丹治氏
飛鳥時代に起源を発するという「宮城十二門」を護衛する氏族の一つに「丹治比氏」がある。
秩父の丹生
秩父の丹党、丹治氏は秩父市の北にある神川町の金鑽神社を中心に、荒川沿岸と 神流川・利根川の南岸にほぼ固まって繁栄した。
金鑽神社は式内社の金佐奈神社で、多摩川府中に武蔵国府が設置されてから、武 蔵六所宮の三宮として祭られた。拝殿はあるが本殿はない古式を保ち、奥に鉄分 を含んだ褐色の岩肌を磨きあげた神体の巨大な鏡石がある。
丹生神社が七社も点在した十国峠街道は、さしづめ丹生銀座と呼んでいいくらい で、入口の金鑽神社は要の位置にある
丹生神社に丹生津姫が祭られていただろうことは想像にかたくない。しかし、 丹生神社の社吊のみ遺されても、その祭神はミズハノメあるいはオカミに転じて いるという。松田壽男は大和の丹生地帯を現地調査した結果、ニウズヒメがミズ ハノメからオカミに換えられた変遷過程を見出し、秩父でも同じ変化が見られる と指摘している
金鑽神社の祭神は現在、天照大神・素盞鳴尊・日本武尊の三神が配されているも のの、金佐奈神社の吊からして金砂あるいは朱沙であったろう。神体の鏡石は実 用的な兵器農耕具に適した鉄分を含むという。
武蔵の小野氏
武蔵の小野氏はその系図に、近江国の小野氏末裔とする。そして小野神社を奉祭 した。その祭神は瀬織津姫と知知夫国造の祖神、思兼命神の十世孫天下春命であ る。近江小野氏の末を称するなら、近江坂本の小野神社のごとく小野氏の先祖で なければならない。それにも関わらず秩父の天下春命を祭ったのは、それなりの 理由があったはずである。
それを秩父牧の牧官から武蔵国司になった小野利春と小野牧の牧官から武蔵権介 になった小野諸興に求められる。共に武蔵国司として武蔵総社を奉祭する役目が あった。地元の小野神社を一宮とし、秩父の金佐奈神社が三宮に祭られていた。
一宮小野神社に天下春命が祭られたことは、秩父で天下春命を祭っていた一族と の関わりなくしては有り得ない。秩父石田牧の牧官だった小野利春こそ、秩父か ら多摩府中の小野神社へ天下春命を勧請した人物とみなすことができる。それが 武蔵の小野氏の祭神とされた理由である。
丹生とは、上記“丹”の生産やその産地を“丹生”といい、ひいてはこの生産に携わる者たちをも丹生と言ったと考えられる。
この仕事を生業(なりわい)とした者達がいわゆる「丹生族」であり、これが丹生部であろう。
土師部、壬生部、丹治比部、埴生部は丹生部民とも関連する部族だったはずである。
私は、自作の物語『真朱の姫神』の中で、
「古代ヤマトでいう丹とは硫化水銀(朱)、四塩化鉛(丹)、褐鉄鉱、赤鉄鉱、酸化鉄(赭)をいい、その生産・精錬を主に生業とする部族を丹生族といったのである」とした。
広い意味では、水銀はもちろん、金・銀・銅・鉄などの採鉱や精錬、土器製作や土木工事をも含む、凡そ土に関わるすべてに丹生部は係わっていたと思われる。