宮城十二門 氏族

天皇の住まいでもある大内裏(宮城)の外郭を囲む壁に設けられた「門」のことを一般に禁門と言い、『養老令』では「宮城門」と呼ぶと定められ、南北に各三門、東西に各四門あって東西の最も北側に設置された二つの「通用門」を除いた十二の門を古くから総称して「宮城十二門」と呼び習わしたのだそうです。
「羅城門」は内裏そのものではなく「都」の中央に敷かれた朱雀大路の南端に築かれた大門のことですが、帝の住いを廻る十二の門には、当然、護衛の兵士たちが常備されていました。
この門号を北面中央から順に時計周りに紹介すると

猪養 丹比 山部 健部 的(いくは) 壬生 大伴 若犬養 玉手 佐伯 伊福部(いふきべ) 海犬養

猪養(猪甘)部の伴造氏族といわれ、猪養氏は天足彦国押人命の後裔と新撰姓氏録にある。

イノシシ鍋をシシ鍋と言う。
『日本書紀』によると675年、天武天皇は仏教の立場から檻阱(落とし穴)や機槍(飛び出す槍)を使った狩猟を禁じた。また、農耕期間でもある4月から9月の間、牛、馬、犬、サル、鶏を食することが禁止された。ただし一般的な獣肉であった鹿と猪は禁じられていない