瀬織津姫、廣田大社、祓戸大神

瀬織津姫(せおりつひめ)は、大祓詞に登場する神である。古事記・日本書紀には記されない神名である。

神名の名義は川の早瀬の穢れを清めるとある。祓神や水神として知られるが、瀧の神・河の神でもある。日本神話では龗神や闇罔象神等(他にも廣瀬大社の若宇加能売命)が、外来神では吉祥天・辯才天がこの特徴を持ち合わせている。

『ホツマツタエ』
日本書紀神功皇后の段に登場する撞賢木厳之御魂天疎向津媛命と同名の向津姫を瀬織津姫と同一神とし、天照大神の皇后として、ある時は天照大神の名代として活躍されたことが記されている。

廣田大社と瀬織津姫、向津姫
兵庫県西宮市、西宮の地名由来の大社である廣田神社は天照大神荒御魂を主祭神としているが、戦前の由緒書きには、瀬織津姫を主祭神とすることが明確に記されていた。廣田神社はかつて六甲山全山を領地としていたが、六甲山は元は向津(むかつ)峰と呼ばれ、それが武庫(むこ)となり、江戸時代ごろより六甲(むこ)と表記され、明治以降「ろっこう」と音読みされるようになった。

『元亨釈書』には空海とともに神呪寺を創建した淳和天皇妃、如意尼=真名井御前の眼前、六甲山・甲山に廣田神社祭神が出現されたことが記されている。吉田東伍も『大日本地名辞書』広田神社の項に、祭神名への考察として「向津は武庫津というに同じ」と指摘していることもあり、祭神向津姫の名前が六甲山の山名由来とも考えられる。

山頂付近に鎮座し、山名の変遷と共に祭神名を変更してきたと思われる六甲比命神社(ろっこうひめじんじゃ)の壮大な磐座がある。

六甲山は江戸時代以前には武庫という漢字があてられ、むこうやま、むこやまと呼ばれ、さらに古くは、賀茂真淵の『冠辞考』 あまざかるの項に記されているように、向かつ峰の名が伝わるので、祭神名は当初はむかつひめと呼ばれ、近世まではむこうひめとよばれていたと思われる。六甲山全山は、かつて西宮市廣田神社の社領であり、廣田神社祭神、撞賢木厳魂天疎向津姫(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめ またの名瀬織津姫)と六甲山の旧名の向かつ峰の名称が一致する。

中臣祓詞

中臣大祓詞
遺(のこ)れる罪は不在(あらし)と、祓(はら)ひ賜(たま)ひ、清(きよ)め賜ふ事を、
高山の末(すゑ)、短山(ひきやま)の末より、佐久那太理(さくなだり)に落瀧(おちたぎ)つ速川(はやかは)の瀬に坐す瀬織津比咩といふ神、大海原に持出(もちいたし)なん。
如此(かく) 持出なは、荒塩の塩の八百道(やほち)の八塩道(やしほち)の、塩の八百会(やほあひ)に坐す速開都比咩(ハヤアキツヒメ)といふ神、持(もち)可可呑(かかのみ)てむ。如此(かく)可可呑(かかのみ)ては、気吹戸(いぶきど)に坐す気吹戸主(いぶきどぬし) といふ神、気吹(いぶき)放(はなち)てむ。如此(かく)気吹放ては、根国(ねのくに)底国(そこのくに)に坐す速佐須良比咩(はやさすらひめ)といふ神、持(もち)佐須良比(さすらひ)失(うしなひ)てむ。

祓戸四神
ここに登場する四神を、神道では祓戸(はらひど)の大神四神と称し、瀬織津姫は川の神(水神)、速開都姫は海神、気吹戸主は風神、速佐須良姫は地底(霊界)の神と位置づけられている。

佐久那太理(さくなだり)とは、さく(割く)なだり(雪崩)。岩を割き、滝のように流れ降る と解されており、そのような急流の速川の瀬に宿る瀬織津姫が、祓い清められた罪を大海原へと持ち出すとあることから、瀬織津姫は川の神(水神)とされる。
ただし、空海が著したとされる大祓詞の最古の注釈書『中臣祓注抄』では、速川の瀬を「三途の川」だとし、『神宮方書』では「瀬織津姫は三途川の衣婆なり」とする。

瀬織津姫(天照大神荒御魂神)のまたの名は、撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(日本書紀より)、または八十禍津日神(悪神)です。「中臣祓」ともいわれる「六月の晦の大祓祝詞」に「さくなだりに落ちたぎつ速川の瀬に坐す瀬織津比メ(口+羊)」と現われてきます。

撞賢木巌御魂天疎向津姫命神社(横内神社)
横内神社は桜井市大福字コウロンにある小社です。推古天皇21年(613年)につくられた横大路(当時の国道1号線ともいうべき道)に接する場所に位置します。正式名は撞賢木厳御魂(つきさかきいずのみたま)天疎向津姫命(あまざかるむかつひめのみこと)神社で社名の男女神二柱が祭神です
奈良県桜井市の若櫻(わかざくら)神社とも至近距離。現在の若櫻神社の祭神には瀬織津姫の名はありませんが、以前白山神社と呼ばれていた。名前が同じで漢字表記の異なる稚櫻神社は撞賢木巌御魂天疎向津姫命神社の真南に位置しており、これらの神社の位置関係から、そして谷や、桜谷という地名からも、この辺り一帯が瀬織津姫とその妹神、ハナコ姫とご縁のある場所であるように思えます
由緒書き全文
横内神社 御由緒
御祭神 撞賢木厳魂 天疎向津姫命

当社は推古二十一年(西暦六十三年)に
造られた横大路に接する字コウロン(役人に講義をするところ)の地に鎮座されている
御祭神の神は伊勢に鎮まる 天照大神の荒御魂(活動的な神)と 言われ、また人々の罪や穢れを祓う 神の一人である 瀬織津姫であるとも 言われている。
横大路が初瀬街道から江戸時代に 伊勢街道と呼ばれたことに起因して 伊勢の神にかかわる神を祀り 地区の協調と繁栄 区民の健康と
安全を末永く祈願するために 造営されたのである。

御祭神は兵庫県西宮市廣田神社に 鎮座されている。

中臣大祓詞創始の社

佐久奈度神社 さくなどじんじゃ
滋賀県大津市大石中1-2-1

滋賀県大津市にある。石山駅の南7Kmほどの大石中町に鎮座。忠臣蔵の大石家も当地の出。

社伝によると、天智天皇八年(669)、朝廷が明日香より大津宮へ移ったのを期に、
天皇の勅願によって右大臣中臣金連を勅使とし八張口(桜谷)で修祓した地に神殿を設け、
「祓戸大神三神」を祀ったのが当社の創祀。現在は、祓戸四神を祀っている。

大祓詞(祝詞)に、「佐久那太理爾落多岐都速川乃瀬爾坐須瀬織津比賣登云布神」とあり、
この「佐久那太理」が、当社社号・佐久奈度であるといい、「中臣大祓詞創始の社」。
瀬田川が湾曲して激しく流れる「裂けた谷」(佐久那太理=桜谷)の地に祀られた祓いの神。

佐久奈度神社は天智天皇御宇8年 勅願により中臣朝臣金連が当地において、祓 を創し祓戸大神四柱を奉祀した。

当地は八張口、桜谷と呼ばれ、天下の祓所として 著名で、大七瀬の祓所のひとつである。 文徳実録に「仁寿元年六月甲寅、詔以近江国散久難度神列於明神」とあって、仁寿元年名神に列した。三代実録には「貞観元年正月二十七日奉授近江国佐久奈度神 従五位上」と見えて、貞観元年に従五位上の神階を授けられ、延喜式神名帳では名 神大社に列するなど当地方の名社であった。

古来より伊勢の神宮にお参りするには、まず佐久奈度で禊ぎをするのが慣わしでした。当地(大石)の語源も忌伊勢(おいせ・・伊勢詣での祓所の意)が訛ったものとされています。 このような関係から伊勢の神宮より納められた神剣と鼻高面が伝えられております。

桜谷の地名から、桜谷社・桜田社、あるいはミタラシ社とも呼ばれ、仁寿元年(851)六月十三日、名神に列し、貞観元年(859)正月二十七日に従五位上の神位を授けられた古社で式内社・佐久奈度神社に比定されている神社。

天ヶ瀬ダム築造で、水没の危険があるため河畔にあった社殿を、昭和三十九年、現社地に遷座した。旧社地は、鳥居を右手に降りた駐車場で、河岸にある大銀杏より少し境内寄りの場所だったようだ。

倭姫命世記の祓戸大神三神

『倭姫命世紀』では、伊勢神宮には祓戸大神の三神が祀られていると記している。

瀬織津姫尊………伊勢神宮内宮・荒祭官(天照大神の荒魂として祭る)
速秋津姫尊………伊勢神宮内宮・滝沢宮並宮
気吹戸主尊………伊勢神宮外宮・多賀宮(豊受大神の荒魂として祭る)

荒祭宮一座〔皇太神宮荒魂、伊弉那伎大神の生める神、名は八十枉津日神なり〕
一名、瀬織津比咩神、是也、御形は鏡に座す。

現代訳で補足すれば、「(伊勢神宮の内宮には)荒魂を祭る宮に一座(一柱の神)。アマテラスの荒御魂でイザナギが生んだ神、名は八十禍津日神。一名に瀬織津比咩神という。御形は鏡に鎮座しておられる」となる。

鳴神社  :和歌山市鳴神
天太玉命,速秋津彦命,速秋津姫命 速秋津彦命,速秋津姫命 『南紀神社禄』
紀伊國名草郡
当社は延喜式内名神大社
往古紀伊湊を開拓した紀伊忌部氏により創建せられた。
主祭神:天太玉命(向かって左側本殿)及び祓戸の神速秋津彦命速秋津姫命(向かって右側本殿)を祀る
この社は紀北では伊太祁曽神社に並んでの古社。
諸説
雷神を祀ったと言われているこの説は「鳴」を「雷」に連想したものである。火の神としては合祀されている香都知神社や静火神社が近くにあった。
紀の川から引かれた相当に古い灌漑水路である宮井川の出口にあたり、治水の水門神を祀る為に創始されたとも言う。水分の神の可能性もある。
またナルは「太陽」「日」の意味があると.
この神社の向かいに石祠があり「鳴武神」と刻まれている。これは百済渡来の酒造りの神.

水分神社

『延喜式神明帳』に記載されている水分神社
大和国(奈良県)葛城郡の葛木水分神社、
吉野郡の吉野水分神社、
宇陀郡の宇太水分神社、
山辺郡の都祁水分神社

ほかに、河内国(大阪府)石川郡の建水分神社、摂津国(大阪府)住吉郡の天水分豊浦命神社があります

菟田野秋祭り

1000年余りの歴史を持つこの祭りは、芳野水分から古市場水分まで、宇太水分神社の祭神・速秋津彦(はやあきつひこ)に、上芳野の惣社水分神社の祭神・速秋津姫が年に一度訪ねるもの。御輿を中心に毛槍・花籠・御輿太鼓などをしたがえて、往復12㎞の道を時代行列が続きます。町内各地から繰り出す太鼓台6台と子供御輿7台と共に町を練り歩きます。時代装束に身をかためて随行するお供の数は200人にも及び、御渡りの行列は、まさに一幅の天平絵巻さながらです

宇太水分神社(うだみくまり)上宮

宇陀郡菟田野町古市場 摂社 春日神社「天児屋根命」、宗像神社「市杵島比売命」 末社 恵比須神社「蛭子之大神」、金刀比羅神社「大物主命」

速秋津比古神(はやあきつひこのかみ)
天水分神(あめのみくまりのかみ)
国水分神(くにのみくまりのかみ)
の水分三座が祀られています。

神社略記には、創祀の年代詳らかにし難いが、所伝に寄れば崇神天皇15年9月21日勅祭云々とされていると記されています。又、天水分神と国水分神は 古事記に速秋津日子神と妹速秋津比賣の子供の八神(水に関係のある神)のうちの二神の名前として書かれています。

社伝では、崇神(すうじん)天皇の時代にはじまるといい、また「玉岡水分社縁起(たまおかみくまりしゃえんぎ)」では、大和国宇陀郡の水分大明神(みくまりだいみょうじん)は天照大神(あまてらすおおみかみ)の分神で、垂仁(すいじん)天皇の時代に神託によって社殿をかまえたと伝えています。 本殿は三社造りで中央と左右の三殿からなる一間社春日造り(いっけんしゃかすがづくり)(国宝)。 水分連結造りの古型で、外部は朱塗り。蟇股 など細部に鎌倉時代の特徴をみることができます。

宇太水分神社 中社

三つの本殿の内、左右の二棟に国水分神(くにのみくまりのかみ)と天水分神(あめのみくまりのかみ)をまつり、まんなかの一棟に彼らの父に当たる速秋津彦神(はやあきつひこのかみ)を祀っています

境内には鎌倉時代に建てられた3棟の春日造の本殿が並び立ち、速秋津比古(はやあきつひこ)神、天水分(あめのみくまり)神、国水分(くにのみくまり)神の水分三座を祀る。本殿の右側には、室町時代に建てられた末社春日神社本殿、末社宗像(むなかた)神社本殿の2社(いずれも重要文化財)も祀られている

宇太水分神社(うだみくまり)下宮
宇陀郡榛原町下井足

祭神
天水分神、国水分神、天児屋根命、品陀別命
摂社 石神神社、稲荷神社、金刀比羅神社

由緒

旧県社。芳野(ほうの)川と宇陀川との合流点東部の船形山に鎮座。

芳野川に沿って、中山(芳野)「惣社水分神社」は童躰、玉岡(古市場)「上宮」は男躰、田山(井足)「下宮:当社」は女躰とされている。かっては、中山から田山への神輿の御渡があったそうである。

吉野水分神社、葛城水分神社、都祁水分神社とともに大和国四所水分と言われている。

楠木正成ゆかりの「河内国の水分社」

大阪府南河内郡千早赤坂村水分357にある建水分[たけみくまり]神社

現在の祭神

本殿中殿は天御中主神、
左殿は天水分神・水波乃売神、
右殿は国水分神・瀬織津比売神
同社の境内社・南木[なぎ]神社の祭神が楠木正成

大和盆地周辺の水分神としての瀬織津姫の名は、この建水分神社のほかに、奈良県吉野郡東吉野村滝野の水分神社や、同郡平野の同じく水分神社。

広瀬神社「廣瀬大社」
廣瀬大社とも言われ、水の神様が祀られています。
創建はかなり古く
崇神天皇9年(BC89年)の神託によって、一夜のうちに沼が陸地に変わり、多くの橘の木が生え、このことが天皇に伝わり社殿が建てられたそうです
祭神;主神・若宇加能売命わかうかのめのみこと
相殿・櫛玉命くしたまのみこと及び穂雷命ほのいかずちのみこと
佐保川・初瀬川・飛鳥川・曽我川・葛城川・高田川等、大和盆地を流れる全ての河川が一点に合流する地に祀られています
風を司る龍田風神(龍田大社)と関係深い神社です
場所;北葛城郡河合町川合120
JR大和路線「法隆寺」駅下車 徒歩20分

若宇加能売命 (わかうかのめのみこと) – 廣瀬大忌神 (ひろせおおいみのかみ)とも

社伝では伊勢神宮外宮の豊宇気比売大神、伏見稲荷大社の宇加之御魂神と同神とする。龍田大社の龍田風神とも関係があるとしている。ただし、本来の祭神は長髄彦であるとする説もある。

相殿神櫛玉命 (くしたまのみこと)
社伝では饒速日命を指す。社家の樋口氏は饒速日命を祖神とする物部氏の末裔であり、社家の邸宅内には饒速日命を祀る境外末社・饒速日命社がある。穂雷命 (ほのいかづちのみこと)

讃岐の二宮 大水上神社
香川県三豊郡〔現三豊市〕高瀬町大字羽方
御本社 祭神 大山積命・保牟多別命・宗像大神
太古より水霊の神として信仰が厚く、延喜式内社で、讃岐二宮と称えられている。社の鎮座する宮川流域は弥生文化の遺跡が多く、境内は古代祭祀遺跡の宝庫。御本社の奥に夫婦岩と称する磐座がある。

滝の宮神社 鰻渕の神
祭神 滝田比古[たつたひこ]命・滝田比売[たつたひめ]命
古くは三嶋龍神と称されていた。雨の神として信仰が厚く、古代からの祈雨神祭遺跡で白鰻・黒鰻の伝えがある。

三島の神は龍神である。

滝宮神は「鰻渕の神」とあり、また「雨の神」(祈雨神)でもあったようです。鰻渕は宮川上流、大水上神社本殿右背後にあり、そこには、次のような案内板が立っています。

うなぎ淵(竜王淵) 雨乞神事遺跡
昔から旱ばつ時、参籠潔斎の上、淵の水を桶でかいだす神事が行われた。黒白の鰻がすみ、黒鰻が姿を見せると雨、白鰻がでれば日照りが続き、蟹が出ると、大風が吹くといわれた。

うなぎ(鰻)淵は「竜王淵」の異称をもっていたわけですが、「竜王淵」は、ここに「三嶋龍神」がまつられていたことによる名称でしょう。

この竜王淵の近くには「大師参拝の神言」とされる、大師(弘法大師)こと空海の歌を刻んだ石碑があります。

往来は心安かれ空の海

水上清きわれは竜神

大水上神社の祓戸社
祓戸社 祭神 瀬織津比売神・速開都比女神・気吹戸主神・速佐須良比女神

伊予国で大山積神との関係で語られていた御手洗神・滝神こと瀬織津姫神は、讃岐二宮・大水上神社においては境内の「滝の宮神社」からさらに降格されて「祓戸社」の神、しかも、単独神の祭祀ではなく、大祓祝詞に出てくる祓戸四柱神の一神としてまつられています。

龍田大社の白龍神社
風神を祀る龍田大社境内に、清らかな水の聖域があります。
龍田大社末社の白龍神社です。
龍田大明神の使いとして崇められる白龍大神を祀ります。

兼六園/金沢神社の龍神祝詞

高天原に坐し坐して天と地に御働きを現し給う龍王は
大宇宙根元の御祖の御使いにして一切を産み一切を育て
萬物を御支配あらせ給う王神なれば
一二三四五六七八九十の
十種の御寶を己がすがたと変じ給いて
自在自由に天界地界人界を治め給う
龍王神なるを尊み敬いて
眞の六根一筋に御仕え申すことの由を受け引き給いて
愚かなる心の数々を戒め給い
一切衆生の罪穢れの衣を脱ぎさらしめ給
萬物の病災をも立所に祓い清めて
萬世界も 御親のもとに治めせしめ給へと
祈願奉ることの由をきこしめして
六根の内に念じ申す大願を成就なさしめ給へと
恐み恐み白す