南海道

「五畿七道」の一つ。
紀伊(きい)(和歌山県・三重県)、淡路(あわじ)(兵庫県)、阿波(あわ)(徳島県)、讚岐(さぬき)(香川県)、伊予(いよ)(愛媛県)、土佐(とさ)(高知県)の六か国が属する。

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讃岐の駅家 讃岐の駅については、10世紀前半の『延喜式』では、「引田・松本・三谿・河内・甕井・ 柞田各四疋」と記されており、これら6駅が8世紀初め頃にはすでに設置されていたものと考えられて いる。

発掘調査が行われていないため、位置や施設の内容が把握できる駅は皆無であるが、文献・古地名・周辺遺跡や地理的環境から幾つかの候補地があげられている。

うまやど引田駅については、東かがわ市馬宿が古くから指摘されていたが、同市引田町の条里地割の範囲や地理的環境から、大内郡引田町西半部の可能性が出てきた。
松本駅については、寒川郡難波郷辺り、現在のさぬ たづらき市大川町田面、冨田中などの諸説がある。富田中 に「下り松廃寺」があるが、寺跡とする根拠も少な く、この遺跡が松本駅とみる意見もある。
三谿駅については、山田郡三谷郷、現在の高松市三 谷町字西三谷周辺が考えられている。
河内駅については、阿野郡甲知郷、現在の坂出市府 中町石井が候補地とされていた。最近の木下良氏説 では、周辺の条里地割を検討した結果、「セイリュウ」 と呼ばれる東西路を南海道に相当するものと考え、 国庁碑付近に河内駅を推定した。
甕井駅については、金田氏は善通寺市旧市街地を指 摘しているが、伊予街道を南海道とする宮武氏は、 旧多度郡三井郷永井、現在の善通寺市永井~多度津
町三井付近と指摘している。 かりた柞田駅については、刈田郡柞田郷、現在の観音寺市柞 田町日枝神社辺りが考えられている。

南海道諸国の国府と都を結ぶ官道でもあり、七道の中で小路とされた。

長岡京以前の南海道は、紀伊国内に入ると萩原駅(かつらぎ町大字萩原)、紀ノ川北岸を西進して名草駅(紀伊国府があったと推定されている和歌山市府中)へ至り、さらに西進した後賀田駅(和歌山市加太)が置かれていた。延暦13年(794年)に平安京に都が移ると、翌々年に南海道のルートが変更された。本州側では、大阪湾に沿って進み、和泉国の呼唹(おお)駅から雄の山峠(和歌山市滝畑)を越えて紀伊に入り、紀伊国府を経て賀太駅に至るルートに変更された。 加太港から海路で洲本市由良港に上陸して淡路国に入りその後南あわじ市三原の淡路国府へ至る。淡路国府を出た後は南あわじ市福良港から再び海路で鳴門市撫養港で四国に上陸、その後板野町大寺の郡頭駅から讃岐・伊予・土佐方面と阿波国府方面とで分岐する。阿波国府方面へはそこから南進して徳島市名東町の阿波国府へ至る。一方、讃岐・伊予・土佐方面へはそこから北進し大坂峠を経て讃岐国に入り讃岐平野を横断し、坂出市の讃岐国府へ至る。そこから更に西進して伊予国に入ると四国中央市妻鳥町の大岡駅で伊予国府方面と土佐国府方面とで分岐し、各国府へ至る。

香川県・愛媛県内の大まかなルートは現在の国道11号がほぼそれに沿っているが、道その物を踏襲している場所は少ない。現在ではその多くが小さな生活道路の1つとして埋もれている。

宿場
紀伊・淡路~四国
荻原(はぎはら、和歌山県伊都郡かつらぎ町荻原)
名草(なぐさ、旧名草郡内)
賀太(かだ、和歌山県和歌山市加太)
由良(兵庫県洲本市由良)
大野(兵庫県洲本市大野)
福良(兵庫県南あわじ市福良)
郡頭(徳島県板野郡板野町大寺)
讃岐・伊予・土佐へ
引田(ひけた、香川県東かがわ市馬宿)
松本(まつと、香川県さぬき市大川町田面)
三渓(みたに、香川県高松市三谷町)
河内(かわち、香川県坂出市府中町)
甕井(みかい、香川県仲多度郡多度津町三井もしくは善通寺市弘田町永井)
柞田(くにた、香川県観音寺市柞田町)
大岡(おおおか、愛媛県四国中央市妻鳥町松木)

阿波へ
石隈(徳島県)

伊予へ
近井(愛媛県四国中央市土居町中村)
新居(愛媛県新居浜市中村松木)
周敷(愛媛県西条市)
越智(愛媛県)
土佐へ
山背(愛媛県四国中央市新宮町馬立)
丹治川(高知県長岡郡大豊町立川)
吾椅(高知県長岡郡本山町)
頭駅(高知県)