山城国、山背、京田辺、宇治

古くは「山代」と記され、7世紀に「山背国」という表記で国が建てられた。
この名称は、平城京から見て「奈良山のうしろ」にあたる地域であることから来ていると云われている。
宇治郡(うじぐん)
現在の京都市南東部と宇治市東部に相当する。京都市の南東部では、伏見区醍醐と山科区全域に当てはまる。
綴喜郡(つづきぐん、つづきのこおり)
2町を含む。井手町(いでちょう)宇治田原町(うじたわらちょう)
相楽郡(そうらくぐん、さがらかのこおり)
3町・1村を含む。笠置町(かさぎちょう)和束町(わづかちょう)精華町(せいかちょう)南山城村(みなみやましろむら)

山城国内に設けられた天皇の宮
筒城宮 (京都府京田辺市) – 第26代継体天皇
弟国宮 (京都府長岡京市) – 第26代継体天皇
恭仁京 (京都府木津川市) – 第45代聖武天皇
長岡京 (京都府向日市・長岡京市・京都市) – 第50代桓武天皇
平安京 (京都府京都市) – 第50代桓武天皇から第122代明治天皇

山背国造
神武朝に阿多根命が、成務朝に曾能振命が山代(山背)国造に任じられたとされるが、神武朝の設置は疑わしい。
子孫が山背根子 …… 古墳時代の伝説上の人。山氏の祖。神功皇后の命で広田神社を祭った葉山媛と長田神社を祭った長媛の父。
神武天皇ー威徳天皇の時代

国造本記
「山城国造 橿原朝御世(神武)、阿多振命為山代国造、」
「山背国造 志賀高穴穂朝御世(成務)、以曽能振命、定賜国造、」
「山背国造」の祖が「曽能振命」であると同時に、同じく「山城国造」の祖が「阿多振命」との名であり、
「振命」をとったら、大隈国(現在の鹿児島県東半分)の「曽於」「阿多」両郡の名前と一致する。

孝元天皇
崇神十年、孝元天皇皇子の武埴安彦命(タケハニヤスヒコ)が反乱した。
第8代孝元天皇の子の武埴安彦(たけはに・やすひこ)は妻の吾田姫とともに、全国統一をすすめる祟神天皇に対抗して、木津川で大激戦を行いました。
第九代開化天皇と武埴安彦命の乱
突如として、北方遠くかけはなれた奈良市の春日の地に宮殿を移した。なぜだろうか。
父の孝元天皇(彦国牽:ひこくにくる)の時代に奈良盆地の南半分を脱し、大和の北を新たに領土として獲得したからに違いない。
山背にあった武埴安彦命は、河内にあった妻の吾田媛と蜂起。大和を挟撃しようと軍勢を興す。が、それを予見した倭迹迹日百襲媛命の進言により、四道将軍の大彦命と、和邇氏の祖、彦国葺命が山背へ向かい武埴安彦の軍勢を撃ち破る。河内へは同じく四道将軍の吉備津彦命が向かい、吉備津彦命は吾田媛を討ち、武埴安彦命の謀反は鎮圧された。
古事記・日本書紀共に、その孝元天皇の条に
「(孝元は)河内青玉(カワチアオタマ・書紀ではカワチアオタマカケ)の娘・ハニヤスヒメを娶ってタケハニヤスヒコを生んだ」
とある。父・河内青玉の出自は不明だが、河内を冠することから河内国と関係があるのかもしれない。

神功皇后

大矢田宿禰、新羅へ将軍として往く。
河内(若江郡)の式内社/宇婆神社
大阪府東大阪市加納2丁目 祭神--埴安姫
延喜式神名帳に、『河内国若江郡 宇婆神社』とある式内社だが、今は『宇波神社』と称し、いずれも“ウハ”と訓む。旧河内国若江郡の北辺(加納村字瓦口)・同国讃良郡(現大東市)との境界近くに位置する。
行政区は東大阪に属するが、大東市内にあるJR学研都市線(片町線)・住道駅からが近い(北へ約700mで大東市)。
※創建由緒「宇波神社は北方字瓦口にあり。延喜式内の神社にして埴安姫命を祀り、今は熊野と称す。創建の年代は詳ならず。河内国内神名帳には神位を従三位と記せり。明治5年村社に列せられる」また、社頭に立つ“宇波神社の秋祭り”の説明板によれば、

「神社の周囲は、まわりより少し高くなった所で、古代は“白肩の津”と呼ばれる水辺(港)にあったらしく、波打ち際に祀られた神社だったらしい」(大意)とあるが、今は住宅が建て込んだなかの神社であり、古の面影はない。社頭の案内によれば、当社が宇波神社と称したのは明治8年(1875)以後のことで、それまでは宇婆神社と称していたというが、宇婆の意味は不明。案内には、

舒明天皇(三)田村皇子か山背大兄王かで臣下たちは別れる
大伴鯨連が進み出て言いました。
「すでに天皇の遺言に従うだけです。さらに群の言葉を待つべきではない」
阿倍臣は問いて言いました。 「どういうことか、その意味を示せ」 答えて言いました。
「天皇がどう思っていたか、田村皇子に詔して言ったのです。
『天下は大任だ。怠るべきではないぞ』と言ったのです。これによってみれば皇位はすでに定まっています(田村皇子が天皇、という意味)。誰が違うと言ったというのでしょうか」
(田村皇子に賛成)
その時に采女臣摩礼志・高向臣宇摩・中臣連弥気・難波吉士身刺の4人の臣下は言いました。
「大伴連の言ったように、異存はありません」
(山背大兄王を押す)
許勢臣大麻呂・佐伯連東人・紀臣塩手の3人は進み出て言いました。
「山背大兄王(聖徳太子の子)を天皇とするべきです」
ただ、蘇我倉麻呂臣だけが一人、言いました。
「わたしめは、今のところ、容易く言葉にすることは出来ません。さらに考えてのちに言おうと思います」
大臣と群臣は和合せず、事を成すことは出来ないと分かって、退出しました。

国 郡 神社 祭神 備考
1 山城国 1 相楽郡 祝園神社 天兒屋根命、建御雷命、經津主命
2 山城国 2 相楽郡 和伎坐天乃夫支売神社 天乃夫岐賣命、田凝姫命、市杵嶋姫命、湍津姫命
3 山城国 3 相楽郡 綺原坐健伊那大比売神社 健伊那太比賣命
4 山城国 4 相楽郡 相楽神社 足仲彦命、譽田別命、氣長足姫命
5 山城国 5 相楽郡 岡田鴨神社 建角身命
6 山城国 6 相楽郡 岡田国神社 生國魂命、菅原道眞、氣長足仲彦命、氣長足姫命、譽田天皇
7 山城国 1 綴喜郡 樺井月神社 月讀命
8 山城国 2 綴喜郡 朱智神社 迦爾米雷王命 配 建速須佐之男命、天照國照彦火明命
9 山城国 3 綴喜郡 朱智神社
10 山城国 4 綴喜郡 月読神社 月讀命 配 伊邪那岐尊、伊邪那美尊
11 山城国 5 綴喜郡 咋岡神社 宇賀乃御魂神
12 山城国 6 綴喜郡 高神社 伊弉册命、菊理姫命、伊弉諾命
13 山城国 7 綴喜郡 内神社 山代内臣、味師内宿禰
14 山城国 8 綴喜郡 粟神社 粟神
15 山城国 9 綴喜郡 棚倉孫神社 天香古山命
16 山城国 10 綴喜郡 佐牙乃神社 佐牙彌豆男神、佐牙彌豆女神
17 山城国 11 綴喜郡 酒屋神社 津速魂神 配 應神天皇
18 山城国 12 綴喜郡 甘南備神社 天照大神、葺不合命、大國主命、天兒屋根命
19 山城国 13 綴喜郡 天神社 天照大神、伊弉諾尊
20 山城国 14 綴喜郡 地祇神社 息長帶比賣命 配 大山祇神、大國主神
21 山城国 1 久世郡 石田神社 磐裂神
22 山城国 2 久世郡 水主神社 天照御魂神、天香語山命、天村雲命、天忍男命、建額赤命、建筒草命、建田背命、建諸隅命、倭得玉彦命、山脊大國魂命
23 山城国 3 久世郡 荒見神社 天照國照彦天火明櫛玉饒速日命、天香山命、天牟良雲命、阿比良依姫命、木花開耶姫命
24 山城国 4 久世郡 双栗神社 天照大御神、須佐之男命、事代主神、棟本八幡宮、品陀和氣命、息長帶日賣命、比咩大神、大雀命
25 山城国 5 久世郡 水度神社 天照皇大神、高産靈神、豐玉姫
26 山城国 6 久世郡 旦椋神社 高皇産靈神
27 山城国 7 久世郡 伊勢田神社 天照皇大神、手力男大神、萬幡豐秋津姫大神
28 山城国 8 久世郡 巨椋神社 武甕槌神、經津主神、天兒屋根神、比咩神
29 山城国 9 久世郡 室城神社 須佐之男命、大雀皇子命
30 山城国 1 宇治郡 宇治神社 菟道稚郎子命
31 山城国 2 宇治郡 日向神社 天照大神、三女神
32 山城国 3 宇治郡 許波多神社 天忍穂耳尊、瓊瓊杵尊、磐余彦尊
33 山城国 4 宇治郡 天穂日命神社 天穂日命
34 山城国 5 宇治郡 宇治彼方神社 大物主命
35 山城国 6 宇治郡 山科神社 日本武尊、稚武王
36 山城国 7 宇治郡 山科神社 天忍穂耳命、栲幡千々姫命、饒速日命
37 山城国 1 紀伊郡 御諸神社 宇迦之御魂大神
38 山城国 2 紀伊郡 稲荷神社 宇迦之御魂大神 配 佐田彦大神、大宮能賣大神、田中大神、四大神
39 山城国 3 紀伊郡 大椋神社 不明
40 山城国 4 紀伊郡 飛鳥田神社 別雷神、市杵嶋姫命
41 山城国 5 紀伊郡 真幡寸神社 眞幡寸大神、品陀和氣尊