王塚古墳の埋葬施設ですが、後円部に南に入り口のある横穴式石室があります。横穴式石室は南の大麻山で採れる扁平な小型の安山岩を使用しており、古墳時代前期・中期に多く造られた竪穴式石室と似た構造になっています。石室の奥の部屋(玄室げんしつ)には板状の石で遺体安置施設をつくっています。これを石屋形(いしやかた)といいます。石屋形は最近同じ善通寺市の菊塚古墳で発見されましたが、香川県では珍しく、一般的に熊本県で多くみられます。
石室の中から出土したお供え物(=副葬品ふくそうひん)は大量の須恵器や馬具、武具、刀、首飾り・耳飾りの装飾品などがあります。中でも金銅製冠帽(こんどうせいかんぼう)は珍しく、政治的・社会的地位を示す象徴です。また、刀のうち1本には銀象嵌(ぎんぞうがん)の模様のあることも判明しました。 象嵌とは金属の表面に鏨(たがね)で切り込みをつけ、別の金属をはめ込む技法です。このような刀は優秀な渡来工人が大和政権下で製作を担当し、大和政権から地方の首長に送られたものと考えられています。
王墓山古墳の造られた時代は出土した遺物から6世紀前半(古墳時代後期前半)であり、この時代は大朝廷に政権交代があったとされる継体天皇の時代で、また、九州では筑紫国造(つくしのくにのみやつこ)井(いわい)の反乱がおきた頃になります。
磨臼山古墳は磨臼山の尾根上にある全長50mの前方後円墳です。後円部から刳抜式石棺が発見され、現在市民会館に展示されています。石棺は長さ2.4m、幅0.7~0.8mで頭を安置させる箇所に石枕をつくっています。石枕の両耳の位置には勾玉の耳飾りを浮き彫りしています。この石棺は高松市国分寺町の鷲の山(わしのやま)の安山岩で作られています。鷲の山の安山岩は鷲の山石と呼ばれており、県内では高松市三谷石舟塚古墳、高松市石船塚古墳、高松市国分寺町石舟神社、高松市伝舟岡山古墳、丸亀市快天山古墳の石棺があります。時代は古墳時代前期後半でちょうど火山で石棺が制作されていた頃と重なります。形も快天山古墳の石棺と赤山古墳の石棺は似ており、それぞれの地域に石工がいたのか、同じ石工が場所を移動して製作したのか興味深いところです。磨臼山古墳の石棺は形の特徴から赤山古墳の石棺よりは新しく、岩崎山4号墳の石棺よりは古いものといえます。