60通りの干支は、1から60までの数字の役目をします。
だから、干支を1から60までの数字に置き換えると分りやすいわけです。 普通、「甲子1・乙丑2……癸亥60」としていますが、西暦元年が辛酉の年に当たるので、西暦に換算しやすくするために、上表の西暦順には辛酉を1にした順序を採用しています。
『日本書紀』の年代引き上げ用計算式の復元が可能であると予想させる研究は、
東京天文台に勤務していた小川清彦(1882-1950)氏によてなされました。
その研究によると、朔の干支は、年代の引き上げがない部分が元嘉暦に一致し、
引き上げ部分では、222個の朔の干支がすべて書紀編纂当時の儀鳳暦に一致します。
これは、年代を引き上げて、架空の記事を作るために、書紀の編者が、手間ひまかけて、日付を表すための朔の干支を、きちんと計算によて求めているということです。
古代の暦法とは無関係ですが、干支による日付からは、例えば神武天皇が即位した辛酉年春正月の庚辰の朔が、太陽暦では、紀元前660年2月11日になることが分ります。