石清水八幡宮、八幡市の古墳

平安時代前期に八幡宮総本社の宇佐神宮(大分県宇佐市)から勧請された神社で、京都盆地南西の男山(鳩ヶ峰、標高143メートル)山上に鎮座する。天皇家からは遠国の宇佐神宮に代わり二所宗廟の1つとして崇敬されるとともに、京都の裏鬼門(南西)を守護する神社の代表格として鬼門(北東)の延暦寺とともに重要視された。武家からは特に源氏が武神として信仰し、源氏の広がりとともに壺井八幡宮・鶴岡八幡宮など、当社から各地に八幡宮が勧請された。

淀川を遡って山城へ行くと、石清水八幡宮があるが、当初は紀氏が神主をつとめるしきたりであった。近くには阿蘇山の溶岩を舟形石棺に用いた隼人の古墳がある。隼人の移住にも紀の国の人々の力があったようである

卑弥呼が配ったとの説がある銅鏡は八幡の古墳等からは出てきていない
西車塚古墳からは三角縁の銅鏡がたくさん出てきている西車塚から出た
鏡は東京国立博物館の所蔵になっているが、勾玉などもあって大変貴重である。
ヒル塚古墳・王塚古墳では朝鮮半島でしか類例のないものもあって、ヒル塚から出た鉄剣も王塚古墳から出た皮綴じ式甲冑も大変珍しいものである。それらは京都大学が所蔵している。

西車塚古墳は全長約115メートルの八幡市最大級の前方後円墳。4世紀後半頃の築造とされていますが、現在、前方部分はほぼ破壊されているそうです。現在までに鏡や勾玉などが発掘されているそうです。
木津川が淀川に合流する所が大山崎です。その対岸の小高い山には、男山八幡宮があります。その山の麓に、古墳がいくつかあります。(京都府のホームページより)
 
八幡丘陵地所在遺跡地名表

茶臼山古墳   前方後方墳   八幡市八幡荘笹ケ谷       全長50m、後方部高5m、竪穴式石室、石棺、                                         はにわ、葺石
石不動古墳   前方後円墳   八幡市八幡荘石不動        全長75(88)m、粘土槨2、昭和18年京都大学                                         調査
西車塚古墳    前方後円墳  八幡市八幡荘式部谷        全長115m、後円頂部に八角堂あり
東車塚古墳    前方後円墳  八幡市八幡荘志水         (全長90m)、史蹟松花堂の庭園となっている
西二子塚古墳   古墳      八幡市八幡荘南山         直刀、鉄斧、須恵器、土師器、練玉、砥石出                                         土。消滅
二子塚古墳    古  墳     八幡市八幡荘南山         葺石、はにわあり。消滅

茶臼山古墳 (昭和43年2月13日より3月31日まで現地調査より)
①大正4年5月偶然の機会に発見された。
②古墳は直径18m以上、高さ4.5m内外の円墳(その後の調査で、前方後方墳)で、ハニワはその破片の散乱状態から2重に巡らされ、葺石の存在は認められなかった 
③竪穴式石室で石棺が収められていた。石室は水成岩の板石を積み重ね、空所に河原石を加えたもので、内法の長さ4.3m、幅北部で1.95m、南部で1.45m、高さ1.2m余、上部は4枚の凝灰岩板石でおおわれていた。
④出土遺物は、石棺発見当時すでに盗掘にあい、石室内に散乱していたもののみでありその配列は不明であったが、石釧2個 (他に破片2個体分)、刀身2ロ (他に破片十数口分)、鉄鏃数個、金薄片1個、和銅開称1個であった。
⑤石棺は舟形石棺で阿蘇の凝灰岩板石であることがわかりました。
 ⑤のことから、九州からやって来たころの中国人の墓だと思われます。前期のなかでも最も早い頃の古墳と思われます。

 西車塚古墳  (『京都府史蹟勝地調査曾報告 第一冊』 京都府 1919より)
所在地 男山鳩峰ノ南麓 八幡市八幡荘式部谷 (旧八幡町大字八幡小字大芝)
 墳上に八角堂建っていたため、内部の破壊を免れましたが、明治35年6月18日、境内の工事のため、石室を掘りあて、遺物を取り出して東京博物館に保存。石室は破壊されてしまった。

形状は 全長115mの前方後円墳で、前方部は開墾されて原型はなくなっている。
ハニワ円筒が存する。後円平坦部の北端、前方部に接するところに二個の円筒が埋もれて見つかっている。(外は確認されていない)
出土物 古鏡五面、車輪石 十個、石釧 三個、鍬形石 二個、石製品   一個、勾 玉  十一個、管 玉 一百二十個、小 玉 七十二個、木 片   四個、刀殘片  二十七個

古 鏡      五面
①盤龍鏡 径 10.3cm   (国産?)
②六獣形鏡 径 24.5cm  (国産?)
③変形方格四神鏡 径 21.8cm(漢代の流行った) 
④三角縁唐草文帯二神二獣鏡 径 21.7cm(天王日月の文字あり・後漢中期以降)
⑤繪文樣式神獸鏡 (後漢後期 ? )
 車輪石・石釧の出土から遅い時期の古墳でしょうか? 

東車塚古墳 
所在地 京都府八幡市八幡女郎花43 (旧綴喜郡八幡町大字志水小字女郎花 (をみなへし) 塚七十九番地)

【最初明冶三十年、前方部地均しの際、地表下約二尺にして土砂に混じ偶然古鏡一面と劍身一口とを發見し、此部分に於ては何等特殊の構造を認めざりしと云ふ】『昭和七年 京都府史蹟名勝天然紀念物調査報告 第十三冊』 京都府 1932 より

 出土物  古鏡四面、硬玉製勾玉二個、刀劍身三□、斧頭、鏃、甲冑
① 長宜子孫内行花紋鏡 22.3m  (割れている・中国産)
(銘) 尚方作竟自有好、明面日月□□有、刻治守泉悉皆右、長保二親宜孫子、富至三公利古市、告后也
② 六 神 鏡 16.7m (割れていない)
③ だ龍鏡 径 21.5cm  (割れていない)
④ 三角縁銘帯二神二獣鏡 径 22.7cm (割れている・ひび)

石不動古墳
 所在地 八幡市八幡荘石不動 全長75mの前方後円墳。
南北二つの粘土郭から、石釧、管玉、鉄刀、短刀、鉄斧、玉類などの出土物多い。鏡は一面。
出土した画文帯同向式神獣鏡 径 19.2cmは、破砕鏡ですが、細かく割られています。

特に、茶臼山の石棺は舟形石棺で阿蘇の凝灰岩板石であることは重要視していいと思います。

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三角縁唐草文帯二神二獣鏡