出石神社(いずしじんじゃ)は、兵庫県豊岡市にある神社。式内社(名神大社)、但馬国一宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。
天日槍命 出石八前大神
『古事記』や『日本書紀』によれば、祭神の天日槍命は新羅の王子であったが、八種の神宝を持って渡来し、但馬国に定住したと伝える。また、八種神宝を八前大神として祀っており、『延喜式神名帳』では八座とされる
創祀年代は不詳だが、社伝によると、谿羽道主命と多遅麻比那良岐とが相謀って天日槍命を祀ったという。
日本書紀によると垂仁天皇三年三月、新羅王子である天日槍が渡来。播磨国に着いた日槍は、八種の宝物を天皇に貢献した。天皇は、播磨国宍粟邑と淡路の出浅邑を与えようとしたが日槍は諸国を巡って心に適った土地に住みたいと希望。宇治川を遡って近江国に一時住み、若狭を経て、結局、但馬国に住みつき、出石の大耳の娘、麻多島を妻として但馬諸助を生んだ。その但馬諸助の子が日楢杵。その子が清彦、その子が田道間守であるという。このように但馬国は天日槍一族の根拠地であり天日槍に関係した神社が多く存在する。
粟鹿神社(あわがじんじゃ)は、兵庫県朝来市にある神社。式内社(名神大社)、但馬国一宮。旧社格は県社。
彦火々出見命 日子坐王
阿米美佐利命 – 大国主の子。天美佐利命とも表記
神主家の系図区
粟鹿神主は古代素戔鳴命の後裔を称する神部氏が奉斎していたことが知られる。また、系図を見ると素戔鳴尊より五世に大国主命がみえ、さらに太田々弥古命に連なる。系図を信ずる限り、大三輪氏の分かれであり、賀茂朝臣とも同族ということになる。また、太田々弥古命の子太多彦命の子孫の速日・高日兄弟が神部直の姓を賜り、速日の子忍が但馬国造となり併せて粟鹿大神祭主となったと記されている
以後、忍の子孫が代々祭主を務め、さきの案文を上申した神部根に続くのである。また、根の祖父にあたる都牟自は日下部系図に見える日下部氏の祖表米の子都牟自と同名であり、のちの粟鹿神社の社家が日下部宿禰であるところから、同一人物とも考えられる。
いずれにしても、粟鹿神社の祭主は、古代に神部氏が務め、その後、日下部宿禰が務めるようになった。そして、 神部氏と日下部宿禰との接点が『粟鹿大明神元記』にある神部氏系図のなかにみえる都牟自。