銅鏡、漢鏡

漢鏡2期 BC2世紀後半 前漢中期前半 三雲南小路遺跡から重圏彩画鏡1面、四乳羽状地文(雷文)鏡1面が出土。須玖岡本遺跡D地点墓から草葉文鏡3面が出土。

漢鏡3期 BC1世紀前半~中頃 前漢中期後半~後期前半 三雲南小路遺跡から重圏銘帯鏡3面、連弧文銘帯鏡29面、星雲文鏡1面、単圏銘帯鏡18面が出土。須玖岡本遺跡D地点墓から星雲文鏡と各種銘帯鏡など23面が出土。

漢鏡4期 BC1世紀後葉~AD1世紀初め 前漢末~王莽代 平原遺跡からき竜文鏡1面、方格規矩四神鏡31面が出土、

漢鏡5期 AD1世紀中頃~後半 後漢前期 AD1世紀後半には日本列島でも漢鏡の出土数はピークに達する。平原遺跡からはこの時期の内向花文鏡1面、方格規矩四神鏡31面が出土

漢鏡6期 AD2世紀前半 後漢中期 2世紀前半になると漢鏡の出土数が激減する。これは後漢王朝の衰退や東夷全体の動乱など東アジア情勢を反映したもの

漢鏡7期 AD2世紀後半~3世紀初め 後漢後期 第一段階には上方作系浮彫式獣帯鏡・飛禽鏡、画像鏡、き鳳鏡、獣首鏡などがあり、第二段階は画文帯神獣鏡、第三段階には斜縁神獣鏡がある。

岡村教授の研究によれば、漢鏡の出土件数は漢鏡6期までは圧倒的に北九州が多く、漢鏡7期の第一段階、すなわち2世紀後半ごろになって、ようやく北九州と近畿地方との出土件数が均衡してくるという