和邇氏、東大寺山古墳

東大寺山古墳と中平銘文大刀

中平銘文の金象眼は純金
2010・16の産経ニュースによると、東大寺山古墳出土の中平銘文大刀の金象眼が純金だったことが、東京文化財研究所(東京都台東区)の調査で分かったようです。金が99・3~99・9%を占めるといいます。同研究所が過去、埼玉県の稲荷山古墳の鉄剣を分析した時には、銀が10~30%含まれていたことが判明したため、稲荷山古墳の鉄剣は日本製とされています。

東大寺山古墳の大刀に象眼された「中平」の年号は、西暦184~189年に相当することから、180年ごろ女王になった卑弥呼が中国王朝から権力のシンボルとして譲り受け、その後、東大寺山古墳の被葬者に与えられたともいわれています。

近くに和邇下神社古墳の森が見えます。古墳は天理教の敷地内にあります。

和邇下神社

新撰姓氏録考証 天帯彦国押人命、日本帯彦国押人命二坐なり。
明治初年記録 天帯彦国押人命、彦姥津命、彦国葺命、若宮難波根子武振熊命。

新撰姓氏録によれば

「櫟井臣、和爾部同祖、彦姥津命(孝昭天皇皇子天足彦国押人命の後なり。)柿本朝臣、天足彦国押人命の後なり。和爾部、天足彦国押人命三世彦国葺命の後なり。」

東大寺山古墳

東大寺山古墳は4世紀中ごろの築造とされ、全長約140メートルの前方後円墳。
昭和36年に発掘され、20本以上の大刀や槍、碧玉(へきぎょく)製腕飾りなどが発見されました。
金象眼の大刀は長さ110センチ、刀身の峰の部分に5ミリほどの大きさの文字が24文字分確認されました。

大刀の銘文
金象眼の銘文は、大刀の製作年や神秘的な力を示しています。(参考 産経ニュース 2010・1・6)

中平□年   中平□年
五月丙午   五月に
造作文刀   銘文の入った刀を造る。
百練清剛   百回鍛えた立派な刀は
上應星宿   天上では星座の神々のお役に立ち、
下辟不祥。  地上では災いを払う。

中平は、後漢の年号(184年~189年)で、倭国大乱の時期に当たります。
倭国大乱の時期は、『後漢書』桓帝・霊帝の治世の間 146年~189年。 『梁書』後漢の霊帝の光和年間 178年~184年。

和邇氏は孝昭天皇の子孫であり、中平銘文大刀を伝世しても何ら不自然ではありません

 

  

東大寺山古墳と出土品
自然地形を利用した北向の前方後円墳で、全長約130m、後円部径約80m、前方部幅約50mである。
昭和36・41(1961・66)年に発掘調査され、後円部で葺石と円筒埴輪列のほか、靫形・甲冑形埴輪が確認された。後円部粘土槨から碧玉製腕飾類(鍬形石・車輪石・石釧)・滑石製台付坩など、棺外から鉄剣・環頭(素環頭・青銅製環頭)大刀などの武器・武具類・革製漆塗楯などが多量に出土した。
「中平」銘金象嵌花形飾環頭大刀は紀年銘をもつ日本最古の遺物で、中国製刀身部を改造して三葉環頭を基に退化した直弧文ないし竜文を施した日本列島独自の環頭部に交換したと考えられる。他に環頭大刀・木製把頭大刀13本、鉄剣・ヤリ25点以上、銅鏃261点、革製短甲1点、巴形銅器7点出土した。玉類計62点、鏃形石製品45点、坩形石製品13点が出土し、碧玉製腕飾類計51点は全国8番目であるが、銅鏃・坩形石製品と鍬形石26点は最多である。

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