新撰姓氏録、天皇、大臣、大連、将軍

天皇別に歴代の氏族、有力者を俯瞰してみると

  • 仁徳天皇から武烈天皇まで、後継の氏族がいない。
  • 後継氏族が多いのは、神武から応神の間です。
  • 初期の有力者は宇摩志麻治の物部系、景行天皇から応神天皇は武内宿禰、仁徳以降は葛城の平群、蘇我、物部などの協同。継体天皇以降は、大伴金村大連、物部麁鹿火、許勢、蘇我など
  • 大臣は、食国政申大夫から大臣へ。将軍は必要に応じて任命。
  • 大連なし、大臣なし、将軍なしの天皇も多いが、、、。
  • 物部氏失脚し、推古天皇の時代から聖徳太子執政以降から天武天皇まで、混乱がみられる。

『新撰姓氏録』の天皇別の氏族数

皇別・各天皇子孫氏族 別表  記紀や伝承の大連、大臣、将軍
代   天皇     氏族
1   神武     21  宇摩志麻治と天日方奇日方命 が食国政申大夫
2   綏靖      0  彦湯支命が食国政申大夫
3   安寧      2  大禰命[彦湯支命の子供]侍臣
4   懿徳      4 出雲醜大臣
5   孝昭     44  出石心大臣、瀛津世襲大連、建諸隅大臣
6   孝安      0
7   孝霊      8  大矢口宿禰が大神を祀る
8   考元    108  鬱色男大臣
9   開化     22  大綜杵大臣、伊香色雄大臣
10   崇神     33  伊香色雄大臣、四道将軍(大彦命、武渟川別命、吉備津彦命、丹波道主命)
11   垂仁      9  物部十千根大連、將軍八綱田(號其名謂倭日向武日向彥八綱田)、大新河大連・大臣
12   景行     21   大連なし、大臣武內宿禰、将軍なし(物部胆咋大臣)
13   成務      0   大連なし、大臣武內宿禰、将軍なし
14   仲哀      5  大連なし、大臣武内宿禰(中臣烏賊津連・大三輪大友主君・物部膽咋連・大伴武以連
15   應神     12  大連なし、大臣武內宿禰、物部印葉大臣、尻綱根大臣、将軍なし、和珥臣祖日觸使主、米餅搗大使主
16   仁徳      0  大連なし、大臣武內宿禰、将軍なし(上毛野田道将軍)
17   履中      0  物部伊莒弗大連(平群木菟宿禰・蘇賀滿智宿禰・物部伊莒弗大連・圓圓、此云豆夫羅大使主、共執國事)
18   反正      0
19   允恭      0  大連なし、大臣なし、将軍なし
20   安康      0 大連なし、大臣なし、将軍なし
21   雄略      0  物部連目爲大連、圓大臣、平群真鳥大臣
22   清寧      0  大伴室屋大連、平群眞鳥大臣
23   顕宗      0  平群真鳥大臣
24   仁賢      0  平群真鳥
25   武烈      0  物部麁鹿火大連、平群眞鳥大臣
26   継体      5  大伴金村大連、許勢男人大臣
27   安閑      0  大伴金村大連、物部麁鹿火大連、許勢男人大臣
28   宣化      4  大伴金村大連、物部麁鹿火大連、蘇我稻目宿禰大臣
29   欽明      0  大伴金村大連(失脚)、物部尾輿大連、蘇我稻目宿禰大臣
30   敏達     19  物部弓削守屋大連、蘇我馬子宿禰大臣
31   用明      3 物部弓削守屋連大連、蘇我馬子宿禰大臣
32   崇峻      0  物部守屋大連(失脚)、蘇我馬子宿禰大臣、紀男麻呂宿禰・巨勢猿臣・大伴囓連・葛城烏奈良臣、爲大將軍。大連制廃止。
33   推古      0 蘇我大臣(馬子、善徳???)、境部臣爲大將軍、穗積臣爲副將軍、征新羅大將軍來目皇子薨之、境部臣雄摩侶・小德中臣連國爲大將軍、以小德河邊臣禰受・小德物部依網連乙等・小德波多臣廣庭・小德近江脚身臣飯蓋・小德平群臣宇志・小德大伴連闕名・小德大宅臣軍爲副將軍
34   舒明      1  大連なし、蘇我蝦夷大臣、大仁上毛野君形名 將軍
35   皇極      0 物部弓削大連、蘇我臣蝦夷大臣、將軍巨勢德陀臣、(或本云、倭馬飼首爲將軍)
36   孝徳      0  阿倍內麻呂臣左大臣、蘇我倉山田石川麻呂臣右大臣、倉山田大臣、巨勢德陀古臣左大臣、大伴長德連字馬飼右大臣、大伴狛連與蘇我日向臣爲將領衆、使追大臣
37   斉明      0  大連なし、左大臣巨勢德太臣薨、阿部引田臣比羅夫
38   天智      3  大連なし、蘇我連大臣薨 、阿倍倉梯麻呂大臣、蘇我赤兄大臣、藤原內大臣、将軍阿曇比邏夫連、阿倍引田比邏夫臣
39   弘文      0
40   天武      9
41   持統      0

屯倉
11代垂仁天皇
倭 – 來目邑屯倉[2]
12代景行天皇
諸国 – 田部屯倉[3]
倭屯家[4]
播磨 – 御宅(印南郡益毛里)[5]
14代仲哀天皇
淡道屯家[6]
15代応神天皇
播磨 – 三家(神前郡田駝里)[5]、宅[5]、墾田(飾磨郡漢部里)[5]
16代仁徳天皇
倭 – 屯田及屯倉[7]
河内 – 茨田屯倉[8]、依網屯倉[9]
播磨 – 筑紫田部(損保郡)[5]、飾磨御宅(飾磨郡)[5]
17代履中天皇
倭 – 村合屯倉[10]、将代屯倉[11]
22代清寧天皇
播磨 – 縮見屯倉[5]、針間山門領御宅(美嚢郡志深里)[5]
26代継体天皇
倭 – 匝布屯倉[12]
筑紫 – 糟屋屯倉[13]
27代安閑天皇
倭 – 小墾田屯倉[14]、毎国田部[14]
河内 – 桜井屯倉[14]、毎国田部[14]
摂津 – 難波屯倉[14]、毎郡钁丁[14]
摂津三嶋 – 竹村屯倉(上御野・下御野・上桑原・下桑原)[14]、毎郡钁丁
尾張 – 間敷屯倉[15]、入鹿屯倉[15]
駿河 – 稚贄屯倉[15]
武蔵 – 横渟屯倉[14]、橘花屯倉[14]、多氷屯倉[14]、倉樔屯倉[14]
上総 – 伊甚屯倉[15]
近江 – 葦浦屯倉[15]
上毛野 – 緑野屯倉[15]
丹波 – 蘇斯岐屯倉[15]
播磨 – 越部屯倉[15]、牛鹿屯倉[15]、三宅(損保郡越部里)[5]
備後(備中) – 後城屯倉[15]、多禰屯倉[15]、来履屯倉[15]、葉稚屯倉[15]、河音屯倉[15]
婀娜 – 胆殖屯倉[15]、胆年部屯倉[15]
安芸 – 過戸虜城部屯倉[14]
紀 – 経湍屯倉[15]、河辺屯倉[15]
阿波 – 春日部屯倉[15]
筑紫 – 穂波屯倉、鎌屯倉[15]
豊 – 勝碕屯倉[15]、桑原屯倉[15]、肝等屯倉[15]、大抜屯倉[15]、我鹿屯倉[15]
火(肥) – 春日部屯倉[15]
28代宣化天皇
河内 – 茨田屯倉[16]
伊賀国屯倉[16]
伊勢 – 新家屯倉[16]
尾張国屯倉[16]
筑紫 – 那津官家[16]
筑紫・肥・豊 – 三国屯倉[16]
29代欽明天皇
倭 – 韓人大身狭屯倉[17]、高麗人小身狭屯倉[17]
吉備五郡 – 白猪屯倉[18]
備前 – 児島屯倉[17]
紀 – 海部屯倉[17]
30代敏達天皇
吉備 – 白猪屯倉[19]、田部[19]
備前 – 児島屯倉[20]
33代推古天皇
倭 – 高市池[21]、藤原池[21]、肩岡池[21]、菅原池[21]
山背 – 栗隈大溝[21]
河内 – 戸苅池[21]、依網池[21]
35代皇極天皇
山背 – 深草屯倉[22]
河内 – 依網屯倉[23]
36代孝徳天皇
東国(東海道) – 官家[24]
東国(東山道) – 官家[24]

国外編集
14代仲哀天皇
百済 – 渡屯家[25]
神功皇后
新羅 – 内官家屯倉[26]、内官家
21代雄略天皇
百済 – 官家[27]
26代継体天皇
毎国 – 官家[28]
多沙津 – 官家[29]
任那 – 内官家[29]
29代欽明天皇
海西諸国 – 官家[30]、弥移居
海表 – 弥移居[31]
任那諸国 – 海北弥移居[32]、任那官家[33]
任那 – 内官家
32代崇峻天皇
任那 – 官家[34]
33代推古天皇
任那 – 内官家[35]
36代孝徳天皇
百済 – 内官家[24]

1 神武天皇(じんむ)
137歳
(79年)前660年
より
127歳

日向を立ち、大和の橿原の地で即位した初代天皇
ハツクニシラススメラミコトと呼ばれる。
高千穂宮→宇佐→筑紫の岡田宮→安芸の多祁理宮 →吉備の高島宮→畝火の橿原宮
2 綏靖天皇(すいぜい)
古事記 45歳
日本書紀 (33年)
84歳

高岡宮(奈良県南葛城郡)
3 安寧天皇(あんねい)
49歳
(38年)57歳

浮穴宮(奈良県北葛城郡)
4 懿徳天皇(いとく)
45歳
(35年)

境岡宮(奈良県高市郡)
5 孝昭天皇(こうしょう)
93歳
(83年)

掖上宮(奈良県南葛城郡)
6 考安天皇(こうあん)
123歳
(102年)

秋津島宮(奈良県南葛城郡)
7 考霊天皇(こうれい)
106歳
(76年)

盧戸宮(奈良県磯城郡)
8 孝元天皇(こうげん)
57歳
(57年)

皇女 倭迹迹日百襲姫(ヤマトトトヒモモソヒメ)
堺原宮(奈良県高市郡)
9 開化天皇(かいか)
63歳
(60年)

伊邪河宮(奈良市)
10 崇神天皇(すじん)
168歳
(68年)
120歳

実在性が認められる最初の天皇
神武天皇と同じく、ハツクニシラススメラミコトの
贈り名がある。
水垣宮(奈良県磯城郡)
11 垂仁天皇(すいにん)
153歳
(99年)140歳

皇女 倭姫(ヤマトヒメ)
玉垣宮(奈良県磯城郡)
12 景行天皇(けいこう)
137歳
(60年)106歳

日本武尊(倭建命)…皇子
日代宮(奈良県磯城郡)
13 成務天皇(せいむ)
95歳
(61年)107歳

高穴穂宮(滋賀県大津市)
14 仲哀天皇(ちゅうあい)
52歳(9年)
52歳
神功皇后の摂政
(69年)100歳

神功皇后
豊浦宮(山口県下関市)、訶志比宮(福岡市)
15 応神天皇(おうじん)
130歳
(43年)110歳

倭の五王のうちの「讃」?
明宮(奈良県高市郡)
16 仁徳天皇(にんとく)
83歳
(87年)

倭の五王のうちの「讃」?
高津宮(大阪市)
17 履中天皇(りちゅう)
64歳
(6年)70歳

若櫻宮(奈良県磯城郡)
18 反正天皇(はんぜい)
60歳
(6年)

柴垣宮(大阪府南河内郡)
19 充恭天皇(いんぎょう)
78歳
(42年)78歳

倭の五王のうちの「済」か
遠飛鳥宮
20 安康天皇(あんこう)
56歳
(3年)

倭の五王のうちの「興」と思われる。
穴穂宮(奈良県山辺郡)
21 雄略天皇(ゆうりゃく)
124歳
(23年)

倭の五王のうちの「武」であるとする説が有力
朝倉宮(奈良県磯城郡)
22 清寧天皇(せいねい)

(5年)

甕栗宮(奈良県磯城郡)
23 顕宗天皇(けんそう)
38歳(8年)
(3年)

このあたりから年齢在位期間が現実的になっている
近飛鳥宮(大阪府南河内郡)
24 仁賢天皇(にんけん)

(11年)

廣高宮(奈良県磯城郡)
25 武烈天皇(ぶれつ)
18歳
(8年)

日本書紀では、極悪非道の天皇とされる。
列木宮(奈良県磯城郡)
26 継体天皇(けいたい) 43歳(507~533)
(27年)  磐井の乱が起きる
継体天皇は、出所不明の天皇。
日本書紀によると応神天皇の5代目の子孫とされる。
玉穂宮(奈良県磯城郡)
27 安閑天皇(あんかん)
(533~535)
(2年)

金箸宮(奈良県高市郡)
28 宣化天皇(せんか)
(535~539)
(4年)
これ以降、古事記と
日本書紀の記述は一致

盧入野宮(奈良県高市郡)
29 欽明天皇(きんめい)
(539~571)

大宮(奈良県磯城郡)
30 敏達天皇(びたつ)
(572~585)

他田宮(奈良県磯城郡)
31 用明天皇(ようめい)
(585~587)

池邉宮(奈良県磯城郡)
32 崇峻天皇(すしゅん) (587~592) 柴垣宮(奈良県磯城郡)
33 推古天皇(すいこ)※
(592~628)

最初の女帝、聖徳太子が摂政
小治田宮(奈良県宇陀郡)
34 舒明天皇(じょめい)
(629~641)

35 皇極天皇(こうぎょく※
(642~644)

36 孝徳天皇(こうとく)
(644~655)

37 斉明天皇(さいめい)※
(655~661)

38 天智天皇(てんぢ)
(661~671)

39 弘文天皇(こうぶん)
(671~672)

40 天武天皇(てんぶ)
(672~686)

41 持統天皇(じとう)※
(686~697)

42 文武天皇(もんむ)
(697~707)

43 元明天皇(げんめい)
(707~715)

44 元正天皇(げんしょう※
(715~724)

45 聖武天皇(しょうむ)
(724~749)