大化改新による機内とは

機内とは、首都周辺の特別区域の名。
日本では「うちつくに」ともいう。
山城,大和,河内,和泉,摂津の5ヵ国の総称。

8世紀初めの『大宝律令』では,大倭,河内,摂津,山背の4ヵ国を畿内とし,特別の行政区域とした。畿内制成立の時期については諸説がある。

畿内の文字の初見は『日本書紀』崇神天皇 10年 10月の条であるが,制度としての畿内制に関する記事の初見は,大化改新の詔の第2条である。

それには区域を,東は伊賀国 (三重県) の横河,西は播磨国 (兵庫県) の櫛淵,南は紀伊国 (和歌山県) 兄山,北は近江国 (滋賀県) 狭々波合坂山 (ささなみのおうさかやま) 以内としている。

その後国を単位として区域を構成するようになり,浄御原令制下ではすでに四畿内が成立している。その行政単位である国には若干の変動があり,まず和泉,芳野2監 (げん) の廃置があったが,天平宝字1 (757) 年和泉国を復し,「五畿内」が成立,七道と合せ「五畿七道」として全国をさすようになった。畿内に対する特典として,調の半分と庸のすべてが免除された。その他種々の面において,畿内は中央先進地域としての処遇を受け,長く政治,経済,文化の中心として栄え,明治以後は京都,奈良,大阪,兵庫の各府県に編入された。