石部神社、多気連

石部神社は近江から日本海側に分布し、特に福知山盆地から出石盆地への日子坐王の行軍路とされる道筋に点在している。
このことは「神奈備掲示板平15.2 [3921] 」で男爵氏が指摘された。
日子坐王の行軍路の石部神社
 1.近江国蒲生郡 石部神社
 2.近江国野洲郡 馬路石邊神社
 3.近江国甲賀郡 石部鹿鹽上神社
 4.近江国愛智郡 石部神社二座
 5.播磨國賀茂郡 石部神社
 6.丹波國船井郡 出石鹿石部神社(石は山篇)
 7.丹波國氷上郡 石部神社(石は山篇)
 8.丹後國與謝郡 阿知江石部神社(石は山篇)
 9.但馬國朝來郡 朝來石部神社、刀我石部神社
10.但馬國出石郡 石部神社

吉姫神社
近江 甲賀 滋賀県湖南市石部東8-4-1
祭神 木花開耶姫 配祀 上鹿葺津姫、吉比女大神
由緒
 近江国甲賀郡に式内社の石部鹿鹽上神社が鎮座していたが、今日、吉姫神社、吉御子神社を後裔社としている。
 近江の石部神社の祭神は三輪の大物主神の子の天日方奇日方命が多いが、この神と吉姫、吉御子との関連が今の所不明。

 越前國今立郡(福井県鯖江市磯部町)の石部神社の祭神が吉日古命、吉日売命(エヒコ、エヒメ)となっている。多気連が祖先を祭ったと言う。『倭姫命世記』十八年に記されている。

 石部鹿塩上神社 現在の石部町にある吉姫神社と吉神子神社は、ともに式内社の石部鹿塩上神社の後身で、同社が後世に分かれたものだと伝える。『東海道名所図会』に「石部鹿塩上神社。駅中田間に鎮座す。延喜式内なり。今両社として下の社を吉彦明神。上の社を吉姫明神、土人虚空蔵と称す。祭神倭姫世紀に見えたり」とあり、『神祇志料』もまた「石部鹿塩上神社。今石部駅にあり。上下両社とす。上を吉姫明神、下を吉彦明神という。即駅中の生土神也」という。

 式内社がのちに吉姫・吉御子(彦)両社となったとみるのに対して、どちらか一方に比定する考えもある。『神社覈録』には「石部鹿塩上神社。石部鹿塩は伊志倍加志保と古点あり。上は加美と訓べし。祭神吉比女、檜物荘石部駅に在す。今は吉比女明神と称す」とあって、石部鹿塩上神社は吉姫神社だけをさすとする。また、吉御子神社も、もとは谷村の「黒之御前」にあったが、弘仁三年(812)いまの「宮山」に移転し、これが式内社の石部鹿塩上神社であるという社伝をもつ(『甲賀郡志』)。

 石部鹿塩下神社が祈年祭奉幣の例に加えられなかった理由を想定することは困難だが、石部鹿塩上神社=吉姫神社、石部鹿塩下神社=吉御子神社となれば、両社の創祀はすくなくとも律令時代にさかのぼることができよう。上下社の祭神である吉比女・吉比古のことは、『東海道名所図会』が指摘するとおり、『倭姫命世紀』に見える。しかし、それは倭姫命が皇大神(天照大神)を伊勢へ遷座する途中、阿佐加藤方片樋宮に斎き奉る時、阿佐加々多(阿佐加潟)に「多気連の祖、宇加乃日子の子、吉志比女、次に吉比古二人参り相いき」とあり、吉比女・吉比古が倭姫命に会ったのは、伊勢国壱志郡の阿佐加(今の松坂市大阿坂・小阿坂付近)であった。吉比女・吉比古が倭姫命のもとに参向したのは、「淡海甲可日雲宮(甲西町三雲か)」に遷座した時の話ではなく、また多気連は伊勢国多気郡の豪族であるから、石部鹿塩の上下社と倭姫命伝承を結びつけることは難しい。強いて関係づけるとなるれば、多気連の租神・宇加乃日子につらなる吉比女・吉比古を奉祀する氏族が石部に居住していたとだけ考えられるのである。

菅生石部神社
 むかし疫病が流行しそれを鎮めるために用明天皇元年(585年)に宮中で祀っていた神々(現菅生石部神)をこの地にお遷しになり、疫病を鎮め五穀の豊穣を祈願したことにはじまる。
 中世には越前國三ノ宮、後に加賀國二ノ宮となり、京都の北野天満宮領として天神信仰が盛で、明治期には國弊小社に列せられる。 住古より正親町夫皇の頃まで一年二度の居入祭には勅使が参向し、御衣神宝を奉まつるなど朝廷の崇敬篤く、木曾義伸・富樫昌家・足利義持・豊臣秀吉・山口玄蕃等部門武将深く尊崇。

前田藩においては氏神として神地寄進社殿造営調度の修復等が絶えず、夏祭天神講を藩祭とし、三日間の中の日を仕事休めの日として、藩内に住む人々全てを参拝させ崇敬の誠を捧げました。

用明天皇元年(西暦585年)
菅生石部神(日子穂穂出見命・豊玉毘賣命・鵜葺草葺不含命)
春日杜(大兒屋根命・径津主命・武甕槌神・姫大神)
八幡社(応神天皇)
白山社(菊理姫命)
稲荷社(宇迦御魂命)
事比羅社(大物主命)
菅原社(菅原道眞公)
藤森社(大國主命)

石部神社
兵庫県豊岡市出石町下谷62
祭神
奇日方命、大山積神、大己貴神、大物主神、事代主命、健御名方命、高彦根命、瀧津彦命
摂社
皇大神宮「天照大御神、品陀和氣命、太田命 配祀 豐受皇大神 合祀 玉依比賣命」
天満神社「菅原道眞」
由緒
 『式内社調査報告19』の祭神は、櫛日方命、大己貴命、大物主神、大国魂神、事代主命、媛蹈鞴五十鈴姫命、溝咋耳命、活玉依姫命とする。主祭神は櫛日方命であることに差はない。
 『但馬国式社考』は「考証云、櫛日方命、姓氏録云、石邊公、久斯比加多命後也。一書、作奇日方命、或云、天日矛神裔也」とある。
 『兵庫県近世社寺建築緊急調査表』には天日矛神とする。

石作連……垂仁天皇御世奉2爲《ミタメニ》皇后日葉酢媛命1作2石棺《イシキ》獻《タテマツリキ》之。乃賜2姓(ヲ)石作(ノ)大連公《オホムラジノキミ》1也
とありて右棺を製作する部曲の長なり
○羽若は二註に和名抄に讃岐國|阿野《アヤ》郡羽床(波以可)とあるを充てたり
○自彼度賜はソコヨリワタリタマヒテと訓むべし(敷田氏氏がカレ〔二字右△〕ヨリワタシ〔右△〕タマフとよめるは非なり)。讃岐國羽若ヨリ海ヲ渡リテ播磨國印南ニ來タマヒテといへるなり