お酒の神様といえば大神神社です。
杜氏の神様として大神神社の摂社「活日神社」
杜氏の神とされる高橋活日命(たかはしいくひのみこと)が読んだ歌
「此の神酒は 我が神酒ならず 倭なす 大物主の 醸みし神酒 幾久幾久」
(この神酒は私が醸したものではなく、大和の国をおつくりになった大物主神が醸された神酒です。幾世までも)
『古事記』中つ巻・六 仲哀天皇
神功皇后が角鹿(敦賀)より還って来られた太子(応神天皇)を迎え、「待酒を醸みて献り」し祝宴におよみになった歌
(息長帯日売命)
この御酒は わが御酒ならず 酒の司 常世に坐す 石たたず 少名御神の 神壽き 壽き狂おし 豊壽き 壽き廻し 獻りこし御酒ぞ 乾さず食せ ささ
(建内宿禰)
御子の為に詠った歌
この御酒を 醸みけむひとは その鼓 臼に立てて 歌いつつ 醸みけれかも 舞いつつ醸みけれかも この御酒の 御酒の あやにうた楽し ささ
昔、酒は醸んで、桶に吐き出して醗酵させて造った。
「さかほがい」とは、酒宴を開いて祝うこと.
「さか」は、「ほがい」はことほぐなどという「寿ぐ(ほぐ)」が延びて「寿ふ(ほがふ)」となったその名詞形で、祝、祝いごとという意味。
大神神社(おおみわじんじゃ)では、毎年11月14日に「酒まつり」が開催される。
祝詞の後、4人の巫女が三輪の神杉の枝を手に登場し、笛や箏の音に合わせて
「この御酒は わが御酒ならず 倭なす 大物主の醸みし御酒 いくひさ いくひさ」
という歌に合わせて華麗に舞う「うま酒みわの舞」が披露される。
日本書紀でも同様である。
(日本書紀)
17日、皇太子は敦賀から戻った。この日、皇太后は太子の為に大殿で大宴会を催した。皇太后は盃をささげ、お祝いの言葉を述べ、そして歌を詠んだ。
「此の御酒は 吾が御酒ならず 神酒(くし)の司(かみ) 常世に坐す いはたたす 少御神(すくなみかみ)の豊寿(とよほ)き 寿(ほ)き廻(もと)ほし 神寿(かみほ)し 寿き狂ほし 奉り来し御酒そ あさず飲せ ささ」
武内宿禰が皇太子の為に返歌を歌って詠んだ。
「此の御酒を 醸(か)みけむ人は その鼓 臼に立てて 歌ひつつ 醸みけめかも 此の御酒の あやに うた楽しさ さ」
「少名御神」は出雲の建国に大国主命とともに活躍したとされる「少彦名命」であろうが出雲の神を称える言葉がなぜここで出てくるのか。三輪の神は、出雲系であったようだ。
鳥取部氏はその祖神を少彦名神と伝える。少彦名神とは大己貴神(大国主神)に協力して国土の経営をされた知恵の神であり、大伴家持の歌(『万葉集』巻第18- 4106)にも、「大汝少彦名の神代より 言ひ継ぎけらく…」とうたわれている。
酒造の神である、経営の功半ばにして熊野之御碕ないしは淡島(粟島)から常世の郷に渡られたともいわれる。
(古事記のスクナヒコナ)
「波の穂より天の羅摩船に乗りて、鵝の皮を内剥ぎに剥ぎて衣服に為て、帰り来る神有りき」 としるされる神がある。それがスクナヒコナである。『古事記』の記述によると、この神はカミムスヒ神の子であり、カミムスヒの命令により、オオナムチと兄弟となって、国作りを行う。そして「然て後は、其の少名毘古那神は、常世国に度りましき」と、常世国へと行ってしまう。 また、「伯耆国風土記」逸文には、 「少日子命、粟を蒔きたまひしに、秀実りて離々りき。即ち、粟に載りて、常世の国に弾かれ渡りましき。故、粟嶋と云ふ。」 とあり、農耕を行った後に常世国へ帰っている。
その後裔氏族には三島県主(摂津の三島地方の古代氏族。少彦名神の後裔と称する氏族は鳥取部造・三島県主などと少ないのは何故か。
また、鳥取部一族は、婦負郡を中心に越中に広くあり、呉羽丘陵の南西部、羽根山丘陵に王塚・勅使塚という二大前方後方墳を含む古墳群を築造したという。
越の酒造りも、鳥取部一族によるのかも??。伝承を捜している
もう一方の酒の神、秦氏との関係は??
(讃岐の少彦名)
その昔、大水上神社に少彦名神が来て、夜毎泣き叫ぶので、 大水上神は桝に乗せて財田川に流したところ、当地に流れ着いたといわれてます。 古事記における、大国主(大己貴の表記は日本書紀)と少彦名による国づくりとの関連があるか; 讃岐の粟島が近くにある。
讃岐の木烏神社 :所在地 本島町泊670
祭神 大国主神、大押立神、少彦名神
飯神社(讃岐富士のふもと)
讃岐の国魂、飯依彦と飯依姫を祀る。天神社が合祀されこの関係からか少彦名神と菅原道真も祀られている。
櫛梨神社:琴平町下櫛梨
祭神 :櫛王命
合祀祭神 :大己貴命 少彦名命 大山亂命 大水上神 天兒屋根命 龍田比古命 龍田姫命 大物主命 祓戸四柱大神 (一に曰八十柱津日神) 八神殿大神 経津主神 武甕槌神 磐長姫神 大雀命 菅原道真公 若御魂命 道反大神 久那斗神 高崖神 闇崖神 足仲津彦命 譽田別命 息長足姫命 神櫛皇子命供奉四十二姓神
加麻良神社, 香川県 観音寺市,
祭神 大己貴神、少彦名神
金毘羅宮の境内社
睦魂神社:祭神 大国魂神 大国主神 少彦名神
(伊予の少彦名)
松山市道後温泉の伝承
むかし少彦名(すくなひこな)命が死にさうになったとき、大国主(おほくにぬし)命がトンネルを掘って九州の別府温泉の湯を引き、その湯に少彦名命を入れた。すると少彦名命は、「暫し寝(い)ねつるかも」と言って起き上がり、元気になったといふ。この湯は、熟田津石湯(にぎたづのいはゆ)と呼ばれ、景行天皇以来、たびたびの天皇の行幸があった。今の松山市の道後温泉のことである。(風土記逸文)
(少彦名の同族は?)
天日鷲命と少彦名神は同じ神か????
高魂命(高皇産霊尊)の孫・天日鷲命(天日鷲翔矢命)の後裔は、弓削宿祢、天語連、多米連・宿祢、田辺宿祢などがあげられる。安房の忌部の子孫の洲宮神社祠官小野家所蔵の「斎部宿祢本系帳」には、天日鷲翔矢命の子の天羽雷雄命(一云武羽槌命)の子孫として委文宿祢・美努宿祢・大椋置始連・鳥取部連の祖と記載されます。
鳥取部連の祖である天日鷲が、少彦名神と近いのは間違いないようだ。粟を栽培した少彦名神は、加麻良神社の近くにやってきた伝承が残っている。
(少彦名神の後裔 三島県主)
三島大社(伊豆三島神社)
伊豆国造(服部連)一族の神
神津島に鎮座している三島大神とその后神 阿波比暑N神を祀る。
伊予の三島神社(その中心が大山祇神社)を奉斎した越智国造は、物部連一族ですが、これも少彦名神の同族らしい。
三島鴨神社
摂津国島下郡の三島県主(のち三島宿祢)も同族か。
『大倭神社註進状』は園神を大物主神に、韓神二座を大己貴命・少彦名命にあて、『古事記伝』は『古事記』にみえる「曾富理神」を園神もしくは韓神のうちの一座にあてる説を掲げる。『新抄格勅符抄』によると、讃岐国の園神20戸・韓神10戸の神封が天平神護元年(765) に充てられた。
讃岐の大物主は金毘羅宮に祀られ、加麻良神社に少彦名命が祀られている。これとの関係は?
(韓神)
宮廷の神楽歌には、「三島木綿(ゆう) 肩にかけ われ韓神の 韓招ぎせむや 韓招ぎせむや」があり、さらに「八葉盤(やひろで)を手にとりもちて われ韓神の 韓招ぎせむや」がある。三島木綿と三島一族の作った木綿のことか? または三島の地名か?
(住吉の生根神社の古伝)
古伝によれば少彦名命は造酒の祖神であるため、神功皇后も当社で酒を造り住吉三神に献ぜられたとあり、「酒祝(さかほがい)の歌」というのが後世まで残って居て当社では秋の大祭を甘酒祭りと称して郷土の人々が親しんで来ているのもその一 つの実証と思考される。もともと薬の祖神である関係上、古来住吉の淡島明神との別名のもとに信仰者多く、現在においても旧暦三月三日に淡島祭を行っている。
© 青海波亭@Tokyoblog
1)記紀神話に現れた酒神
◆大山津見神(おおやまつみのかみ)と神阿多都比売(かむあたつひめ:神吾田鹿葦津姫(かむあたかしつひめ)):別名は酒解神(さけとけのかみ)と酒解子(さけとけのみこ)で、京都市の梅宮大神に祀られる。
◆大物主神(おおものぬしのかみ)、大己貴神(おおなむちのかみ)、少彦名神(すくなひこなのかみ):奈良県桜井市の大神神社に祀られ、三輪山全体が神体。
◆大山昨神(おおやのくいのかみ):大津市の日吉(ひえ)大社、京都市の松尾大社。
2)賓客(まろうど)型の酒神
◆豊受大神(とようけのおおかみ:豊宇気毘売神(とようけひめのかみ)):天女羽衣伝説。伊勢神宮外宮。
◆神櫛王(かみくしのみこ):紀伊、讃岐地方に酒造を伝える。酒出市の城山神社、琴平町の櫛梨神社。
◆酒人王(さかとのみこ):酒造指導。岡崎市の酒人神社。
◆久斯之神(くしのかみ):平田市の佐香(さか)神社。
3)原初の神
◆酒水:京都府船井郡の摩気神社、鈴鹿市の酒井神社
◆酒甕:埼玉県児玉郡の「みか」神社
4)掌酒(さかびと)型の神人
◆高橋活日命(たかはしのいくひのみこと):掌酒。桜井市三輪町の大神神(活日社)。
自玉手祭来酒解神社(たまてよりまつりきたるさかとけじんじゃ)と離宮八幡宮
山崎には氏神様として自玉手祭来酒解神社(以下酒解神社)がありました。
祭神は、京都市内の梅宮大社と同じ酒解神。別名を大山祇神と言って、山の神であると同時に酒の神でもある。配祀の素盞嗚尊は、神仏習合の時代、別名を牛頭天王(ごずてんのう)と言い、単に天王とも言った。ここから、当社を天王社と呼ぶようになり、天王山の名前が生れたらしい。
平安時代、清和天皇の御代、貞観元年に国民の平安を願われた清和天皇は九
州の宇佐八幡宮より八幡神を京の都にお迎えになり、山崎に八幡神がお着きになった時、酒解神社にお仕えしていた神主がお迎えし、八幡宮が御遷座されました。
その時、酒解神社大神は八幡宮神殿に祀られました。
以後、春祭りは4月3日から6日まで八幡宮の日使頭祭(勅祭)、引き続き7日、8日が酒解神社例祭として催行されていました。
時代の変遷により、八幡宮の春祭りは現在4月初旬に、酒解神社例祭は5月初旬(新暦に移行)に催行されるようになりました。
両神社はこのように深い縁がある