太宰府と太宰帥

太宰
大宰(おほ みこともち)とは、地方行政上重要な地域に置かれ、数ヶ国程度の広い地域を統治する役職で、いわば地方行政長官である。大宝律令以前には吉備大宰(天武天皇8年(679年))、周防総令(天武天皇14年(685年))、伊予総領(持統天皇3年(689年))などあったが、大宝令の施行とともに廃止され、大宰の帥のみが残された。

『続日本紀』文武天皇4年(700年)10月の条に「直大壱石上朝臣麻呂を筑紫総領に、直広参小野朝臣毛野を大弐(次官)と為し、直広参波多朝臣牟後閇を周防総領と為し」とあるように「総領」とも呼ばれた。

大宰帥(だざいのそち/だざいのそつ)は、大宰府の長官。唐名は都督。律令制においては西海道の9国2島を管轄し、九州における外交・防衛の責任者となった。次官は大宰権帥(だざいのごんのそち)及び大宰大弐(だざいのだいに)である。

太宰帥

石上麿 702-704  
  大伴安麿 705-708  
  粟田真人 708-711  
  多治比池守 715-718  
  大伴旅人 728-730  
  藤原武智麿 731-734  
  藤原宇合 73?-736  
  橘諸兄 746-748  
  藤原真楯 748-749  
  藤原乙麿 750-750  
  紀麻路 752-752  
  紀麻路 753-753  
  石川年足 753-757  
  船親王 757-760  
  阿倍沙弥麿 758-758  
  藤原真楯 760-762  
  藤原真光 762-764  
  藤原良継 764-764  
  石川豊成 765-765  
  弓削浄人 768-770  
  藤原良継 770-770  
  石上宅嗣 770-771  
  藤原百川 771-771  
  藤原蔵下麿 771-77?  
  藤原蔵下麿 774-775  
  藤原魚名 777-779  
  藤原浜成 781-781  
  藤原魚名 781-783  
  藤原継縄 785-786  
  佐伯今毛人 786-789  
  藤原雄友 797-798  
  伊予親王 806-806  
  藤原縄主 806-812  
  葛原親王 812-812  
  多治比今麿 820-825  
  葛原親王 823-825  
  万多親王 828-828  
  仲野親王 830-830  
  秀良親王 835-835  
  賀陽親王 840-840  
  宗康親王 845-845  
  葛井親王 850-850  
  葛原親王 850-853  
  惟喬親王 858-863  
  仲野親王 863-867  
  時康親王 866-870  
  賀陽親王 871-871  
  忠良親王 872-876  
  本康親王 876-8??  
  惟彦親王 8??-883  
  時康親王 884-884