大陸と繋がった日本列島:3万年前

旧石器時代の日本列島

日本と大陸との間の陸橋の存在
約3万年前(更新世後期後半、後期旧石器時代)北海道とシベリアがつながった時期があるホモ・サピエンス、クロマニヨン人の時代である
なお、新人の起源はアフリカで、その出現は十数万年にさかのぼるとする説が有力である

旧石器群を出土した主な古い遺跡

沖縄県山下町第一洞穴
3万2千年より古く、人骨の化石といっしょに石器3点出土
礫器を主体とする石器文化の存在
立切遺跡(たちきり、鹿児島県種子島)
約3万年前の旧石器時代の生活跡
一定期間定着して生活した様子が4点セットで出土した
・石斧や食物の加工用に使われたと思われるすり石,たたき石,台石
・調理場跡とみられる礫(れき)群
・たき火や料理をした跡の焼土
・木の実などの貯蔵穴と思われる土坑
宮崎県後牟田遺跡
約3~4万年前
人類の生活の痕跡(礫群・敲石・台石などのセット)がまとまって検出された
熊本県血気ヶ峯遺跡
熊本県曲野遺跡
台形様石器と局部磨製石斧の組み合わせ完成
東京都西之台B遺跡や中山谷遺跡
約3万5千年前、関東地方で最も古いと考えられる
礫器と不定形剥片石器の組み合わせ
岩手県金取遺跡
Ⅳ層(約3万8千~8万年前)、Ⅲ層(約3万6千年前)
礫器と不定形剥片石器の組み合わせ
後期・旧石器時代人は黒潮に乗ってやってきた

礫器は石蒸し料理に使うもので、たくさんの石をまとめて使った後は礫群として痕跡を残す。石蒸し料理という南方系の文化を携えた人々が黒潮に乗ってやってきたと考えられる。縄文人の祖先たちであろう。

東京・武蔵野台地の旧石器遺跡(約3万2千年前頃)から、伊豆諸島・神津島産の黒曜石を使用した石器類が発見されている。しかし、神津島と伊豆半島との間には、幅30km(海深200m)以上の海が横たわっている。渡航具(筏、丸木舟)はまだ見つかっていない。しかし、旧石器時代人がすでに舟を利用して行き来していたことは間違いない。

なお、神津島と神津島産黒曜石を出土した遺跡との距離は、最も離れたところで約180kmある。神津島産黒曜石の品質が良く人気が高かったことに加えて、遠隔地まで運ぶ流通ルートや組織が確立していたものと考えられる。