鳴門市西部の阿讃山脈のふもと、大津町大代の一角、山から下りてきた尾根の中ほどに小高い丘が見える。
ここから約百メートル離れたその丘は、四世紀後半に造られた県内最大級の前方後円墳「大代古墳」。古墳の下を貫く四国横断自動車道の大代トンネルも見えた。二〇〇〇年三月、古墳を残すため建設される
高速道の南方にも県道・鳴門池田線など幾本の道路が東西に延び、大代古墳10+ 件など旧跡が帯状に残る。大麻町にかけて、五百を超す古墳があるという。まさに歴史街道だ。
霊山寺、大麻比古神社があって歴史を感じさせる地域
西方の大麻町にかけての静かな山里にも、全国級の宝物が埋もれていることが最近、分かってきた。奈良の国内最古の前方後円墳ホケノ山のルーツとされる積石墳丘墓「萩原一号」、竪穴式石室を持つ古墳では、日本最古の円墳「西山谷二号墳」。西山谷二号墳より古い可能性がある天河別(あまのかわわけ)神社一号墳など。
大代古墳
所在地 徳島県鳴門市大津町大代字日開谷
形状 前方後円墳
規模 墳丘長54m
築造年代 4世紀末頃
埋葬施設 竪穴式石室、刳抜式舟形石棺
出土品 獣形鏡片、碧玉製勾玉、短甲
2000年に四国横断自動車道建設に伴う徳島県埋蔵文化財センターによる事前調査により、道路予定地の尾根上に前方後円墳1基と周囲に円墳2基が確認された。前方後円墳(大代古墳)からは竪穴式石室とその内部の刳抜式舟形石棺が発掘されて、多数の遺物が出土した。当初、建設工事は古墳を破壊するオープンカット工法の予定であったが、トンネル工法に変更され、現地保存されることとなった。
大代古墳の被葬者像
同種の火山岩製の刳抜式石棺の出土例は香川県津田湾岸の伝・大日山古墳、けぼ山古墳、赤山古墳など 香川県の6例のほか、岡山県鶴山丸山古墳、大阪府久米田貝吹山古墳が知られる。大代古墳の被葬者は西方約40キロの津田湾岸の首長と密接な関係を有しながら、付近の港湾を掌握した首長であったことが想定される。また、東方の大阪府貝吹山古墳に至る鳴門海峡・紀淡海峡をまたぐ石棺搬出ルートの存在が考えられ、これらのことから、当時の各地の首長の広域的同盟関係や政治的支配体制なども検討課題として今後浮上してくることも考えられる。