玉造、

櫛明玉神

別名
天明玉命:あまのあかるたま
天羽明玉命
天豊玉命
玉祖命/玉屋命
天櫛明玉命
羽明玉:はあかるたま
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太玉命の率いる五神(天日鷲命:阿波忌部の祖、手置帆負命:讃岐忌部の祖、彦狭知命:紀伊忌部の祖、櫛明玉命:出雲玉作の祖、天目一箇:筑紫・伊勢忌部の祖)の一柱。

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旧国幣社 玉祖神社由緒
 周防国一ノ宮として由緒深く、御祭神は三種の神器の 一つである八坂瓊曲玉を造られた玉祖命であります。玉祖命 は五伴緒神の一柱として中国地方を治められ、ここ大崎の地で 歿せられたと伝えられ社殿の北、約五百米にある玉岩窟(たまのいわや)はそ の墓所と云われています。 神社の創建はあまりにも古く 定かではありませんが、景行天皇十二年西征にあたって戦 勝祈願のため宝剣を奉納されたものが今も御神宝として 伝わっております。
 仲哀天皇・神功皇后も西征の折ご参拝になり。今の佐野焼 の始祖と云われる沢田の長に三足の土鼎と盎を作らせ米を炊 き捧げられ、また軍の吉凶を占われたことに起因すると云う 占手神事も昔ながらに伝えられ厳かに執行さされております。
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近江一の宮
  建部大社
御祭神
 本殿 日本武尊
 相殿 天明玉命
 権殿 大己貴命
由緒
当社は近江国の一の宮と称え られ、景行天皇四十六年(西暦三一六) 四月神崎郡建部郷千草嶽に、 日本武尊の御神灵を建部大神 としてお祀りしたのが創りである。
天武天皇白鳳四年(六七五)四月に近江 国府のあった瀬田の地にお迂し、此の 国の守護神として仰ぎ奉られる様に なった。天平勝宝七年(七五五)には 孝徳天皇の詔により大和一の宮大神 神社から大己貴命を勧請し権殿に 奉祭せられ現在に至っている。
例大祭 四月十五日
船幸祭 八月十七日

-由緒書きより-

由緒
 当社は古来建部大社、建部大明神などど称え、延喜式内名神大社に列し、 又近江国の一之宮として朝野の崇敬篤く、長い歴史と由緒を持つ全国屈指の古社である。 御祭神日本武尊は御年僅に十六才にて熊襲を誅し、更に東夷を平定され、 遂に三十二才にして伊勢の能褒野に於て崩御されましたが、父君景行天皇は尊の死を いたく歎かれ御名代として建部を定め其の功名を伝えられたことが日本書記に 記されているのであるが、これが即ち建部の起源である。
 景行天皇の四十六年神勅により御妃布多遅比売命(父は近江安国造)が、 御子稲依別王と共に住われた神崎郡建部の郷(御名代の地)に尊の神霊を奉斎されたのが 当社の草創であって、その後天武天皇白鳳四年当時近江国府の所在地であった 当瀬田の地に迂祀し、近江一之宮(其の国を代表する第一位の神社)として 崇め奉ったのが現在の当大社である。
 
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大和國高市郡 櫛玉命神社四座
御祭神
櫛玉命 櫛玉姫命 天明玉命 豊玉命

奈良県の明日香村にある。飛鳥駅の南西。丘(山)の上に鎮座。
拝殿は無く、一段高いところに、瑞垣。中に本殿。
創祀年代は不詳。一説に、仲哀天皇の御代、櫛玉彦命(櫛玉命)の後裔・荒木命に巨勢の地三十代を賜って、祖神を祀らしめたという。
荒木命は、祖神が高皇産霊神で、その後に櫛玉彦命、天明玉命と続く玉造連の租である。
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玉作湯神社(湯船大明神)旧県社
八束郡玉造町 玉造温泉駅より二粁
祭神 櫛明玉神 大己貴命 少毘古那神 五十猛神
例祭 一○月一○日 
神紋 二重亀甲の中に丸玉管玉勾玉組合せ
本殿 春日造 三四三坪 末杜 七社
宝物 上代各種玉類及砥石類(重文)
氏子 三○○戸 崇敬者 三五六八人
由緒沿革 延喜式内及び出雲風士記所載の社にして神階従四位下を授けらる。祭神は玉作の祖先に温泉守護の御神なり。堀尾、松平二氏共に崇敬のまことを致す。昭和三年県社に昇格す。
-『神社名鑑』-

玉作湯神社と玉造温泉之由来
一.玉作湯神社(内務大臣指定史蹟保存地)
御祭神、櫛明玉神(八坂瓊勾玉並に宝玉御製作の祖神)、大名持神・少彦名神(当地温泉発見、温泉守護、温泉療法、薬、秘呪の祖神)、五十猛神(同社座、韓國伊太弖社、植林・殖産・産業振興の祖神)。
玉作湯神社は、玉造温泉、玉造川東岸の小高い林の中に鎮座まします式内の古社であります。
「貞觀十三年十一月神階従四位下を授く」と三代実録に見え、現今は此の地の氏神で旧県社であります。
櫛明玉神は、天明玉、豊玉、羽明玉、玉祖神などの異称をおもちになって居て、天岩戸の前で神々のお計らいで神楽を奏せられた時、真榊の枝に懸けられた八坂瓊之五百箇御統玉は此の神の御製作であった事は、古語拾遺に明記せられ、玉作部の遠祖と仰がれ、此の地方に居住し、此の地の原石を採って宝玉の製作をお司りになったと伝え、日本書紀に「素盞鳴尊が天に昇りまさんとする時、羽明玉神(古語拾遺には櫛明玉命とあり)は道に出迎えて、瑞八坂瓊の勾玉を進め、素盞鳴尊は之を御姉天照大御神に献上になった」ことが記され、社伝には三種神器の八坂瓊の勾玉は命が御製作になったものと伝えています。
天孫降臨の際、櫛明玉命は随従の五部の神の御一人として、玉作の工人を率いて日向に御降りになり、命の子孫一族は所属の工人と共に出雲玉造郷に留まって製玉に従事し、其部の長たる櫛明玉命の薫督をお受けになったと云われ、古語拾遺に「櫛明玉命之孫、御祈玉を作る。其の裔、今出雲國に在り、毎年調物として、其の玉を進む」と記され、又同書に「櫛明玉命は出雲國玉作祖也」と見えています。
社宝1.上代各種玉類184点(重要文化財)2.上代玉磨砥162点(重要文化財)3.上代ガラス製造ルツボ片と上代ガラス一括(重要文化財)
二.玉造温泉
玉造温泉は少彦名命の御発見と伝えられ、JR玉造温泉駅から玉造川に沿って上ること約2キロ、玉造郷にあって玉造川の清流を挟み、要害山、花仙山の二山を負って多くの人家が相連なり渓間の一小区をなしています。
「出雲國風土記」意宇郡の条に「忌部神戸、郡家の正西廿一里二百六十歩。國造、神吉詞を奏しに朝廷に参向する時、御沐の忌玉作る、故に忌部という即ち川辺に出湯あり、出湯の在る所、海陸に亘り男女老少、或は道路に絡繹り、或はSI洲に郡集いて市を成し、繽紛燕会。一濯すれば形容端正、再濯すれば万病ことごとく除く。古より今に至るまで験を得ざることなし、故に俗人神湯といえり」と記されております。-『平成祭データ』-

翡翠の神

沼名河(ぬなかわ)の底なる玉 求めて得し玉かも
拾(ひり)いて得し玉かも あたらしき君が 老ゆらく惜しも

越後國頸城郡 奴奈川神社
御祭神
奴奈川比賣命 大日孁命 八千矛命
由緒沿革
成務天皇の御宇に市入命越後国の 国造となって当地に来り、奴奈川姫命の子建 沼河男命の裔長比売命を娶り、奴奈川姫命の 社を建て神田神戸を寄附したという。又延暦 二二年市入命の後胤国造藤好当社を崇敬する こと厚く、神田神戸を増附した。弘安四年蒙 古来襲の時、異賊退治御祈願のため奉幣あり。 寛永年中には松平越後守光長厚く崇敬し鏡一 面を奉納した。大正八年郷社に列す。

『楢本神社』石川県白山市

創立年代明らかでない。社記に祭神は御膳氏の祖・比古伊邪許志別命と云う説があるが確証は見当らない。口伝では、往古、御膳氏の遠祖屋主思命の孫、市入命が国造としてこの地に居住し、当社に奉仕、後に訳があって僧となり宝山院と名乗り、代々当社の社僧を務め、御膳の榊葉を諸国に神社に納めたといわれる。現在「御膳の館」という地は、その居館のあった所ではいかと思われる。

高志 13成務 阿閉臣祖屋主田心命3世孫 市入命(いちいり)
越国 志賀高穴穂朝の御世に、阿閉臣(あべのおみ)の祖・屋主田心(やぬしたこころ)命の三世孫の市入命を国造に定められました。

彦屋主田心命
ひこやぬしたこころのみこと
大彦命の子・彦背立大稲輿命の子。伊賀臣、阿閉間人臣、道公などの祖。

中川熊野神社
合祀 越中國射水郡 加久彌神社二座
御祭神
伊弉冉命 事解男命 速玉男命 彦屋主田心命
富山県高岡市にある。越中中川駅の南西400mほど、前田利長が築いた高岡城の城跡である高岡古城公園の南東の中川本町に鎮座