原初の神 瀬織津姫神 、小野神社

原初の神 瀬織津姫神

ホツマツタエでは、天照大神の正妃

瀬織津姫が封印されてきた理由は、女帝の持統天皇即位の正当性を示すために伊勢神宮に祭られていた天照大神を男神から女神に性別変更したために、男神の天照大神と並祭されてきた瀬織津姫が邪魔になったためであるとか、持統天皇のバックにいた太政大臣の藤原不比等による藤原・中臣氏の神事の邪魔になるためとされてきました。

京都の岩戸落葉神社は、岩戸社と落葉社の二社からなっています。
岩戸社は、小野上ノ町の氏神で、中世以降ここに移されたそうです
小野郷は、京都市東北部と大津市の琵琶湖西岸にもありますが、もう一ヶ所、北山杉で有名な京都市西北部の周山街道沿いにもあります。

御祭神は、女神の三神です。
・稚日女神   (わかひめのかみ)
・彌都波能賣神  (みずはのめがみ)
・瀬織津姫   (せおりつひめ)

京都市内で現在、瀬織津姫を主祭神として御祀りしている神社は、この岩戸社と、小野郷の奥にある大森加茂神社の二社だけです

武蔵国 一宮 小野神社

東京都多摩市一ノ宮にある小野神社に参拝して感じ入ったばかりだが、
小野神社は、多摩川を挟んだ北側、府中市住吉町(旧小野宮)にもある。
祭神はどちらも天ノ下春命と瀬織津姫命。
2社ある理由については、多摩川の氾濫により遷座(二分)したとの説が有力。

しかし、久々に『武蔵国一之宮 多摩市一ノ宮小野神社の変遷』
(05年、バルテノン多摩歴史)
「一之宮には小野宮から遷座の伝承はありません。」

神輿の蔵もある。大国魂神社のくらやみ祭りでは、両社の氏子が一之宮の神輿を担ぐという。
北の小野神社は多摩郡本宿村の項に載っており、やはり一ノ宮への遷座説を否定。
意訳すると、「当社は式内の神。祭神は瀬織津姫。式内小野神社は当社のことで、(一之宮は)武蔵国造十世の祖を祭って小野神社となし……小野宮は一之宮の旧跡という臆説を唱う者がいる。祭神が別であるのに、その事実を知らない」

多摩郡一ノ宮村の項には、小野神社が「一ノ宮明神社」として載る。
こちらもまた辛辣。瀬織津姫は幕末には合祀されていなかった事実を窺わせる。
「祭神は当国の国造恵多毛比命の祖である天下春命なり。後世、伝えを失って、
式内小野神社は当社なりという妄説を成すに至った。故実を失っていて惜むべし」
瀬織津姫を祀るのは多摩川北の小野神社だと、この地誌は軍配を上げている。
しかも……。

「近郷百草村の寺院・松連寺にあった、建久四年(1193)年と刻まれた経筒(※教典入れ)には、一宮別当松蓮寺とある。よってその社地は、今の地より西へ寄った岡山の上……」
別当とは神社境内にある神宮寺のこと。つまり、鎌倉時代初期以降に、
小野神社は、百草の山域から現在の社地に遷座したと『新編武蔵風土記稿』は記す。

稚日霊命は昼子(ヒルコ)、下照姫の別称があり、ホツマツタエでは、天照大神、スサノオ、の姉にあたる。古事記では、機織り中にスサノオに驚かされ、梭(ひ)で身体を傷つけて亡くなられた。(天照大神が岩戸に隠れた原因となった事件)

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龍神、瀬織津姫神

龍神・龍王と変化した「鳴滝の精霊」(滝姫)こと瀬織津姫神でした。八幡浜の龍神・龍王伝説からみえてくるのは、龍王神社の祭神が「闇御津羽神」と現行表示される不自然さです。このクラミヅハノカミという神名は、谷の水神・蛇神といった意味を表すもの
日本の神まつりにおいて、最良質の秘神として瀬織津姫という神はあります。伝説とはいえ、この神の名を伝えてきた八幡浜の信仰土壌は軽視できないものがあります。八幡浜の龍王伝説は、瀬織津姫神の祭祀空間として、千丈鳴滝あるいは鳴滝神社の存在を教えてくれています。