鏡作、石凝姥命

  • 『古事記』に、天岩屋戸神話に登場する神で、天照大御神を招き出すため、 鍛人天津麻羅を求ぎて伊斯計理度売命に鏡を作らせたとある。

  • 『日本書紀』の一書では、思兼神が天照大御神の姿を写すものを造って、招き出そうと考え、 石凝姥に天の香山の金を採り、日矛(立派な矛の義。日の神の矛、茅をまきつけた矛、または八咫の鏡)を作らせたとある。  

  • また他の一書には、鏡作部の遠祖・天糠戸に鏡を作らしめとあり、 さらに別の一書には、鏡作の遠祖・天抜戸(=天糠戸)の子・石凝戸辺が作った八咫の鏡を懸けたとあり、 鏡作の遠祖である天糠戸の御子であることがわかる。

  • 天孫降臨に際し瓊々杵尊に従った五伴緒神(五部神:天児屋根命太玉命天鈿女命石凝姥命玉屋命)の一柱。


鏡作坐天照御魂神社(鏡作神社)

奈良県磯城郡田原本町

祭神 天照国照彦火明命・石凝姥命・天糠戸命

由緒  「倭名抄」鏡作郷の地に鎮座する式 内の古社である。
 第十代崇神天皇のころ、三種の神器 の一なる八咫鏡を皇居の内にお祀りす ることは畏れ多いとして、まず倭の笠 縫邑におし祀り(伊勢神宮の起源)、 更に別の鏡をおつくりになった。社伝 によると、「崇神天皇六年九月三日、 この地において日御像の鏡を鋳造し、 天照大神の御魂となす。今の内侍所の 神鏡是なり。本社は其の(試鋳せられ た)像鏡を天照国照彦火明命として祀 れるもので、この地を号して鏡作と言 ふ。」とあり、ご祭神は鏡作三所大明 神として称えられていた。
 古代から江戸時代にかけて、このあ たりは鏡作師が住み、鏡池で身をきよ め鏡作りに励んだといい、鏡の神様と しては全国で最も由緒の深い神社であ る。

創立は崇神天皇六年とみられている。『大倭神社注進状裏書』によれば、

社傳ニ云ク、中座ハ天照大神之御魂也、傳ヘ聞ク崇神天皇ノ六年九月三日、於是地改鋳日御象之鏡、為天照大神之御魂、今之内侍所ノ神鏡ナリ、即チ当社ハ其像鏡奉斎、爾来号此地ヲ日鏡作ト

『延喜式神名帳』にある鏡作麻気神社、鏡作伊多神社については同じく社伝に「左座麻気神者天糠戸ノ命大山祇之子也、此ノ神鋳作日之御像鏡、今伊勢崇秘大神也、右座伊多神者、石凝姥命、天糠戸命之子也、比ノ神モ鋳作日象之鏡、今紀伊之国日前神是也」とみえる。

-『神社辞典』-

由緒
 この地に居住した鏡の鋳造を業とした鏡作部の氏神である。記紀によると、崇神6年、皇居内の天照大御神を畏れ多いとして笠縫の地に遷座せしめたとある。八咫鏡を皇居から出したと言う事である。その代わりの神鏡を鋳造した際の試鋳の像鏡を御祭神とした。 

 この神社の御神体は確かに三角縁神獣鏡であるが、これは土が付いており、古墳から掘り出されたものと思われる。同笵鏡が愛知県犬山市白山平の愛知県最古の東の山古墳から出土しており、この地は、天照国照彦火明櫛玉饒速日尊の12世建稲種命の子尻綱根命を祖とする尾張氏の系譜につながる丹羽県主の支配地である。 

 よく似た話であるが、和歌山市の日前国懸神宮も天岩戸の前で使った鏡の前に作った鏡を御祭神としていると伝えられている。「磯城郡誌」等からの推測すれば、この試作鏡は紀の国の日前国縣神宮に持って行かれたとも理解できる。 

 中央の祭神は天照御魂神であり、天照国照日子火明命とされる。尾張氏の遠祖である。 

 さらに右座の石凝姥命は伊多神と言われる。穴師神社の御神体にもこの神社の鏡を祀った伝承があり、金属生産にからむ古代のせめぎ合いがうかがわれる。 

 隣接する唐古・鍵遺跡からは石製の銅鐸鋳型の破片やフイゴなどが出土している。銅鐸作成の技術者が住んでいたが、これらの技術者は銅鐸の需要がなくなって後には銅鏡の製作に従事したものと思われる。 大和への外部勢力の侵入の物語は神武、崇神、応神天皇などが代表的であるが、銅鐸から銅鏡へ、また倭鍛冶から韓鍛冶への技術や製品の推移に対応して行っている。 

 唐古遺跡からは、河内、吉備、北摂、近江、伊勢湾などの土器が出土している。弥生時代から連綿と途切れる事がない遺物が出ている。政治的思惑よりは技術の伝承を優先した古来からの日本人的技術者のありようを彷彿とさせる。 

 第十代崇神天皇のころ三種の神器の一なる八咫鏡を皇居におまつりすることは畏れ多いとして別の所におまつり致し(伊勢神宮の起源)更に別の御鏡をおつくりになった。その神鏡を八咫鏡をおつくりになった石凝姥命の子孫鏡作師がこの地に於いて崇神天皇六年九月三日に鋳造した。それを内侍所の神鏡と称するがその鋳造に当たって斌鋳せられた像鏡は之を天照国照彦火明命と称えておまつりした。これが当社の起源である。 中座は天照国照彦火明命であり右座は鏡作の遠祖石凝姥命,左座は天糠戸命を祀り申し上げている。御由緒が尊いので昭和十一年県社に列し更に官幤社昇格の運動を進めていたが終戦と共にそれも沙汰やみになってしまったのは仕方ないことです。 

石凝姥命 を祀る神社

中山神社
日前國懸神宮
鏡作坐天照御魂神社
鏡作神社
鏡作伊多神社
鏡作伊多神社
大石神社
神部神社
石井神社
荒石比古神社
荒石神社
日吉神社
大我井神社
五泉八幡宮
三宅神社
金鑚神社 境内 五柱神社
小梳神社
有礒正八幡宮
蜂前神社 境内 右脇宮