筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原、ミソギと神産みの地

神主さんは、お祓いで

筑紫の日向(ひむか)の橘(たちばな)の小戸の阿波岐原でイザナギの大神が禊祓いをされた時に生まれた大神たちよ。いろいろな災難や罪や穢れを祓ってください、清めて下さい。

記紀の最初に、神がうまれる。

黄泉国から帰った伊邪那岐命は、筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原で禊祓いをした。 身に着けていた杖や帯、衣などを投げ捨てると、そこから神々が生まれた。

歴史が始った場所:筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原

ところが、どこかワカラナイ。九州の三箇所があって、どこもこちらであるという。困ったことです。

歴史は闇に消えてしまうまえに、記録しておきたいものです。


古事記では、クマソは熊曽と書き、一貫して地名として用いられている。

神代記、大八島国の生成の箇所に、…筑紫国・豊国・肥国・熊曽国の名をあげており、これによってクマソは九州南半、日向・大隈・薩摩地方(宮崎県・鹿児島県)にあたることが推測される。

㈱岩波書店発行「日本古典文学大系新装版 日本書紀」より

律令時代の行政区画には、クマに当たるものとして肥後国球磨郡(くまぐん、今、熊本県球磨郡・人吉市)の名があり、ソについても、大隈国贈於郡(そおぐん、和銅6年〈713〉日向国から分れる。今、鹿児島県囎唹〈そお〉郡西部・姶良〈あいら〉郡東部・国分市)の名がある。

甲類の西海道風土記に、クマソのことを『球磨贈於(くまそお)』などと4字に記していることは、奈良時代の人々がクマソを肥後の球磨・大隈の贈於と理解していたことを示すものである。

㈱岩波書店発行「日本古典文学大系新装版 日本書紀」より
吾田の長屋の笠沙の岬

昔、宮崎県延岡市は吾田〔県、英田郷〕と呼ばれていました。高千穂に降臨されました、天照大神の孫のニニギの尊が吾田の長屋の笠沙の岬でコノハナサクヤ姫と出逢い結婚されます。そして火照の尊みこと、火須勢理尊のみこと 火遠理尊のみことの三皇子をもうけました。

こののち火遠理尊が現在の西都市に移り住み、山幸彦と呼ばれるようになります。

福岡市の小戸大神宮

小戸大神宮の由緒書きはこうです。(一部ひらがなに)

小戸大神宮は神代の昔、伊邪那伎命が御禊祓(みそぎはらえ)の神事を行われた尊い地であり、皇祖天照皇大神を始め、住吉三神、他神々が御降誕され、神功皇后の御出師および凱旋、上陸された実に由緒深い神社であります。

全国の神社で奏上されております祓詞の中に小戸の地名が入っております。

その祓詞

筑紫の日向(ひむか)の橘(たちばな)の小戸の阿波岐原で
イザナギの大神が禊祓いをされた時に生まれた大神たちよ。
いろいろな災難や罪や穢れを祓ってください、清めて下さい。

小戸という地名がここに残っている。