ソ連の科学アカデミー・シベリア研究所のR・S・ワシリェフスキー氏との共同研究
早稲田大学の考古学実習室での講演だった。その結び、それは黒曜石だった。ウラジオストック周辺の三十数カ所の遺跡から出土した、七十数個の黒曜石、それをもって来日された。
そして立教大学の原子力研究所の鈴木正男教授に、顕微鏡による屈折率検査を依頼した。その結果、約五割が出雲の隠岐島(おきのしま)の黒躍石、約四割が秋田県の男鹿(おが)半島の黒曜石、約一割が不明(中国と北朝鮮との国境の白頭山のものか)。この結果をしめした。これがワシリェフスキー氏の講演のしめくくりだった。
しかも、氏が持参された黒曜石の遺物(鉄)の出上遺跡は、放射能測定によると、前二○○○年から前一五○○年のものを中心にしている、という。
日本でいう、縄文後期前半頃だ。放射能測定できぬ遺跡の場合も、新石器時代(日本でいう縄文時代)のものには、まちがいない、という。