑前国風土記逸文』
怡土の県主らの祖五十跡手は、仲哀天皇がおいでになったと聞いて、三種の神器を賢木にかけて穴門の引島に迎えて献った。天皇の問いに、「高麗の国の意呂山(蔚山)に天から降ってきた日桙の末裔です。」と答えた。天皇は恪し(伊蘇志:いそし)なことと云われ、国の名とした。
『住吉大社神代記』
船木等本記 昔、大八嶋國に日神を出し奉るのは船木連の祖の大田田命、神田田命であり、船を三艘を造った。この船を武内宿禰に祀らした。それが紀国造が祀る志摩神、静火神、伊達神である。
天日矛と天道根
『新撰姓氏録』の大和国神別に「伊蘇志臣」があり、「滋野宿禰同祖、天道根命之後也。」となっている。紀氏の祖である天道根命は日桙の末裔とされているようだ。国懸神宮の御神体である日桙とのかかわりもあるのかも知れない。
大和国葛上郡 駒形大重神社
摂津国武庫郡 伊和志津神社
筑前国怡土郡 伊覩神社
佐那神社
伊勢船木氏の祖神は手力男神とされている。伊勢国多気郡の式内社に佐那神社があり、祭神は手力男神。佐那の地名は銅鐸を思わせる。霊威の強い神。
船木氏は紀ノ川を遡って高野山の東の県境に到った。富貴(ふき、ふふき)と言う地名の場所である。船木からの転訛だろうか。それとも精錬の吹くであろうか。精錬には風は不可欠、風の神も祀ったであろう。
船木氏の痕跡は大田田命、神田田命の名をを示す名草郡大田郷、海部郡賀太郷である。名草郡大田郷には式内大社の日前国懸神宮が鎮座、賀太郷には式内社の加太神社(淡嶋神社)が鎮座。
伊達神は伊太氏神であり、五十猛神のことである。他の神々も大屋姫、抓津姫にあてる説もある。まとめて紀伊三所神と言う。
伊太祁曽神社の創建当時は大屋彦神を祀っていた古社であった。奈良時代以前に国懸神にも天照大神を祀ることになり、従来の国懸神である日を抱く手力男神、風の級長津比古神、植樹の五十猛命三兄妹を伊太祁曽神社に遷した。
系図
楢原氏の系統については『新撰姓氏録』の右京神別の条に「滋野宿祢、紀直と同祖、神魂命五世の孫天道根命の後成」と明記されており、紀伊国造と同系であって、次の系図が伝えられている。