忌部、天太玉、天日鷲命、手置帆負命、笠縫邑

天日鷲神は、神代紀には二箇所見えて、天岩戸事件のとき祈祷のため粟国忌部の遠祖でその作った木綿を天香山の真榊に掛けたこと(第七宝鏡開始の段の一書第三)、高皇産霊尊が作木綿者としたこと(第九い降臨の段の一書第二)が記されています。

高魂命(高皇産霊尊)の孫・天日鷲命(天日鷲翔矢命)の後裔は多く記載されて、弓削宿祢、天語連、多米連・宿祢、田辺宿祢があげられます。

系図では、天日鷲命の後裔氏族に粟・安房の忌部、神麻績連、倭文連、長幡部、神宮部造などがあげられます。とくに安房の忌部の子孫となる洲宮神社祠官小野家所蔵の「斎部宿祢本系帳」(筑波大図書館所蔵、鈴木真年写本)には、天日鷲翔矢命の子の天羽雷雄命(一云武羽槌命)の子孫として委文宿祢・美努宿祢・大椋置始連・鳥取部連の祖と記載されます。
ここであげられる四氏のうち、美努宿祢・鳥取部連 は『姓氏録』には美努連・鳥取連としてあげられ、ともに「角凝魂命の三(一説に四)世孫の天湯川田奈命(天湯河桁命)の後」として記されます。また、同書には、右京神別に神麻績連、鳥取連、三島宿祢、天語連が一連の記載をされており、記載内容は現存版が抄本のためあまり共通なものとはなっていませんが、これら諸氏が同族の系譜を伝えていたことが推されます。

阿波国はもと粟とかかれた地域で、古来、繊維の麻の産地であり、当地の開拓者たる忌部がその製作にあたっていました。そのことは、阿波忌部の祖とされる天日鷲神が木綿の製作者として記紀神話に見えることと符合します。古代の衣服・繊維氏族の倭文連・長幡部も忌部の同族でした。
そして、また衣服・繊維氏族であった服部連も、これらの同族であり、その出自が伊豆国造一族であって、同国造一族が古来、同国賀茂郡で三島大社(伊豆三島神社)を奉斎してきました。同郡の式内社阿波神社が、いま神津島に鎮座して三島大神とその后神阿波比咩神を祀ります。

神武世代の二世代前の世代(高魂命の孫世代)でもあることから、少名彦命と天日鷲命が同一神である可能性がある。

『古語拾遺』
忌部氏の祖は天岩戸で活躍した天太玉命
ほかに天太玉命に従っていた五神があり、そのうち、
天日鷲命が阿波忌部氏、
手置帆負命が讃岐忌部氏、
彦狭知命が紀伊忌部氏の祖
となった。
天日鷲命は穀(カジノキ:楮の一種)・木綿などを植えて白和幣を作り、その子孫が最も著われて代々、木綿・麻布などを朝廷に貢上し、それは大嘗会の用に供された。麻植郡の名もこれから起こった

少彦名神と同一か?
少彦名神は、海上より出雲の五十狭狭(いささ)の浜に着いた小男。
薬草カガミの皮で作った舟に乗り鷦鷯の羽根で作った衣を着ており、高皇産霊尊の子でその指間から落ちた神とも伝えられます。子か孫か?。いずれにせよ同一人物か近親の者

安房と粟
記紀神話では、木綿の製作者。
式内社 安房國朝夷郡 下立松原神社 しもたてまつばら 千葉県安房郡白浜町
合祀 式内社 安房國朝夷郡 天神社
祭神・天日鷲命は、天太玉命の部下。
天太玉命の後裔である天富命が、天日鷲命の孫・由布津主命を率いて、 阿波から当地(安房)開拓のため上陸したという。 由布津主命が、祖神である天日鷲命を祀った神社。

千倉の下立松原神社
祭神は、天日鷲命で、美奴射持命(ミヌエモチのみこと)が祀ったという。 が、美奴射持命が誰なのかは不明。安房忌部の一族と考えられている

後裔たち
『姓氏録』では、弓削宿祢、天語連、多米連・宿祢、田辺宿祢など。
系図などでは、安房の忌部、神麻績連、倭文連、長幡部、神宮部造が後裔。
「斎部宿祢本系帳」では、天日鷲翔矢命の子の天羽雷雄命の子孫として委文宿祢・美努宿祢・大椋置始連・鳥取部連
古代の衣服・繊維氏族も同族か?
倭文連・長幡部は忌部族。
服部連も?。
伊豆の賀茂郡で三島大社(伊豆三島神社)を奉斎。同郡の式内社阿波神社が、いま神津島に鎮座。

酉の市で知られる鷲神社:台東区
ご祭神:天日鷲命(あめのひわしのみこと) 日本武尊(やまとたけるのみこと)寿老人
開運、商売繁昌、家運隆昌、子育て、出世の神徳が深いとされ、「おとりさま」と称されて江戸下町の民衆に篤く尊信されてきました。 そして天日鷲命は、開運、開拓の福神として当地に鎮座されたのです。

下野国 鷲宮(わしのみや)神社
都賀町家中の総鎮守として、また「お酉様」として親しまれております鷲宮神社
大同3年(808)創建
鷲宮神社に伝わる御神楽は伊勢神楽の流れを汲む、依田流太々神楽
日本武尊(やまとたけるのみこと)の東征の際に東国治定や開発の為、日本武尊と共に三浦半島を経て船で安房国(千葉県)に移って来た忌部氏が、利根川を上るようにして東国を開発していくのに伴い、天日鷲命も広く祀られていきました。弓削連(ゆげのむらじ)の祖でもある天日鷲命は、東国武士等に弓矢を作り始めた神様、武道守護の神様としても篤く崇敬されていたようです。

手置帆負命:讃岐忌部氏の祖
忌部氏の遠祖は天岩戸隠れの段で活躍する天太玉命である。天太玉命の後裔に天日鷲命(阿波忌部氏の祖)、手置帆負命(讃岐忌部氏の祖)、彦狭知命(紀伊忌部氏の祖)、天富命(安房忌部氏の祖)となった。

主な神社
徳島県鳴門市大麻町坂東字広塚13 大麻比古神社「大麻比古神」天太玉命、猿田彦命などの説
徳島市二軒屋町2丁目48 忌部神社「天日鷲命」
香川県善通寺市大麻町上ノ村山241 大麻神社「天太玉命」
香川県観音寺市粟井町1716 粟井神社「天太玉命」
香川県三豊郡豊中町竹田214 忌部神社「手置帆負命」
千葉県館山市大神宮589 安房神社「天太玉命」
和歌山市鳴神1089 鳴神社「本来は天太玉命」
和歌山県那賀郡桃山町神田101 三船神社「木靈屋船神 配 太玉命、彦狹知命」
和歌山市下三毛508 上小倉神社「手置帆負命 配 彦狹知命」
紀の国の忌部氏は当地の木材をもって大和大権の宮殿の建築等を司ったとされる

屋船豊宇気姫命(やふねとようけひめのみこと)
別名 若宇加能売命は、別名を、豊宇気比売大神(伊勢外宮)宇加之御魂神(稲荷神社 広瀬大忌神とも呼ばれ、総て同神である。
讃岐にも、広瀬神社(:祭神 若宇乢廼賣神)がある。祭神は、どう読むか。和加宇加之売=若宇乢廼賣 か?

広瀬神社 http://www.genbu.net/data/yamato/hirose_title.htm

笠縫邑
古代は笠は水にもっとも強い布(太布(たふ)といいます)に柿渋を2度3度と乾かし、また塗りして防水にしていたとのこと。笠は縫って作っていたのです。
太布は阿波の特産。この笠を縫う集団が居住していたのが阿波の笠縫邑。ずっと後世になって、この地方の和紙を用いて作った傘が、現在も特産として和傘となったのです

笠縫邑(かさぬいむら、かさぬいのむら)とは、崇神天皇6年に、宮中に奉祀していた天照大神を移し、豊鍬入姫命に託して祀らせた場所。同時に宮中を出された倭大国魂神は渟名城入媛命に託して、後に大和神社に祀ったとされる。 笠縫邑は大嘗祭、豊明節会の起源に関係する土地との説もある。垂仁天皇紀25年3月丙申条に、倭姫命は天照大神を磯城の厳橿の本に祀ったとあり、厳橿は神霊の神木で、崇神朝に磯堅城の神籬を立てた。(崇神紀6年条)。古語拾遺には「磯城の神籬」とあり、「磯城の厳橿の本」と「磯堅城の神籬」は同所とも考えられる。

比定地については、檜原神社(桜井市 三輪)、多神社(磯城郡 田原本町多)、笠縫神社(磯城郡田原本町秦荘、秦楽寺境内南東隅)、笠山荒神社(桜井市笠)、多神社摂社の姫皇子神社、志貴御県坐神社(桜井市金屋)、小夫天神社(桜井市小夫)、穴師坐兵主神社(桜井市穴師)、飛鳥坐神社(高市郡 明日香村飛鳥)、長谷山口坐神社(桜井市初瀬手力雄)、等々。

檜原神社、笠山荒神社、小夫天神社(笠山荒神社よりもさらに東の山間部)、穴師坐兵主神社等はまさに山の中である。 また、笠縫神社に関係する秦楽(じんらく)という名が、築山古墳(大和高田市築山字城山)の前方部眼下に広がる平地にも神楽(じんらく)という名で存在する。この神楽は、古くは秦楽と書いたとの説もある。何らかの関係を示唆しているかも知れない。

多神社から、摂社の屋就神命神社(やつぎかみのみことじんじゃ、やつき?しんめいじんじゃ:祭神 天明豊玉命)の方角を見ると、神楽、築山古墳の方角となる。実際には、理由はよく判らないが地元住民によって大切に残された「矢継ぎの森(やつぎのもり:屋就神命神社の杜でもある)」に隠されて見えない。

また、もしかすると、昔は、多神社から姫皇子神社の方向を見ると、箸墓が見えたのかもしれない。元々、姫皇子神社は、多神社の奥(北:上座)に位置していたので、前(南:下座)に移転させられている可能性がある。

多神社を笠縫邑の位置と比定するなら、これら古墳が、鏡に映した様に南北及び東西が逆になるが、大嘗祭の悠紀殿(千木は伊勢神宮外宮の様に外削ぎ)、主基殿(千木は伊勢神宮内宮の様に内削ぎ)の起源とも関係している可能性がある。

大神神社の西方に笠縫という駅があります。笠縫邑(かさぬいむら)は、崇神天皇の時代に、宮中で奉祀していた天照大神を天皇の娘である豊鍬入姫に託して宮中より出し、最初に祀らせた場所だとされています。
笠縫の笠縫神社(磯城郡田原本町秦荘、秦楽寺境内南東隅)であるとも言われています(一般には大神神社すぐ北の檜原神社だといわれることが多いようです)。

天日鷲命は天日別命(アメノヒワケノミコト)と同神であるとされることが多いようです。天日別命は、神武天皇東征の際、伊勢津彦(イセツヒコ)を追って伊勢国を平定した神様です。つまり伊勢の国の統治者です。伊勢津彦は、桑名の桑名宗社に祀られています。が、桑名宗社は、「桑名神社」と「中臣神社」の両社を合わせてた呼び名です。

徳島県吉野川市(旧麻植郡)鴨島町麻植塚字堂の本鎮座の五所神社の祭神は、物部の五世孫の欝色謎命と同世代の物部の大麻綜杵命(おおへつきのみこと)。大麻綜杵命を祀る神社は全国でここ一社。麻の字のない大綜杵命は尾張国葉栗郡の高田波蘇伎神社にも祀られている。名前から麻を除き、忌部との関連を消したとの説もある。その妃が高屋阿波良姫。「高屋」からは讃岐(香川県坂出市高屋町)が思い浮かぶ。高家神社が鎮座。観音寺市高屋町には式内高屋神社が鎮座、強く四国が意識される。「阿波良」姫の名からはまさに阿波が想像される。

大麻綜杵命と高屋阿波良姫の間の子が伊香色謎命・伊香色雄命で、伊香色謎命は崇神天皇の生みの親となる。
不思議なことに高屋阿波良姫と伊香色謎命を祀る神社が丹波国船井郡の住頭神社(すみどじんじゃ)である