国栖神社、手力男命、天津羽羽命

あしびきの山村ヤマ行きしかば、山人の我に得しめし山づとぞ。これ太上天皇――万葉巻二十)

此が、天皇の作である。語の幻の重りあうたのを喜んで居られるのが見える。山人を仙人にとりなして「命を延べてくれるやまびとの住む山村へ行つた時に、やまびとが出て来て、おれに授けた、山の贈り物だ。これが」と。

天津羽羽命アマツハハノミコトと読みます。

この神様を祀った神社
朝椋神社 和歌山県和歌山市鷺の森明神丁22(紀伊続風土記附録による記載)
朝倉神社 高知県高知市
阿波波神社 静岡県掛川市初馬にある
阿波命神社 神津島の、
長浜神社 静岡県沼津市内浦長浜69

神津島の言い伝えでは、天津羽羽命は三島大神(事代主命)の本后です。

土佐国風土記に朝倉神社の祭神天津羽羽命について詳しい記述があります。

(釋日本紀 卷第十四)
土左の國の風土記に曰はく、土左の郡。朝倉の郷あり。郷の中に社あり。神のみ名は天津羽羽(あまつはは)の神なり。天石帆別(あまのいはほわけ)の神、天石門別(あまのいはとわけ)の神のみ子なり。

度会氏の系図によると石穂押別は天手力男命であると言います。つまり天津羽羽命は天手力男命の子ということになります。

土佐国式社考には朝倉神社の祭神である天津羽羽の「はは」、奈良県五條市西吉野町の波宝神社の「波宝」の音に通じ、波宝神社は吉野国栖の祖神を祀るといわれ、これは天津羽羽命であろうと記述があります。

記紀に、吉野国栖の祖神とは、神武天皇の東征途上,菟田(うだ)(奈良県宇陀(うだ)郡)から吉野へすすんだとき,岩をおしわけてでてきた神で、尾があったといい、石穂押別之子とあります。

吉野国栖の祖神とは天手力男命の子、天津羽羽命である

天津羽羽命について更に調べてみます。

気吹雷響雷吉野大国栖御魂神社 岩穂押開子を祀る

『大略注解』によると、気吹雷響雷吉野大国栖御魂神とは
波多郷稲淵山山上 古老口談云、気吹雷響雷神者気吹戸神也、其水吹出神謂之気吹雷神也、其気戸水神謂之鳴水雷神也、或曰、吉野大国栖御魂神者磐穂押別神之子也、元社在吉野郡国栖村、故云吉野大国栖御魂神、奉遷座此所未考其由矣。
気吹雷響雷吉野大国栖御魂神とは気吹戸主であり磐穂押別神之子である

『倭姫命世記』には、「多賀宮一座、豊受荒魂なり、伊弉那伎神の所生神、名は気吹戸主、またの名は神直毘大直毘神といふ」
とあります。つまり磐穂押別神之子は、神直毘大直毘神または豊受大神荒魂でもあるということです。

『古事記』によると、邇邇芸命は天降りされた折、三種の神器(玉・鏡・剣)を与えられ、 五伴緒神とともに思兼神手力男神天石門別神を従えた。天石門別神の亦の名を櫛石窓神、豊石窓神といい、御門の神である。『古語拾遺』によると、豊磐間戸命と櫛磐間戸命は太玉命の御子神とある。
『延喜式神名帳』宮中神の条に「御門巫祭神八座」とあって、 「櫛石窓神 四面門各一座」と「豊石窓神 四面門各一座」の神名を掲げている。 御殿の四面の窓、あるいは門の神で、外敵侵入を防塞する機能をもつ。この神を祭祀するのは御門の巫である。

奈良市北東部の淀川水系に属する白砂川とその支流の安郷川、前川周囲に九頭神社・戸隠神社が点在する。
桜井の九頭神社が高龗神、天理の九頭神社が建御名方神を御祭神としているのに対し、この周囲の九頭神社は天手力男命を御祭神としており、戸隠神社とのつながりが感じられる。
※九頭龍は信州戸隠山の地主神とされる。
これは明治の統廃合、神本仏迹などにより地域性で祭神に偏りが出たのかもしれない。不思議と京都・三重側に越境した周囲には九頭龍を祀る神社が存在しない。

奈良県下でタケミナカタ神を単独でお祀りする神社は10社だけで、しかもこのうちの5社は九頭神社である。距離的に離れた天理市と宇陀郡の双方にあるので局所的な流行とも言えず、どうもこれらのご祭神がタケミナカタ神であるのは深い理由があるみたいです。 奈良県下でタジカラオ神をお祀りするクズ神社は4社あり、タケミナカタ神の次に多いという。また、吉野郡にある5社のうち3社が国栖神社、国樔神社で、クイワオシワケ命というしっぽのある国津神である。

クズというのは吉野の国栖の専売特許ではなく、元々大和王権が先住の山の民を指していった普通名詞だったのではなかろうか?

国栖奏

大海人皇子が挙兵したとき、国栖の人は皇子に味方して敵の目から皇子をかくまい、また慰めのために一夜酒や腹赤魚(うぐい)を供して歌舞を奏しました。これを見た皇子はとても喜ばれて、国栖の翁よ、と呼ばれたので、この舞を翁舞と言うようになり、代々受け継がれた。

県指定無形文化財。往古は宮中で国栖部が奉納していた。、寿永年間(1182~84年)頃に中断、参内も取りやめになった。それで大海人皇子(天武天皇)に由緒深い天皇淵に天皇社を創建、国栖奏を奉納し始めたと『吉野旧事紀』にある。 

窪垣内の御霊神社に国栖奏発祥の碑
国栖奏当日の神餞は腹赤(はらか:うぐい)・醴酒(一夜酒)・土毛(くにつもの:根芹)・山果(栗・カシの実)・毛瀰(もみ:赤蛙)である。

播磨の名産イカナゴのうちで腹の赤っぽいのは西の方から来るそうで、茹でると紅白になり、縁起がいいとされる。肥後国では腹の赤い 「にべ」という魚を腹赤と称すると云う。

 国栖奏歌 
世にいでば 腹赤の魚の片割れも 国栖の翁が 渕にすむ月 
み吉野に 国栖の翁がなかりせば 腹赤の御贅 誰れか捧げむ 
鈴の音に 白木の笛の音するは 国栖の翁の 参るものかは 
かしのふに よくすをつくり よこすにかめる おほみきうまらに きこしもちおせ まろがち