2年
百濟の池津媛を石川楯と通じた罪により処刑。
百済蓋鹵王即位
天皇は美女を乞うた。百済は美女を送る。
5年
百済加須利君の弟軍君及び自らの婦を倭に仕えさせた。婦は筑紫で後の武寧王を出産。
6年
養蚕奨励。呉が使いを使わして貢物を奉った。
7年
吉備下道前津屋の乱
吉備上道臣田狭を任那国司に任命する。この時新羅と不和であった。
8年
呉に使いを出す。天皇即位以来新羅が朝貢してこなかった。新羅は天皇を恐れて高麗に守ってもらった。高麗の守りは偽りであった。
新羅は任那に救援要請。新羅を救援する。新羅・高麗間が以降不和となる。
9年
新羅は貢物を送らないばかりか、高麗の貢物を邪魔し百済の城を取ったりするので、新羅を攻めた。
12年
身狹村主靑と檜隈民使博德とを、呉に出使す
高句麗が百済を攻めた。百済王子文周を新羅に派遣して救援を乞うたので、王は兵を出してこれを救ったが、新羅軍が至る前に百済は既に落ち、百済王蓋鹵王は殺された
14年
身狹村主靑等、呉國の使と共に、呉の獻った手先の工人、漢織・呉織及び衣縫兄媛・弟媛等を率いてもどる。これらの人々を重用する。
18年
伊勢朝日郎を征伐する
19年
安康天皇の名を残す穴穗部を設ける
20年
高麗王が大軍を持って百済を滅ぼした。高麗の将が百済の生き残りを追い払おうとしたが、高麗王は百済は日本の宮家であり、日本に仕えており、周りの国々もそのことを知っているので追い払ってはならないとした。
21年
天皇は久麻那利を百済文州王に賜って、その国を救い興した。
高句麗が北辺を侵した。新羅・百済連合軍がこれを破った。 南斉の太祖道成が高句麗長寿王を驃騎大将軍に冊命したと聞き、使者を派遣して内属を請い許された。 新羅本紀
23年
百濟の文斤王、亡くなる。天皇は昆支王の5人の子の中から二番目の王が聡明なので筑紫の兵士500名に守らせて百済に送った。東城王である。
百済の貢物は例年以上であった。筑紫の安致臣・馬飼臣らが高麗を討った。
天皇崩御
新羅討伐から帰ってきた吉備臣尾代は新羅から帰還途中の蝦夷が、天皇崩御を知り反逆を企てたので、平定した。