絹、倭文

平成八年夏、天理市の下池山古墳(三世紀末-四世紀初)から国産の銅鏡を包んだ袋としてブルーの絹織物や柔らかな兎の毛で織られた物が出土し、これは”倭文”と呼ばれる青い縦じまの貴重な絹織物(班布)で七世紀に伝わった高級品と考えられていたのが四世紀も繰り上げられる事となった。 これらによっても縄文文化は優れた織物技術や巨大土木建築技術を持っていた事が裏付けられると共に、糸井神社の主神豊鍬入姫や呉羽、綾羽神にも新しい視線が投げられる事になった。

糸井神社

清和天皇の貞観三年(八六一)糸井神社の諸神は本宮豊鍬入姫大明神(従四位)二宮猿田彦命、三宮綾羽明神、四宮呉羽明神

・大和志(1734・江戸中期)

「糸井神社 鍫 結城市場にあり、今春日と称する」

・大和志料(1914・大正3)引用の式内社糸井社縁起(糸井神社旧25人衆の一﨟・広瀬家蔵)

「(応神天皇の時)呉国(クレノクニ)より綾羽(アヤハ)・呉羽(クレハ)と云ふ織女来りて、河内国丹比野に蚕を飼ふことはじめ給ふて、織女、天皇(仁徳天皇)の勅掟をこうむり大和の黒田廬戸の宮(クロダイホドノミヤ・当社の南約2kmほどの田原本町黒田・宮古付近とされる第7代孝霊天皇の宮)の辺りにて始めて綾織を織らしむ。是を機織殿といふ、亦結崎の明神或は絹引神とも申すなり」(抄記)

がある。

糸井神社に縁の深い「島ノ山古墳」の発掘現況で次のように記している。
奈良県川西町の島ノ山古墳は四世紀末に作られた全長一九〇mの前方後円墳である。
今回未盗堀の個所から当時の権力者のシンボルである北陸産グリーンタフ製の車輪石、鍬型石、石製腕輪などが百四十点も多量に発見された。

天理市の東殿塚古墳(三世紀末-四世紀初頭に築造)から”最古の葬送船”と云われる「天の鳥船」の円筒ハニワの出土を発表した。
記紀神話や熊野神話によれば、遥々と広大な海洋を乗り越えて渡来されたイザナミ大神の浮宝である。”眞熊野の船”とも総称される船首と尾がそり上がったゴンドラ状の巨大船が新たなロマンと共に英姿を現したのだ。