洛陽
代悲白頭翁 洛陽城東桃李花 (洛陽城東 桃李の花) 飛来飛去落誰家 (飛び来たり飛び去
阿倍仲麻呂
旧唐書 開元初、又遣使來朝、因請儒士授經。詔四門助教趙玄默就鴻臚寺教之、乃遺玄默闊
資治通鑑 白村江
『資治通鑑』(しじつがん)とは、北宋の司馬光が編纂した編年体の歴史書で、1084年に成立
百済人祢軍墓誌
白村江の戦い(663年)の後、唐側の使者として665年に来日した百済人、祢軍の墓誌が
夫余伝
秦の始皇帝の大帝国が出現した紀元前3世紀、中国遼寧省から朝鮮半島の北部に扶余(フヨ)・
三國志卷三十/魏書三十/烏丸鮮卑東夷傳
書載「蠻夷猾夏」詩稱「玁狁孔熾」久矣、其爲中國患也。秦漢以來、匈奴久爲邊害。孝武雖外
新羅、百済の歴と年号
歴と年号は、独立した国と王朝の証である。 『宋書夷蛮伝』に高句麗伝・百済伝・倭国伝
隋書 東夷 百済伝
百濟之先,出自高麗國。其國王有一侍婢,忽懷孕,王欲殺之。婢云:「有物状如雞子,來感於
隋書 高麗伝
高麗之先,出自夫餘。夫餘王嘗得河伯女,因閉於室内,為日光隨而照之,感而遂孕,生一大