倭建命(やまとたけるのみこと)の有名な歌(記三〇、紀二二番)
大和は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる 大和しうるはし
(大和は高く秀いでた国だ。青々とした山が重なって、垣のように包んでいる、大和こそほんとうに美しい国だ)
国見儀礼での国讃め歌であろう。(中略)こうしたヤマトの国讃め歌は、天平十五年(七四三)に聖武天皇が歌った様に、奈良時代にも伝統として継承されている。天皇の統治権の根源がどこにあったのかを示しているのだろう。
『日本書紀』では景行天皇が宮崎に遠征した時の歌で倭建命の歌ではない。
原文は「夜摩苔波 區珥能摩倍邏摩 多々儺豆久 阿烏伽枳 夜摩許莽例? 夜摩苔之于?破試」(熱田本・北野本)
古事記と日本書紀のどちらが本当でしょうか?
古田武彦『盗まれた神話』でこの歌について、ヤマトは九州の山門だ、「まほろば」ではなく「まへらま」で「真へらま」であり、『倭名類聚抄』では「鳥の心臓の近くだけれども、その脇にある柔らかい毛」と言う意味で、「ほろば」はその訛りだそうです。「山門は(筑紫の)国の都近くの良いところ」という意味になる、というようにおっしゃられています。