薬師如来、東方浄土、浄瑠璃

薬師如来

梵語のマントラ
    御真言:おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
 仏教の主な仏尊には、その守護を願うためのマントラ(真言:呪文の言葉)があります。仏尊に直接呼びかけるコールですね

薬師如来。
薬師三尊は両脇に日光菩薩、月光菩薩。まわりを十二神将が守護し、昼夜24時間全方向にいる病の人を助けてくださいます

東寺の金堂におられるのは御本尊の薬師如来と日光・月光両菩薩。それに十二神将という薬師ファミリー。

(真言宗真言)おんころころせんだりまとうぎそわか。
(天台宗真言)おん。びせいぜいびせいぜい。びせいじゃ。さんぼりぎゃてい。そわか。

薬師如来は西方極楽浄土の阿弥陀如来に対して東方浄瑠璃界の教主です

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阿弥陀如来の四十八請願
阿弥陀が来世での安らぎを約束するのに対して薬師は現世での安らぎを求める点が異なっています。
それだけ現世の利益を求める仏であるため逆に現実に疲れ果てた民衆にはやはり来世を約束する阿弥陀の方が頼りに思えたのでしょうか。薬師信仰は阿弥陀信仰からするとどうしても層が薄いように思われます。

薬師如来や日光・月光菩薩・十二神将のいる世界

浄瑠璃世界と言う。
瑠璃を地とし七宝を持て成ずると言われる理想世界です。

浄瑠璃とは
「浄瑠璃」とは、もともと東方にある薬師如来の浄瑠璃浄土にちなむ語である。「浄」とは清らかなという意味であり、「瑠璃」とはサンスクリット語の ヴァイドゥーリヤの音写で青いサファイヤのことである。薬師如来の浄土はこれらの宝石に荘厳(しょうごん)されているといい、瑠璃光世界とも言う。
 軍記物語である『平家物語』巻第二に「或東方浄瑠璃医王の主、衆病悉除の如来也」というくだりがある。『平家物語』は、平家一門の栄枯盛衰を描き、仏教の因果観・無常観を基調とし、調子のよい和漢混淆文に、一種の対話を交えた散文体の叙事詩であるが、この文は、平康頼入道の帰洛祈願の祝詞にみえる。熊野速玉宮の本地仏であり、東方の浄瑠璃世界にあって衆生の病苦を救うという薬師如来に祈願するのである。このように薬師如来は古来より衆生の苦しみを救う「医王」として信仰されていた。

東寺の金堂におられるのは御本尊の薬師如来と日光・月光両菩薩。それに十二神将という薬師ファミリー。

薬師如来は49という数字と非常に関連が深く、人が重い病に倒れた時に薬師如来の経を49回読み、49の灯りを灯し、49の五色の彩幡を作ると助かるという言い伝えがあります。また地獄の十王のうち49日目に亡者を裁く泰山
王の本地は薬師如来であるとされています。

薬師如来は、大陸ではほとんど見られず、朝鮮半島に少しと敦煌にあるくらいだそうです。

日本では薬師如来信仰は既に飛鳥時代に始まっています。
法隆寺金堂の薬師如来光背銘文には
『用命天皇が病気になったとき、治癒祈願のため寺を建て薬師如来の像を祀るようにとの仰せがあり、天皇は残念ながら亡くなったが推古天皇と聖徳太子がその遺志を果たした』
と書いてあります。

また、天武天皇の時代に皇后の讃良皇女(後の持統天皇)が病気になり、その平癒を祈願して寺を建てた所霊験あってすぐに直った為、これに感謝して薬師三尊を鋳造して納めたという記録が日本書紀にあります。(奈良・薬師寺)

元々は 薬師如来は梵語でバイサジャグル、正式名は薬師瑠璃光如来。
東方浄瑠璃界の教主。「薬師瑠璃光如来本願功徳経」に薬師如来が菩薩で修行していたとき、十二の大願を立てられました。その内容は病気を治し衣食を与えるというような現世利益の強いもの。

薬師如来の正式の名前は、「薬師瑠璃光(るりこう)如来」と言います。瑠璃光と付いているのは、遥か東方に薬師如来の主宰する国があり、そこは地面が瑠璃(るり=ラピスラズリ)で出来ていて、浄瑠璃世界と呼ばれていると経文に説かれているためです。

 薬壷の中には、体の病、心の病、社会の病をすべて治してしまう霊薬が入っており、それは、釈尊(お釈迦さま)の説かれた教えを象徴的に表わしているものとされます。・・・それと言うのも、釈尊の教えは、しばしば、人々の苦しみを取り除く医療に譬えられ、釈尊は「最高の医者」とも称されるからです。そのため、薬師如来は、釈尊と同一視される場合もあり、釈尊の衆生救済の働きを表わしたのが薬師如来であるとも言われているのです。

薬師如来は、正式には東方薬師瑠璃光如来(とうほうやくしるりこうにょらい)とお呼びする。その名の通り東のかなた、ガンジス川の砂の数の十倍という、たくさんの仏国土を通りすぎたかなたにある浄瑠璃世界(じょうるりせかい)の仏さまである。西の阿弥陀さま、東のお薬師さまということ

仏教の言葉で、私たちの住んでいる世界を娑婆(シャバ)世界という。シャバはインドの言葉であって、忍土と漢訳されている。この、娑婆世界の教主は釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ。お釈迦さま)であったが、すでに般涅槃(はつねはん。亡くなられること)に入られた。

しかし、大乗仏教は空間的にも時間的にも無限の世界観を説いており、私たちの娑婆世界のほかにも宇宙には無数の仏国土があって、現在も無数の仏さまが説法しているという。その中の一人が東方の薬師如来であり、また西方の阿弥陀如来である。宇宙に存在する無数の仏様たちが、娑婆世界の私たちを見守っておられるのだ。

「薬師瑠璃光如来本願功徳経」に薬師如来が菩薩で修行していたとき、12の大願を立てられました。その七番目の願いに「病のものも私の名前を聞けば患いが除かれる」とあって、これが薬師信仰の根拠とされています

 薬師如来はお悟りを得て、 東宝の浄瑠璃世界の教主になられましたが、釈尊(お釈迦様)は「薬師経」の中で、説法の相手の一人である文殊菩薩に次のように語っておられます。
「この薬師如来の有り難い修行によって生まれた大願の功徳は、一劫(非常に長い時間)より長い間説明しても十分ではない。そしてこの浄瑠璃世界は、阿弥陀如来の西方極楽世界と同じように綺麗で、皆差別なく平等である。その世界には、日光・月光の二菩薩が、大勢の菩薩の上位にあって、薬師如来の功徳の具現に力添えをしている。さあ、皆この世界に生まれ来るように。」

薬師如来の十二の大願
『薬師本願功徳経』

薬師如来の功徳を説いた経典が、薬師経です。それには、薬師如来が、まだ菩薩であった時、将来に実行する衆生救済の十二の大願を決心したとあります。

 『薬師経』には、薬師如来が菩薩として修行しておられたときに衆生を救うための十二の誓願をたてられ、菩提を得た(悟りを得た、成仏した)ときには一切の衆生を救済すると誓われた内容が説かれています。それは、一言で言えば、「薬師如来の名を聞けば、世の中の一切の苦から逃れられる。」というものです。

1、すべての人々をほとけにする。
 第一願 光明普照
自身から発する光明で世界を普く照らす
自らの光明は極めて盛んに無量無辺の世界を照らし、一切の衆生も自分と同じように悟らせるという願い

2、すべての人々を明るく照らし、人々が善い行いをできるようにする。
 第二願 随意成弁
威徳と人徳により人々を悟りの境地に導く
瑠璃のように清浄で傷や汚れがなく暗闇を照らし、衆生の意の赴く所にしたがって諸々の事業を成就させるという願い

3、すべての人々が必要なものを手に入れることができるようにする。
 第三願 施無尽仏
人々の願いを叶え、満ち足りた環境に導く
無量無辺の智恵をもって衆生に無尽の施しをして豊かにするという願い

4、すべての人々を大乗仏教の正しい教えに導く。
 第四願 安立大乗
人々の悟りを確立させ、永遠のものにする
異端の道を行ずる者を菩薩道に導くという願い

5、すべての人々に戒律を保たせる。
 第五願 具戒清浄
人々の日々精進させるとともに善行を促す

6、すべての人々の身体上の障害を無くす。
 第六願 諸根具足
迷いを生ずる原因をことごとく消滅させる
身体障害等の病苦にある衆生も、看護・医薬から見放されて親族・家族もない貧窮多苦の衆生も、

7、すべての人々の病を除き窮乏から救う。
 第七願 除病安楽
人々の病気を完治し、心身に安楽を与える
病苦をのぞき心身ともに安楽にするという願い

8、女であることによって起こる修行上の不利な点を取り除く。
 第八願 転女得仏
女性的な優しさだけでなく力と勇気を得る

9、すべての人々をさとりの妨げをなす魔から救い、菩薩の修行を修習させて完全なさとりに到達させる。
 第九願 安立正見
心中の邪悪な感情を除き健全な精神を得る

10、国法による災いなどの災難や苦痛から解放する。
 第十願 苦悩解脱
人々の苦悩や災難をことごとく消滅させる

11、すべての人々が飢えや渇きに苦しむことがないようにする。
 第十一願 飲食安楽
食事に関する苦悩を除き健全な食を与える
飢えのために諸々の悪事をなそうとする者にも香味の食をもって飽食せしめ、

12、すべての人々に衣服を与え、心慰めるものを与えて満足させる。
第十二願 美衣満足
満足する衣類を得て健全な精神を宿らせる
衣類のない者にも必要な衣服や装身具を施すという願い

以上のように、薬師如来は、今日普通に考えられている病難厄除や病気平癒にとどまらず、衆生の全般的な苦(思いどおりにならないこと)からの救済を願っておられます。悟りと福利がある願いが「大願」なのです。

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