『後漢書』辰韓伝、『三国志』魏書辰韓伝、『晋書』辰韓伝、によると、秦の始皇帝の労役から逃亡してきた秦人がおり、馬韓はその東の地を割いて、与え住まわせ辰韓人と名づけたという。そのため、その地の言葉には秦語(陝西方言。長安に都があった頃の標準語で、この亡民が秦代〜前漢代に渡来したことを物語る)が混じり、秦韓とも書いた。秦人は王にはならず、王族は馬韓人であった。
秦の始皇帝が天下を握った221年ごろには、秦以外のすべての国々から亡命する人々がいた。滅ぼされたかっての権力者につながる人たちの多くが亡命の道を選んだのではないか。東アジアでも、『陳勝などの蜂起、天下の叛秦、燕・斉・趙の民が数万口で、朝鮮に逃避した。(魏志東夷伝)』と記されている。陳勝の農民一揆は、紀元前209年のことである。さらに、『辰韓は馬韓の東において、その耆老の伝世では、古くの亡人が秦を避ける時、馬韓がその東界の地を割いたと自言していた。(魏志東夷伝)』朝鮮では、国を割いてまで秦の亡民の建国を許している」と記している。
『三国志』魏書弁辰伝によると、馬韓人とは言語が異なっていたが、弁韓人とは互いに雑居し、風俗や言語は似通っていたという。『後漢書』弁辰伝によれば辰韓とは城郭や衣服などは同じだが、言語と風俗は異なっていたという。
「北史」新羅伝
「新羅者、其先本辰韓種也。地在高麗東南、居漢時樂浪地。辰韓亦曰秦韓。相傳言秦世亡人避役來適、馬韓割其東界居之、以秦人、故名之曰秦韓。其言語名物、有似中國人。(新羅とは、その先はもとは辰韓の苗裔なり。領地は高麗の東南に在り、前漢時代の楽浪郡の故地に居を置く。辰韓または秦韓ともいう。相伝では、秦時代に苦役を避けて到来した逃亡者であり、馬韓が東界を割譲し、ここに秦人を居住させた故に名を秦韓と言う。その言語や名称は中国人に似ている。)」との記述がある
荒廃
中国の黄河流域の山野にもりっぱな森林があったが、万里の長城の構築の焼きレンガを造るたための燃料に森林を切り尽くしたといわれている
長城は、周辺の民族の幸せを奪い、国内の反乱、流民を生み出した。
長城の苦役を恨む歌がある。曹操の時代、建安七子の一人。
人々の呻き声が聞こえてくるような詩です。
“城を造りながら自分の墓を造る”という言葉もある。
また「建設中に死亡した人は数知れず。このころ苦役を逃れて隠れた人民がいまだに生き延びておりたまに出没するが、「長城を建てろ~」と言うと退散する。」という伝承がある。
秦はchinaの語源である。
秦氏が応神天皇の時代に日本に1万人規模で渡来してきたという
秦氏は元々は中央アジア(ウイグル・カザフスタン)の弓月(クンユエ)というところからシルクロードを渡って来たという説がある。その人達が中国に定住していたが万里の長城の苦役を逃れて朝鮮半島に流れてきた。その後朝鮮半島は三韓時代になるが、後の「新羅」にあたるところは「辰(秦)韓」と呼ばれていた。応神天皇の母親である神功皇后の三韓征伐を受けて、弓月君(ゆづきのきみ)が1万人規模の集団を率いて日本に渡来してきた。
飲馬長城窟行 陳琳
馬を長城の窟に飲み
水寒くして馬骨を傷つく
往きて長城の吏に謂うらく
「慎みて太源の卒を稽留する莫れ」と
「官作(かんさく)自ら程有り
築を挙げて汝の聲(こえ)を諧(かな)へよ」
「男兒は寧ろ當(まさ)に格闘して死すべし
何ぞ能(よ)く怫鬱(ふつうつ)として長城を築かん」
長城何ぞ連連たる
連連として三千里
辺城に健少多く
内舎に寡婦多し
書を作りて内舎に臾(あた)う
「便嫁(べんか)して留往する莫れ
善く新姑[女章](しんこしょう)に侍し
時時我が故夫の子を念(おも)え」
報書の辺地に往くや
「君今語を出す一に何ぞ鄙(いや)しき」
「身は禍難の中に在り
何為(す)れぞ他家の子を稽留せん
男を生まば慎みて挙ぐる莫れ
女を生まば哺するに脯を用いよ
君独り見ずや長城の下
死人の骸骨相トウ[手主](しゅ)するを」
「結髪(けつはつ)より行きて君に事(つか)へ
心意の間に慊慊(けんけん 」たり
明らかに辺地の苦を知る
賤妾(せんしょう)なんぞ能く久しく自ら全(まっと)うせん」
万里の長城の岩窟で馬に水を飲ませていると
水は冷たく寒気は馬の髄を損なうほどであった
役卒はその苦難に耐えかねて長城の官吏に謂う
「どうか太源の卒を引き留めず返してください」と
「官の仕事には日程があるのだ
ぐずぐず言わずに皆と声を揃えて築城の仕事に精を出せ」
役卒は憤慨して「男児たるもの敵と闘って死ぬべきだ
何でこんな所でいつまでも長城を傷かなければならんのだ」と
長城はよくも長々と続いているものだ
それは連なること三千里
この辺城にかりだされた丈夫な若者は国境に多いが
郷里の留守宅には寡婦が多い
役卒は手紙を書いて留守番の妻に送る
「伝を得て再婚するが良い、我が家にとどまる事はない
再婚したら嫁先の舅姑に善く仕え
時時はもとの夫の子を忘れずにいてくれ」と。
その返事が届いた
「あなたはなんと言うつまらない事をおっしゃる」と。
夫はまた書く「今自分はこんな災難に遭っていていつ死ぬか分からぬ身だ
どうして他家の女を引き留めておけるものか
他家に嫁に行ったら男児が生まれたら取り上げぬが良い
女児を生んだら大切に育てなさい
君はこの長城の下が見えないのか
築城で犠牲になった骸骨がお互いに重なり合ってるんだ」と
妻は答えて「あなたに出会ってともに暮らし
今日まで何不満無く過ごしてまいりました
あなたが国境で苦労なさっているのは十分承知しております
あなたにもしものことがあったら、私ばかりどうしていつまでも生き長らえていられましょうか」と