甕棺、ガラス製勾玉

日本では縄文時代以降、甕棺墓が見られる。縄文後期・晩期の遺跡からは、日本各地(東北~近畿~九州)で甕棺墓の風習があったことが判っている。その後、弥生時代前期~中期の北部九州において最盛期を迎える。北部九州の中でも福岡平野周辺一帯は、弥生早期から前期前半までは成人が主に木棺に埋葬されていたが、前期後半になると壺棺に代わった。それまでは、小児が甕棺に埋葬されていた。中期後半には長崎県や熊本県の一部まで拡がった。

墓地は一般集落構成員の墓と有力者層の墓とは別に造られるようになった。青銅製品などの副葬品にも差が出てきた。この地域社会にいくつかの階層ができあがっていったことがわかる。それらの階層分化は、前期末~中期初頭の福岡県吉武高木遺跡、中期後半の福岡県三雲南小路遺跡1・2号甕棺、須玖岡本遺跡、後期になって井原鑓溝遺跡、平原遺跡などでみられる。

分布

甕棺の分布
特徴として、壱岐では見られるが対馬では見られず、遠賀川下流域や天草でも見られない。

東は日田まで、南は宇土まで、北は壱岐まで、西は五島まで分布している。不連続ではあるが鹿児島県でも3基発掘されている。また、兵庫県の田能遺跡でも、幼児用の甕棺が出土している。

初期の甕棺は、熊本、島原から福岡平野まで広く分布しているが、やがて密集地域である福岡平野や筑紫平野で集中して作られるようになる。

現在まで約13000の甕棺が発掘されており、おおよその分布は、甘木・佐賀平野を含む筑紫平野が8000ほど、唐津・糸島郡、福岡平野の玄海灘沿岸が4000ほどとなっている。
熊本では200弱、島原では、100程度である。

大量の銅鏡の副葬

玄海灘沿岸の甕棺からは、大量の中国鏡が副葬されることが多い。
奈良県の黒塚古墳などを見ると、玄界灘沿岸の地方と同じように大量の銅鏡を副葬している。黒塚古墳だけでなく、近畿地方の多くの古墳で同じようなことがあるところを見ると、近畿地方と玄海灘地方には共通性があるのかもしれない。

伊都国王の墓とも言われる巨大墳丘墓

三雲南小路遺跡
この遺跡は江戸時代終わりごろに発見され(1号甕棺)、出土品のうち銅鏡1面と銅剣1本が博多の聖福寺に伝えられ国の重要文化財に指定されています。
最初の発見から150年後の昭和50年(1975)、新たに2号甕棺が発見され、銅鏡22面以上、ヒスイ製勾玉、ガラス製勾玉、管玉、金銅製の四葉座飾金具などが出土しています。
墳丘は弥生時代の中期後半(約2000年前)に造られたと推定され、豪華な副葬品や墳丘の大きさから伊都国王の墓であると考えられています。

日本最古の王墓といわれ、伊都国王墓の中心の遺跡。同一墳丘上に二基の甕館が埋葬さ れていた。規模は東西 32m、南北 31mほどの(長)方形の人工の盛り土があったと推定 されている。この遺跡からは、大陸から持ち込まれた副葬品が数多く出土している。銅鏡 が1・2号甕棺から合わせて 57 面出土しており、一つ の墓から出土した枚数は最多である。中国の皇帝が王侯 クラスの人物の死に対して贈る特別な品物のガラス壁と 金銅四葉座飾金具が発見されている。

弥生中期のガラス製勾玉の出土遺跡
岡山県山陽町の門前池遺跡、同県長船町の木鍋山遺跡
大阪府加美遺跡
がある。
これらの内数点が定性分析されており、鉛バリウムガラス、あるいはバリウムを含む鉛ガラスと考えられている。

弥生後期になるとガラス勾玉は北部九州を中心に、福井県の1例を除いて機内より西に23遺跡42個が分布する。
福岡県8遺跡11個、
佐賀県2遺跡3個、
長崎県・熊本県・大分県各1個、
中国地方では広島県・島根県・鳥取県で各1個、
畿内では大阪府・奈良県が各1個、
京都府北部の8遺跡18個
である。

島根県出雲市の四隅突出墳丘墓の西谷3号墓から、ガラス管玉4個・ガラス小玉170個と一緒に出土した、極めても特異な形状をしたブルーの勾玉2個である。その成分もソーダ石灰ガラスに鉛とバリウムが入ったような特殊なガラスである。

京都府北部の丹後半島周辺が福岡県と肩を並べる程の中心となって来ている。

勾玉鋳型を出土した弥生遺跡

福岡県春日市の須玖赤井手遺跡・須玖坂本遺跡、福岡市の弥永原遺跡、小倉市の長野尾登遺跡などがあり、大阪府茨木市の東奈良遺跡がある。
これらの遺跡はいずれも青銅器の鋳造、あるいは鉄器の製作に関わりのある遺跡である。

丹後地方のガラス製作遺跡としては、弥生中期後半の遺跡ではあるが、京丹後市弥生町の奈具岡遺跡がある。この遺跡は水晶や緑色凝灰岩の玉類を製作した遺跡であるが、ガラスの生産も行っていたようで、小さなガラス片が多数、そしてガラス滓が出土している。奈具岡遺跡には鉄製品を作る鍛冶工房もあり、8㎏を超す鉄片が出土している。弥生時代後期にガラスの新たな中心地になった丹後半島には、内外との交易を行い、ガラス素材を溶解する技術が弥生中期後半には出来ていた

IMG_2555.JPG