宗像三女神

宗像三女神(むなかたさんじょじん)は、宗像大社(福岡県宗像市)に祀られている三柱の女神の総称である。宗像神(むなかたのかみ)、道主貴(みちぬしのむち)とも呼ばれる。

『古事記』に「この三柱の神は、胸形君等のもち拝(いつ)く三前(みまえ)の大神なり」とあり、胸形氏ら海人集団の祭る神であった。それが神功皇后の三韓征伐の成功や、朝鮮半島との緊密化により、土着神、地方神であった三神が5世紀以降国家神として祭られるようになった。

これが宗像大社が祀る田心(たごり)姫君、湍津(たぎつ)姫君、市杵島(いちきしま)姫君である。この三女神は天照と素戔男の誓(うけい)の結果から生まれたという。

『日本書紀』の一書には天照大神が「汝三神(いましみはしらのかみ)、道の中に降りて居(ま)して天孫(あめみま)を助け奉(まつ)りて、天孫の為に祭られよ」との神勅を授けたと記されている。

沖ノ島の沖津宮 – 多紀理毘売命(たきりびめ) 別名 奥津島比売命(おきつしまひめ)
大島の中津宮 – 市寸島比売命(いちきしまひめ) 別名 狭依毘売(さよりびめ)
田島の辺津宮(へつみや) – 多岐都比売命(たぎつひめ)
この三社を総称して宗像三社と呼んでいる。

玄界灘に浮かぶ沖ノ島に沖津宮があり、田心姫を祭っている。この島には古代の祭祀跡があり、出土品は一括して国宝に指定されている(宗像大社所有)。

厳島神社(厳嶋神社、嚴島神社、いつくしまじんじゃ)は、「厳島」を社名に持ち、市杵島姫神(イチキシマヒメ)を祭神とする神社。
全国に約500社あり、広島県廿日市市の厳島神社を総本社とする。

宗像三女神のうち、田心姫神を主祭神とする神社。

宗像大社沖津宮 – 福岡県宗像市沖ノ島鎮座
日光二荒山神社 – 栃木県日光市鎮座
興津宗像神社 – 静岡県静岡市清水区興津中町鎮座
小汐井神社 – 滋賀県草津市大路鎮座
新日吉神宮 – 京都府京都市東山区鎮座
一宮神社 (神戸市) – 兵庫県神戸市中央区山本通鎮座 生田裔神八社の1社

宗像三女神のうち、湍津姫神を主祭神とする神社。

宗像大社中津宮 – 福岡県宗像市大島鎮座
岩木山神社 – 青森県弘前市百沢鎮座 津軽国一宮
高津比咩神社 – 千葉県八千代市高津鎮座
奥津嶋神社 – 滋賀県近江八幡市沖島町鎮座
大嶋神社奥津嶋神社 – 滋賀県近江八幡市北津田町鎮座
三宮神社 (神戸市) – 兵庫県神戸市中央区三宮町鎮座 生田裔神八社の1社

市杵島姫神は中津島姫命の別名とされ大山咋神と供に主祭神とする神社。

松尾大社 – 京都市西京区鎮座 総本社
松尾神社 – 全国各地

神戸市 市杵島姫神?????
生田神社(いくたじんじゃ)は、兵庫県神戸市中央区下山手通一丁目にある神社である。式内社(名神大)で、旧社格は官幣中社。同じ兵庫県内の廣田神社、長田神社とともに神功皇后以来の歴史を有する。
稚日女尊(わかひるめのみこと)である。「稚く瑞々しい日の女神」を意味し、天照大神の幼名とも妹とも和魂であるとも言われる。

明治期初頭の神社調べの記録
『鹿児島県神社明細書』鹿児島県立図書館所蔵

「加紫久利大明神」の項には「日輪太神宮」のあとに「姫太神」と記され、この姫太神の下に「宇佐明神湍津姫命 胸肩明神田心姫命 厳島明神市杵島姫命」と割注形式で書かれています。しかし、「遺書」(由緒)の項には「第一之御殿者日神大神宮第二御殿ハ姫明神ト奉リ候則宇佐明神田霧姫命也第三底筒男中筒男表筒男也第四神功皇后也」とあり、宗像大社と宇佐神宮に共通してまつられる比売大神(姫明神)の神名をどう表示するかという点で統一性を欠いていることがわかります。

 三女神を「宇佐明神」「胸肩(宗像)明神」「厳島明神」の三社三明神に振り分けるというのは、大分県速見郡日出町に鎮座する八津嶋神社の縁起書「影向山八石宮八津嶋大明神縁記」(『日出町史』所収)にもみられます。同「縁記」は、やはりアマテラスとスサノオの「誓約」で誕生した三女神を「第一田心姫命。筑紫胸肩神。第二湍津姫命筑紫宇佐嶋神。則是以湍津姫命為当宮降臨本神矣。第三市杵嶋姫命。安藝国厳嶋神也」と記していて、三女神の三社への振り分けを加紫久利神社の場合と同じにしています。また、「第二湍津姫命筑紫宇佐嶋神」つまり「湍津姫命為当宮降臨本神矣」と、八津嶋神社へ降臨した根本神は宇佐嶋神である湍津姫命だとしています。

宇佐の湍津姫命
 山国川の川神、瀬織津姫神は古く、宇佐氏が祀る神であった。瀬織津姫神は、宗像三女神の「湍津姫命(たぎつ、多岐都比売)」ともされる。「たぎつ」とは「滾(たぎ)つ」。水が激しく流れるの意。

.宗像大社伝承に「住吉は子で宇佐は孫」とある
①神代に比売大神が御許山に天下られた
②571年に欽明天皇が応神天皇を八幡神として宇佐の地に祀られた
③725年に聖武天皇が応神天皇を我が朝の太祖として一の御殿に祀られた。これが現在の宇佐神宮の創立年である。
④731年に比売大神=宗像三女神が二の御殿に祀られた。
⑤823年に神功皇后が三の御殿に祀られた。
⑥皇室の宗廟(氏族が先祖に対する祭祀を行う廟のこと)である。
⑥総数4万社の八幡宮の総本宮である

豊比咩命は「豊」の地主神ともいえる名。闇無浜神社の祭神のひとり「豊日別国魂神」は、香春に在った辛嶋氏によって中津に齎された「豊比咩命」。宇佐以前は中津平野が最も繁栄していたという。香春の「豊比咩命」は中津で「豊の国魂」となった。

豊の地主神、中津豊の地主神、中津の豊日別国魂神「豊比咩命」は「田心姫命」として宗像三女神に収斂している。

 宇佐は畿内に向かう日向や、肥や筑紫の氏族が集まる地。その上、半島よりの渡来氏族までもが集結、そのために多くの氏神が存在した。そういった事情が「三女神」という特殊な神格を生んだようである。
 日本書紀に「三の女神を以ては、葦原中国の宇佐島に降り居さしむ。今、海の北の道の中に在す。」とあり、三の女神は最初、宇佐に降り立った。三の女神は宇佐で組成され、のちに宗像へ移植されて「宗像」の名を冠したのであろう豊の地主神、中津の豊日別国魂神「豊比咩命」は「田心姫命」として宗像三女神に収斂している。

 日本書紀に「三の女神を以ては、葦原中国の宇佐島に降り居さしむ。今、海の北の道の中に在す。」とあり、三の女神は最初、宇佐に降り立った。