丹生都比売神社、丹生、水銀

丹生都比売神社 (にぶつひめ)
伊都郡かつらぎ町上天野30

祭神
丹生都比売大神(丹生明神)
丹生大明神神告門によると天照大神の妹の稚日女命とされる。 大和の王権とつながった際、生じた伝承である可能性もある。
丹生高野御子大神(高野明神)
大食都比売大神(気比明神)
市杵島比売大神(厳島明神)

 丹生とは水銀を含む赤土を言う。その発掘に関わった氏神とも言われる。
また水分(みくまり)の神とも言われている。水を与え、水の配分を司った。
 空海に高野山を譲った神としての伝承で有名。空海の資金源は水銀であった。

由緒
 丹生都比売大神は天照大神の御妹神で別名稚日女尊(わかひるめのみこと)と申します。織物の祖神と言われ、御子の高野御子と共に大和地方を巡歴され、農耕殖産を教え導かれこの地に鎮座されました。 神功皇后に協力された功績で応神天皇より紀ノ川以南の広大な地を神領として与えられました。その後も皇室の御崇敬は厚く延喜の制で名神大社に列せられ、大正13年官弊大社になりました それ故社宝には、国宝や重文も多く保存されています。
 古くは弘法大師が当社の側に曼陀羅院を建立し、その後神白、神黒、2匹の犬の導きで高野山に真言密教の道場を開き、以来当社は高野山の守護神として崇拝されています。第3、4殿には鎌倉時代の初め行勝上人により、敦賀の気比神宮、安芸の厳島神社を勧請され、4柱の神を各殿にお祀りして以来4社明神とも呼ばれてお導きの神として参詣者が絶えません。
 当社の特殊神事の1月の第3日曜日の御田祭、4月の第3日曜日の花盛祭及び渡御の儀は平安時代の古式そのままに行われています。

神武に討たれた丹敷戸畔とは丹生戸畔のことであり、祭神の丹生都比売神をこの丹敷戸畔を祀ったものとする説がある。
またこの伊都郡には丹生神社が53社あると言われている。水銀の採掘にかかわった丹生氏の勢力、丹敷戸畔の存在が大きいものであった事を示している。
 元々この神社は丹生川の水源地の筒香にあったが、吉野の丹生川上水分峯、大和の十市・巨勢・宇智、紀伊の伊都郡・那賀郡の各地を経て現社地の天野原に鎮まったと言われている。

丹生祝氏本系帳

 始祖天魂命、次高御魂命大伴氏祖、次血速魂命中臣氏祖、次安魂命門部連等祖、次神魂命紀伊氏祖、次最兄坐之宇遅比古命、別豊耳命、国主神の女児阿牟田刀自に娶いまして生める児、小牟久君が児ら、紀伊国伊都郡に侍へる丹生真人の大丹生直の丹生祝、丹生相見、丹生神奴ら三姓の始め、丹生都比売の大御神、高野大御神よりはじめて百余りの大御神達に神奴と仕へ奉らしめ了へぬ。

 小牟久君が児丹生麻呂首、次児麻布良首、丹生祝姓賜ふ、即の子孫安麻呂、豊耳より安麻呂に至る十四世、安麻呂の児丹生祝伊賀津の子孫、石床、石垣、石清水、当川、教守、速総、蓑麿、身麿、乙国、諸国、友国、古公。

 小牟久君が児丹生麻呂首、佐夜造の乙女古刀自に娶ひまして生める児小佐非直が子孫、麻呂、即の子廣椅、丹生相見姓賜ふ。豊耳より廣椅に至る、十六世、廣椅児丹生相見廣教の子孫、宇胡閇、大津、古佐布、秋麿、志賀、上長谷、屋主。

 美麻貴天皇(諡 崇神)御世、天道根命裔紀伊国造宇遅比古命、国主御神児大阿牟太首、二人仕へ奉れり、しかして大阿牟太首、神御前に御琴引き仕へ奉りき、是の如く大御神祝仕へ奉る、美麻貴天皇御時神御祝仕へ奉る、伊久米天皇(諡 垂仁)御時神御祝仕へ奉る。並びに二つの朝廷の大御時に大阿牟太祝仕へ奉りき。

 大阿牟太祝の児、兄地、次に弟地、次に阿牟田刀自、大帯之比古意志呂和気天皇(諡 景行)御代仕へ奉る祝兄地、若帯中比古天皇(諡 成務)御代仕へ奉る祝弟地、帯中比古乃天皇(諡 仲哀)御代仕へ奉る祝阿牟田刀自。

 品田天皇(諡 応神)二柱に進つれる物、紀伊国の黒犬一伴、阿波遅国三原郡の白犬一伴。

 品田天皇(諡 応神)寄せ奉る山地四至、東は丹生川上を限り、南は阿帝川の南横峯を限り、西は応神山及び星川神勾を限り、北は吉野川を限る。

 御犬の口代に飯地を奉る、美乃の国の美津の加志波、波麻由布、飯盛る器と寄せ給ひき、又此の伴の犬甘蔵吉人、三野国に在る別牟毛津と云う人の児犬黒比と云う人、この人を寄せ奉る、此の人を寄せ奉る、此の人等は今丹生人と云う姓賜ひ別け奉る。犬黒比と云う者、彼の御犬二伴を率ゐ、弓矢手に取り持ち、大御神坐す阿帝川の下長谷川原に、犬甘の神と云う名を得て、石神と成りて今に在す。彼の児裔、十三世の祖の時より今に大贄人と仕へ奉りて、丹生人と召す姓を賜りて侍る。

 和銅三年十二世の祖、彼の季の籍勘へ仕へ奉る丹生真人安麿。天平十二年籍、十三世勘へ仕え奉る、丹生真人仕え奉る。此の人等の子孫、今に侍り仕え奉る。

 延暦十九年九月十六日