佐伯直、

佐伯直は、佐伯部民の管掌者。河内皇別の佐伯直も稲背入彦命の後と『姓氏録』に記されます

皇別
景行天皇の皇子、稲背入彦皇子の後裔氏族で、成務天皇の時代に同皇子の子である御諸別命が播磨国に封ぜられて以来、氏名を「針間別(はりまわけ)」とし、応神天皇が播磨国に行幸した時に、同国の佐伯部を御諸別命の子である伊許自別に伴造として管掌させるとともに、「針間別佐伯直」と改賜姓したが、天智天皇9年(670年)の庚午年籍作成に際して、「針間別」の3字を除いて「佐伯直」と称するようになったという。

讃岐の佐伯直氏は、六国史を見ると、平安前期に空海(贈大僧正)のほか、その実弟の真雅(法師大和尚)や道雅(少僧都)、真然(僧正)、守寵(伝灯大法師)、実恵(大法師)、道雄(大法師)などの当時高名な僧を輩出している。

讃岐の佐伯直は播磨の佐伯直と同族か。景行天皇の皇子、稲背入彦命の後裔

『姓氏録』右京皇別の佐伯直条の記事が参考になります。同書によると、景行天皇の皇子、稲背入彦命の後であり、「男・御諸別命」が稚足彦天皇(謚は成務)の御代に、針間(播磨)国を中ばに分けて給わったので、針間別と号づけられ、さらに「男・阿良都命(訓はアラツ。一名は伊許自別)」が、誉田(応神)天皇に命じられ日本武尊の東国平定の際に俘(とりこ)にした蝦夷の後裔(佐伯)の管掌者となって氏を針間別佐伯直と賜ったと記されます。

佐伯は針間のほか、安芸や阿波・讃岐・伊予の五国に分散して配置されたとある。

大伴室屋大連は允恭~雄略・顕宗朝の重臣であり、その子の御物宿祢は佐伯連・林連の祖。

仁徳紀四十年条には、播磨佐伯直阿俄能古らが隼別皇子を討ったと見えます。

「国造本紀」では、成務朝に稲背入彦命の「孫」伊許自別命が針間国造を賜るとあり、御穂別命(御諸別命に当たる)の児・市入別命が針間鴨国造を賜るとあります。

みもろわけの子、阿良都命の曾孫の那賀児の子に善通という者がおり、八釣宮朝庭(顕宗天皇朝)二年に讃岐国多度郡に移住との本もあるようですが未確認。

播磨と讃岐の佐伯直の系統が共通して祭っている稲背入彦命ですが、滋賀県野洲郡中主町にある兵主神社の摂社乙殿神

空海の母については、八世紀後半に伊予親王の侍講を務めた阿刀宿祢大足の姉妹といわれますが、このことは、『続日本後紀』の承和二年三月二三日条に空海の遷化記事に「舅従五位下阿刀宿祢大足」と見えます。後世の『元亨釈書』にも釈空海の父は佐伯氏の田公で、母は阿刀氏と見えます。上記空海関係系図では、真足の子に空海母をあげ、その弟に大足をあげますが、『百家系図』巻46所収の阿刀宿祢系図では、弓張の兄弟姉妹として大足・空海母をあげます。

建部大社[たけべたいしゃ]
「日本武尊 相殿 天明玉命 権殿 大己貴命」祭神を建部氏の祖の稲依別王とする説がある。

建部君は、日本武尊の子・稲依別王から発した犬上建部君と、おなじく日本武尊の子・稚武王を祖とする近江建部君があり、どちらが、当社の創祀にたずさわったかによって、稲依別王とする説も、考えられないことではない。

上毛野国造と同祖の御穂別(ミホワケ)命の子の市入別命とあるが、『新撰姓氏録』は、景行天皇の皇子の稲背入彦 (イナセイリヒコ) 命の後。御諸別 (ミモロワケ) 命は成務天皇の代に針間国の半ばを賜り、針間別(ハリマノワケ)と号す。阿良都 (アラツ)命、一名は伊許自別(イコジワケ)命。応神天皇の代に針間別佐伯直を賜うと記している。
御穂別命は御諸別命、市入別命は伊許自別命の誤記だと思われるが、安倍氏族にも市入別命に類似した市入命がいる。ただ、兵庫県と石川県と地域が異なる。

由緒
当社は古来建部大社、建部大明神などど称え、延喜式内名神大社に列し、又近江国の 一之宮として朝野の崇敬篤く、長い歴史と由緒を持つ全国屈指の古社である。御祭神 日本武尊は御年僅に十六才にて熊襲を誅し、更に東夷を平定され、遂に三十二才にし て伊勢の能褒野に於て崩御されましたが、父君景行天皇は尊の死をいたく歎かれ御名 代として建部を定め其の功名を伝えられたことが日本書記に記されているのであるが 、これが即ち建部の起源である。
景行天皇の四十六年神勅により御妃布多遅比売命(父は近江安国造)が、御子稲依別 王と共に住われた神崎郡建部の郷(御名代の地)に尊の神霊を奉斎されたのが当社の 草創であって、その後天武天皇白鳳四年当時近江国府の所在地であった当瀬田の地に 迂祀し、近江一之宮(其の国を代表する第一位の神社)として崇め奉ったのが現在の 当大社である。

建部大社 大津市神領
日本武尊 相殿 天明玉命 権殿 大己貴命
摂社
 聖宮神社「大足彦忍代別命」
 大政所神社「播摩稻日太郎媛」
 藤宮神社「布多遲比賣命」
 若宮神社「稻依別命」
 行事神社「吉備臣武彦、大伴連武日」
 弓取神社「弟彦公」
 箭取神社「石占横立、田子稻置、乳近稻置」
 蔵人頭神社「七掬脛命」
 大野神社「草野姫命」
 稲荷神社「稻倉魂命」
 八柱神社「藤時平 合祀 融大臣、事代主命、市杵嶋姫命、素盞男命、豐玉彦命、櫛名多姫命」
 檜山神社「伊邪那美命 合祀 息長足姫命、武内宿禰、住吉大神、大山祇命」

天平勝宝7年(755年)には、大己貴命が大神神社から勧請され、権殿に祀られたという。