葛木の一言主神は、旧事記に素盞嗚尊の子と記されている。素盞嗚尊の子で大和にやってきているのは大歳、すなわち饒速日尊のみなので、一言主神=饒速日尊という図式ができる。
一言主神社では一言主神=言代主となっているので、言代主=饒速日尊となる。この等式は丹後の籠神社に伝わる伝承でも火明命は言代主命のことであると伝えられているので、両者は一致することとなる。大和で言う言代主命は饒速日尊としたか? 事代主と言代主は字も異なる別神か
香用比売命
葛木坐御歳神社の御年神は大歳神(饒速日尊)の娘となっている。また、近くの二上山は饒速日尊の降臨した山とも伝えられており、饒速日尊は葛城一族に対してもマレビトとして入り込んだようである。
賀茂一族系図(三輪高宮家系譜)
建速素盞嗚命─大国主命─都美波八重事代主命─天事代主籖入彦命─奇日方天日方命
高照姫は別名下照姫と呼ばれており事代主命の妹とされている。御歳神=高照姫=下照姫という関係も考えられる。
古事記には須佐之男命(スサノヲノミコト)と神大市比売命の御子が大年神で、大年神と香用比売命の御子が御歳神であると記されています。
葛木御歳神社
御祭神 御歳神(みとしのかみ)
相殿 大年神(おおとしのかみ)高照姫命(たかてるひめのみこと)
御祭神はご本社の背後の美しい御歳山に お鎮まりになって、金剛山の扇状地にひらけた稲田を御守護された神であります。
古くは神奈備(かむなび-神の鎮座する山や森)の御歳山に自然石の磐座(いわくら)をたて、神を迎えてお祀りするという古式の形式だったと思われます。
御神名の「トシ」は穀物特に稲、またはそのみのりをさす古語で、稲の神、五穀豊穣をもたらす神として古くから尊崇されています。
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古来より朝廷で 豊作祈願のために行われた年頭の祈年祭(としごひのまつり)には、まず本社の御歳神の名が読みあげられました。
古書の記録では、仁寿二年(八五二年)には、大和国で本社だけが最高の正二位の神位を授かる程篤く尊崇され、後に従一位に昇格。
私たちが正月に祭り親しんでいる年神様(としがみさま)は、この大年神、御歳神、若年神といわれています。鏡餅は御歳神へのお供え物であり、このおさがりのお餅には御歳神の魂がこめられており、これを 「御歳魂(おとしだま)」と呼んでいたものが今の「お年玉」の起源であります。
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本社は、鴨氏の名社で、御所市にある高鴨神社(上鴨-かみがも社)、鴨都波神社(下鴨-しもがも社)とともに中鴨社(なかがもしゃ)として親しまれています。
相殿の高照姫命は大国主神の娘神で八重事代主神の妹神であります。
一説には高照姫命は下照姫命(拠-古事記に高比売命=高照姫、別名下照姫命とある)、加夜奈留美命(拠-五郡神社記)、阿加流姫命と同一神とも云われています。
葛城地方に残る伝承
一言主神社
葛城一族の神とされるのが一言主神である。一言主神とは鴨氏の神である事代主神の代わりに作られた存在。 旧事紀に、素戔嗚尊の子と伝えている。
高鴨神社
御祭神は味耜高彦根命・下照姫命・天稚彦命 鴨の一族の発祥の地。弥生中期、鴨族の一部はこの丘陵から大和平野の西南端今の御所市に移り、葛城川の岸辺に鴨都波神社をまつって水稲生活をはじめた。 味耜高彦根神の本拠地
鴨都波神社
御祭神は積羽八重事代主神・下照比売命。 下鴨神社ともいう。事代主神の最初の誕生の地。鴨族の発祥地。
葛木坐御歳神社
中鴨神社ともいう。御祭神は御歳神で、相殿に大年神・高照姫命が祀られています。御歳神は大年神の娘。
古事記には須佐之男命と神大市比売命の御子が大年神で、大年神と香用比売命の御子が御歳神であると記されている。
相殿の高照姫命は大国主神の娘神で八重事代主神の妹神である。一説には高照姫命は下照姫命(拠-古事記に高比売命=高照姫、別名下照姫命とある)、加夜奈留美命(拠-五郡神社記)、阿加流姫命と同一神とも云われている。
長柄神社
御祭神は下照姫命 下照姫の本拠地
鹿江比賣神社(鹿江比売神社)(かえひめじんじゃ)
『延喜式神名帳』阿波国板野郡に小社(国幣小社)として掲載され、元慶7年(883年)9月5日には従五位上に叙された記録があるが(『日本三代実録』)、現在その論社として以下の2社が挙げられている。
なお、祭神は鹿江比売神(命)と見られており、「かえひめ」の訓から草野姫(かやのひめ)と同神とされ(『古事記』には「鹿屋野比売神」、『日本書紀』には「草祖(くさのおや)草野姫」として現れる)、草の神とされている。
徳島県板野郡上板町に鎮座する葦稲葉神社に合祀されている鹿江比売命
徳島県鳴門市に鎮座する大麻比古神社の境内にある小祠、鹿江比売神社
鹿江比売神社
徳島県板野郡上板町神宅、大山寺のある大山のふもとにある式内社
神宅(かんやけ)」地区の式内社「鹿江比売神社」
「鹿江比売神社」は、「葦稲葉神社」に合祀されている
摂社の「殿宮神社」が並んで鎮座
祭神は、日本書紀に登場する草の精の「草野姫神(かやのひめのみこと)」
別名を「野椎神'(ぬずちのかみ)
この神社の北にある大山の大山寺は、「山の神」の「大山津見神」のいますところとして崇められています。古事記では二神は「夫婦神」
祭神は鹿江比売神(命)であり、「かえひめ」の訓から草野姫(かやのひめ)と同神とされております。一般的には草の神とされているようです。
(『古事記』には「鹿屋野比売神」、『日本書紀』には「草祖(くさのおや)草野姫」として現れる)
「阿波國続風土記」によれば
鹿江比売神社
板東村に在り長井明神と称す三代実録元慶七年九月五日戌辰授阿波國従五位下鹿江比◯神従五位上頭書に神名帳紅作江とあり是決て大麻比古神の后神なるべし近江國小野神社も二座なり鹿江の名義御眞津日子訶惠志泥命の訶惠に同じきか 但し江惠異音なれば別義か又天足彦の女忍(?)鹿江比売の鹿も考べし
「鹿屋野比売神」
古事記では、「大山祇神」との間に、四対八柱の神を生んだ。
「神名帳考証」ではどうなってるのかな?
「大麻比古神社」
大年神娶香用比売 云々又鹿屋野比売神同八河比売
大年神は「須佐之男命が大山津見神の女名は神大市比売に娶ひて生みませる子、大年の神」八河比売(八河江比売)は大国主命の后神