倭建命の急死の知らせが届き、倭に居る后や御子たちが駆けつけますがその倭建命の葬送の時の歌、四首
なづきの田の 稲幹に 稲幹に 這ひ廻ほろう 野老蔓
浅篠原 腰なづむ 空は行かず 足よ行くな
海処行けば 腰なづむ 大川原の植草 海処はいさよふ
浜つ千鳥 浜よは行かず 磯伝ふ
古事記原文では、単なる白鳥ではなくて白い千鳥(八尋白智鳥)
『日本書紀』、『先代旧事本紀』では日本武尊、『古事記』では倭建命と書き、またの名を日本童男・倭男具那命(やまとをぐな)ともいった。また、『尾張国風土記』逸文と『古語拾遺』では日本武命、『常陸国風土記』では倭武天皇、『阿波国風土記』逸文では倭健天皇(または倭健天皇命)と書く。
『古事記』の「八千矛神の妻問い物語」に倭と夜麻登が次のように語られます。
ーーまたその神の嫡后須勢理毘売命、いたく嫉妬したまひき。かれ、そのひこじの神わびて、出雲より倭国に上がりまさむとして、束装し立たす時に、片御手は御馬の鞍にかけ、片御足はその御鐙に踏み入れて歌ひて曰く。
ぬばたまの・・・・(省略)・
山との一本薄 項かぶし 汝が泣かさまく 朝雨の 霧に立たむぞ 若草の命 事の 語言も ことば(5)ーー
ーーかれ、この大国主神、胸形の奥つ宮(宗形神社の沖つ宮)に坐す神、多紀理毘売命を娶して生みしーー