倭人について、
「周時天下太平 倭人來獻鬯草」(異虚篇第一八)
周の時、天下太平にして、倭人来たりて暢草を献ず
「成王時 越裳獻雉 倭人貢鬯」(恢国篇第五八)
成王の時、越裳は雉を献じ、倭人は暢草を貢ず
「周時天下太平 越裳獻白雉 倭人貢鬯草 食白雉服鬯草 不能除凶」(儒増篇第二六)
周の時は天下太平、越裳は白雉を献じ、倭人は鬯草を貢す。白雉を食し鬯草を服用するも、凶を除くあたわず。
「蓋國在鉅燕南 倭北 倭屬燕」(山海經 第十二 海内北經)
蓋国は鉅燕の南、倭の北にあり。 倭は燕に属す。
山海経の編纂された時代には、倭は燕に朝貢していたと考えられていた事がわかる。 しかし、同書は伝説集または神話集の体裁をとっていて「架空の国」や「架空の産物」が多く、史実を忠実に反映したものとみなすことについては疑問視されている。 『山海経』第九 海外東經では、東方の海中に「黒歯国」があり、その北に「扶桑」が生える太陽が昇る国があるとされていた。
海内、西北隅より以東のもの
蛇巫(だふ)の山の上に人がいて、杯をもって東に向って立つ。西王母が几(つくえ)にもたれて勝(かみかざり)と杖をのせている(注一)。その南に三羽の青い鳥がいて、西王母のために食物をはこぶ。昆侖(こんろん)の虚(おか)の北にあり。
人あり、大行伯といい、戈(ほこ)をもつ。その東に犬封国あり、弐負(じふ)の尸(し)は大行伯の東にあり。犬封国は犬戎(けんじゆう)国ともいい、その状は犬のよう。ひとりの女子がいまし跪(ひざまず)いて、酒食を進めている。文(あや)ある馬がいる、白い縞の身、朱(あか)い鬛(たてがみ)、目は黄金のよう、名は吉量。これに乗れば寿命千年という(注二)。
鬼国は弐負の尸の北にあり、この物は、人面にして一つの目。[虫匋](とう)犬は犬の如くで青色。人を食い、首から(食い)はじめる。窮奇は状は虎の如く、翼があり、人を食うに首からはじめる。食われるものは髪ふりみだしている。[虫匋]犬の北にあり。
帝・堯の臺(たかどの)、帝・嚳(こく)の臺、帝・丹朱の臺、帝・舜の臺、各ゝが二つの臺で、臺は方形、昆侖の東北にあり。
大蠭(ほう)、その状は蠭(はち)の如く、朱蛾(しゅが)はその状、蛾のよう。蟜(きょう)はその人となり虎の文あり、脛(すね)に啓(「口」の部分が「月」という字)(ふくらはぎ)あり。窮奇の東にあり。
闒非(とうひ)は人面で獣身、青色。拠比(きょひ)の尸(し)はその人となり、頸(くび)が折れ、髪ふりみだし、片手なし。
環狗(かんこう)はその人となり、獣の首に人の身。祩(み)というものは人身で黒い首、従(たて)の目。
戎(じゅう)はそのひととなり人の首で三つの角。
林氏国に珍獣あり、大きさ虎の如く、五彩みなそなわり、尾は身より長い。名は騶吾(すうご)。これに乗れば日に千里を行く。昆侖の南にある氾(はん)林は方三百里。従極の淵は深さ三百仞、(河伯)冰夷(ひょうい)つねにここに都す。冰夷は人面にして双竜に乗る。陽汙(お)の山、河が山の中から流れ、凌(りょう)門の山も河が山の中から流れる。王子夜の尸は両手・両股(もも)・胸・首・歯みな切られてばらばらである。
舜の妻、登比(とうひ)氏は宵(しょう)明と燭光を生み、黄河の大きな沢に住んだが、二人の姫の霊はここ方百里を照らすことができた。
蓋(がい)国は強大なる燕(えん)の南、倭(わ)の北にあり、倭は燕に属す。朝鮮は列陽の東の海、北山の南にあり、列陽は燕に属す。
列姑射(れつこや)は海の島の中にあり。姑射国は海中にあり、列姑射に属し、西南には山をめぐらす(注三)。大きな蟹が海中にいる。陵魚は人面で手足あり、魚の身、海中にあり。大きな[魚便](おしきうお)は海中に住む。明組の邑(くに)は海中にあり。蓬萊(ほうらい)山は海中にあり。大の市(いち 蜃気楼か)は海中にあり。
蓋国とは、朝鮮半島最北部に蓋馬(ケイマ)高台という高原地帯があり、そこに蓋馬市があるのでこの辺り以外にはは考えられない。
鉅燕(きょエン)とは戦国時代中国の大国・燕のことで秦の始皇帝にB.C.E.222年に統一されて独立を失った地域。鴨緑江以北の遼東から東北区にまたがっていた。
その鉅燕(きょエン)の南に蓋国があるというのだから、この2つの国の位置関係は正確で、やはり蓋国が朝鮮半島にある国だったことは間違いない。
ところが次の文章では、その蓋国は「倭の北に在る」という。
この記事の指す時代は、第九「海外東経」の末尾に、「建平元年(B.C.E.6年)四月丙戌に書いた」という。
卑弥呼時代の朝鮮半島をみると蓋馬高台や蓋馬市のあたりは高句麗であり、それ以南には濊(ワイ)と韓がある。
それなのにこの『山海経』は濊(ワイ)・韓を知らず、そこは倭だと書くが、それだけではない。
すぐ続けて「倭は燕に属す」と書いている。
前漢時代には燕の勢力下にあったというのだ。
これは朝鮮王の準が漢の初めに燕人の衛満に騙されて国を奪われた『史記』の話を考えると、確かに半島は燕人の支配下に入っていたといえる。
こうみてくると前漢末の中国人は、後(のち)の濊(ワイ)と韓(馬韓・辰韓・弁韓)を全て倭だと認識していたのである。
濊(ワイ)の発音「ワイ」あるいは「カイ」であろう。
前222以前、蓋国は、漢音ガイです。しかし、呉音はカイです。
また、蝦夷(カイ)、戎(カイ)で、穢族です。
海内經
東海の内、北海の隅に国がある。名は朝鮮天毒。この国の人は水に住む。偎・愛人がいる。
蓋(がい)国は強大なる燕(えん)の南、倭(わ)の北にあり、倭は燕に属す。朝鮮は列陽の東の海、北山の南にあり、列陽は燕に属す。
東海とは、渤海湾のこと。
戦国時代以前に洛陽で編纂されたとされる山海経(平凡社;高馬三良訳)によれば、「天地の東西は二万八千里、南北は二万六千里(漢以前1里;約0.4km)」(中山経)、「帝は豎亥に命じ、東極より歩んで西極に至らしむ。五億十万九千八百歩なり(漢代1里;300歩)。」(海外東経;古代史獺祭)という。洛陽からみて、「強大なる燕は東北隅にあり」(海内東経)、「東海の内、北海の隅に国あり、名は朝鮮」(海内経)、「蓋國は、強大なる燕の南、倭の北にあり。倭は燕に属す。朝鮮は、列陽の東の海、北山の南にあり、列陽は燕に属す。」(海内北経;古代史獺祭)とみなされていた。