近江、大水口宿禰、水口神社

大水口宿禰

『日本書紀』では、大水口宿禰について穂積臣遠祖としている。
また『新撰姓氏録』では、次の氏族が後裔として記載されている。

左京神別 天神 穂積臣 – 伊香賀色雄男の大水口宿禰の後。
右京神別 天神 采女朝臣 – 石上朝臣同祖。神饒速日命六世孫の大水口宿禰の後。
『先代旧事本紀』「天孫本紀」でも、同様に穂積臣・采女臣の祖である旨が記載されている。

国造
『先代旧事本紀』「国造本紀」には、次の国造が後裔として記載されている。

末羅国造 – 志賀高穴穂朝(成務天皇)の御世に穂積臣同祖の大水口足尼の孫の矢田稲吉を国造に定める。のちの肥前国松浦郡周辺にあたる。

系譜に関して『日本書紀』『古事記』に記載はない。
『新撰姓氏録』では、伊香賀色雄の子とも、神饒速日命の六世孫とも伝える

一方、『先代旧事本紀』「天孫本紀」では出石心大臣命(いずしこころのおおおみのみこと、饒速日尊三世孫)の子と記され、系譜に異同がある。なお、同書では伊香色雄命(伊香賀色雄)は饒速日尊六世孫とされる。

『日本書紀』崇神天皇7年8月7日条によると、大水口宿禰は倭迹速神浅茅原目妙姫(倭迹迹日百襲姫命)・伊勢麻績君(いせのおみのきみ)とともに同じ夢を見て、大物主神(のちの大神神社祭神)と倭大国魂神(のちの大和神社祭神)の祭主をそれぞれ大田田根子命と市磯長尾市にするよう告げられた旨を天皇に奏上した。

また、同書垂仁天皇25年3月条では「一云」の中で、倭大神が大水口宿禰に神憑り、倭大神を祀ることを告げたことが記されている

水口神社
滋賀県甲賀市水口町宮の前3-14
交通 JR草津線貴生川駅北東2km、乗り換え近江鉄道水口城南駅南すぐ
祭神 大水口宿禰 配 大己貴命、素盞嗚尊、稻田姫命
摂社 玉津米神社「玉留産靈命」、武雄神社「武甕槌神」、日枝神社「大山咋命 配 徳川家康」、他

由緒 大水口宿禰は饒速日命の3世の孫、出石心大臣の御子で、郷土開拓の祖神とされている。
系譜を記すと、

饒速日命-宇麻志麻治命-出雲色多利姫-出石心大臣命-大水口宿禰

とつながる。 また、別の異説があり、『姓氏録』では穂積朝臣の祖と言われ、伊香色雄命の子とされる。この伊香色雄命は近江伊香郡を本拠とするとの見方がある。 伊香郡には物部の地名がのこり、大新河、建新河、大水口、安毛建彦など近江の地名を負った物部系豪族が出ている。 物部氏の匂いのする近江である。

穂積氏

神武天皇より先に大和に鎮座していた天津神・饒速日命の10世孫、大木別垂根命の子・穂積真津が、熊野神に稲束を積んで奉納したことから穂積姓を賜ったという伝承を持ち、姓は臣であった。ただし同じ饒速日命の後裔である鬱色雄命(内色許男命)を祖とする、別の伝承もある。飛鳥時代の天武13年(684年)、八色の姓制定に伴い穂積朝臣姓を賜った。発祥は大倭国山辺郡穂積邑(現在の奈良県天理市前栽の付近に比定)とする。